19.憐れブリック
「――って、ラヴィーユさんが言ってたわよ、スフィア」
リシュリーの報告に、スフィアは目をきょとんとさせ、口に運ぶ途中だった手を止める。しかしそれも一瞬で、すぐに「そうなんですね」と興味なさそうに言うと、止めた手を再始動させマカロンを口に放り込んだ。
サクッとした軽い口当たりの後、すぐに溶けてなくなる。
マカロンはフィオーナが持ってきてくれたお菓子だ。実に良い料理人を抱えている。
「そう言えば、ラヴィーユの浮いた話って聞かないわね。彼、ストーゼンと違って、あまり女性に興味ないって感じだし……あら、このマドレーヌ美味しいわね」
フィオーナは皿にこんもりと盛られたマドレーヌの山から、もう一つ摘まむ。
リシュリーが「それ、うちの」と言えば「良い料理人ね」と褒めていた。余程気に入ったのか、リシュリーに持ち帰りの打診までしている。食いしん坊め。
先日の一件から、フィオーナとスフィアはすっかり打ち解けていた。こうして放課後、各家から持ち寄ったお菓子をつまみながら、三人で応接セットを占領して茶話会をするくらいには。
ストーゼンは、スフィアと同じ空間にいるのが耐えられないのか、生徒会室に荷物を置くとすぐにラヴィーユを誘い、校内の見回りに出て行った。立派な逃避行動である。しかし、たとえ仕事相手の生徒会長の精神が足一本のジェンガ状態でも、交換視察は何事もなく続く。あと二日は耐えて貰わねばならない。
「ねえねえ、スフィアさんは好きな人いないの?」
唐突に、隣のフィオーナが年頃の女の子らしく目を輝かせ、恋バナを振ってきた。女が集まればやはり話題はそちらに流れるというもの。目の前のリシュリーも、僅かに身体が前傾している。
「そうですねえ、今のところは」
頬に手を添え、申し訳なさそうに言うスフィアに、フィオーナはあからさまに「なぁんだぁ」と残念がった。唇を尖らせ、乗り出していた身体を再びソファに埋める。向かいではリシュリーが「そうよね!」と嬉しそうに拳を握っていた。最初に彼女に抱いた、清純という印象はもはや微塵もない。
しかしスフィアは「ただ……」と言葉を続けた。
「ラヴィーユさんは少し気になりますね」
「きゃああああ!」
「いやああああ!」
スフィアの意味深な言葉に、フィオーナの喜声とリシュリーの奇声が、生徒会室にこだました。
その時、二人の叫声にまぎれて、生徒会室の外でドタドタと騒がしい音がする。一拍おいて入り口の扉が開いた。予想通り入ってきたのは、見回りという逃避行動を終えたストーゼンと、ラヴィーユだった。
ストーゼンの首はスフィアと目が合わないように、きっちり九十度横に捻られている。
前を向いて歩かないとぶつかるぞ、と思っていれば案の定、執務机に足を引っ掛け転んでいた。慌てたフィオーナがすっ飛んで行き、助け起こす。きっとフィオーナは良い奥さんになるだろうから、ストーゼンには大切にしてほしいものだ。
――そう言えば、うっかり二人をくっつけちゃったけど……この場合、アルティナお姉様はどうするのかしら。
一瞬脳裏に不安が過るが、すぐに、大丈夫か、との思考に落ち着く。さすがにアルティナも、彼女持ちの男は好きにはならないだろう。ジークハルトに心を奪われたときも、付き合っている人はいるのかと確認していたくらいだ。
――そういう気高い倫理観を持っているところも、素敵なのよね!
ゲームの世界だからと言って、存在する者達もシステマチックというわけではない。彼ら彼女らは生身である。だからこそスフィアも、自分の意思で行動できているのだし。
生身のアルティナに触れる度、アルティナを知る度、スフィアは彼女の幸せを、より強く願うようになっていった。
プライドが高くて、ちょっとワガママで。でもその矜持と欲望に見合った人間になろうと、懸命に背伸びして振る舞ういじらしい姿。全身で『私の生き様』を楽しんでいる彼女は、誰よりも輝いて見えた。
「あら、スフィアったらニヤニヤしてどうしたの?」
「えっ、私ニヤニヤなんてしてました!?」
リシュリーの声で我に返るスフィア。慌てて緩んでいた表情筋に力を入れる。
――いけない、いけない。お姉様の事を考えると、どうしても頬が緩んじゃうわ。
すると、今度はストーゼンの元から戻って来たフィオーナが、ニヤニヤとしだす。
「あらあらあら~? もしかして、ラヴィーユが戻って来たのが嬉しかったのかしらぁ?」
「そ、そんなことは……」
チラ、とラヴィーユに視線を向ければばっちりと目が合う。スフィアは慌てて視線を逸らした。
ラヴィーユの方は、少々気まずそうにコホンと咳払いをして、フィオーナを一瞥する。
「フィオーナ、あまりスフィア嬢を揶揄うなよ。彼女もいい迷惑だろう」
「いえ、そんな……私は……」
フィオーナが、スフィアとラヴィーユを交互に見遣り「あらあらあら~」と楽しそうな声を漏らせば、部屋は一気に、得も言われぬ気恥ずかしさに満たされた。
「……………………仕事してよ」
一人、雑務処理に追われるブリックであった。
◆
夕食を済ませたスフィアは、腹を休めるためにベッドに横になった。
「興味ない……ねえ」
ラヴィーユ=サルバは、間違いなく『100恋』の攻略キャラである。必ずスフィアに好意を寄せる危険人物の一人だ。
本来ならば出会う時期も、好意をよせる時期も、ゲームストーリー通りのはずであった。しかし、スフィアがシナリオを壊し始めたことに対する反撃として、世界が予定調和を強行しはじめた為、その時期が今では不明瞭になっている。
確かに、まだ好意が芽生えていない状態で知り合うこともある。先のトレドなど良い例だ。今回、スフィアも最初は、既に好意を抱かれているのはストーゼンだけだと思っていた。あまりにも、ラヴィーユの態度が普通だった為に。
だが、そんなはずは――
「――ないわよねえ?」
トレドパターンかと思いきや、彼は違う。彼はあまりにも『普通すぎる』のだ。たとえ本当にスフィアに好意を抱いていない者でも、彼女と関われば多少なりの照れや、喜色を見せてきた。そうした普通が一切ないのである。
そして、今日のリシュリーの報告で、『好意は既に抱かれている』と確信した。
本当に興味がなければ、リシュリーにわざわざ「興味がない」などと言う必要はないのである。
下手をすれば、失礼ととられかねないこの発言。渉外という、交渉力や空気を読む力が必要となる役職を受けた者が、そのような迂闊なことをするはずがない。なんの意図もなしに。
では、なんの意図が隠されているのか。
「随分と古典的な方法を使うのね、彼」
わざわざリシュリーというスフィアと近しい者に、口に出して言うという事は、伝えてくれと言っているようなもの。それはつまり、『君に興味がない俺の存在を知ってくれ』と言っているのと同じである。
押してダメなら引いてみろ、と言うことなのだろう。
「どうせ、モテて当然って思ってる女には、自分に興味がない男は新鮮に映るだろう――とか思ってんでしょうね」
交換視察も残り二日。ならば短期決戦といこうではないか。
「いいわ、乗ってあげるわよ、その勝負」
ヒロインの本気を見せてやろう。




