17.完全勝利S
ストーゼンは心同様に跳ねそうになる足に力を入れ、平然として歩く。彼の手には、レース柄の愛らしい封筒が。ニヤつきそうになる口元を手で押さえながら、はやる気持ちを深呼吸で落ち着かせる。
「これで、あの薔薇は僕のものだ」
しかし再び手の中の封筒に視線を落とせば、自然と笑みも漏れる。
朝、学院に来てみれば、机の中に忍ばされていた手紙。差出人の名前は記されていなかったが、隅に刻印された赤薔薇の画を見れば、誰からなのか察せられた。チラ、と彼女の席に視線を向ければ、いつもなら既に席に着いているはずの時間なのに、そこに姿はなかった。
「『もう一度、あなたの気持ちが聞きたいです。答えはその時に。礼拝堂でお待ちしております。その時は、どうぞ私の事を――』か。実に愛らしいな」
思い出した手紙の内容を口にすれば、そこに書いてあったささやかなお願いの可愛さに、ストーゼンの眉も下がる。
「随分と、勿体ぶるじゃないか。昨日から実に待ち遠しかったよ」
わざわざ礼拝堂という、いかにもな場所にまで呼び出して。しかも、席にいなかったという事は、彼女は既にそこで待っているのだろう。なんといじらしい事か。
ディートリヒの生徒会長に就任して、どこかと交換視察でもという話が上がったとき、真っ先にロンバルディア(この学院)を指名した。パーティで一際目を惹く彼女と知り合えるかもと。あわよくば、その先まで関係を進められるかもと。
女性は皆美しい。優しい言葉を掛ければ、花が咲いたように微笑む。囲まれて過ごすのなら、むさ苦しい頭でっかちや筋肉達より、香しい花々だろう。それを女好きだと罵る者もいるが、ただのやっかみだ。男なら、誰だって美しい花を侍らせたいものだろう。
そして侍らせるのなら、沢山のかすみ草よりも、大輪の薔薇。
「まったく靡かないなんて噂を聞いていたけど、なんだ。他の男共に甲斐性がなかっただけじゃないか」
どうせ、その美しさに物怖じして、声さえ掛けられなかったのだろう。実に情けない。
「ま! 僕は他の奴等とは違うからな!」
ストーゼンは道行く生徒を捕まえては礼拝堂の場所を聞き、ようやく辿り着いた。扉を開ければ、正面の神像が、背後にあるステンドグラスからの光を浴び、いかにも神々しく輝いている。
そしてその手前には、入り口に背を向け祈るように神像を仰ぐ、赤髪が美しい女子生徒が。ステンドグラスの青や黄や紫の光が髪に落ち、得も言われぬ神秘さを放っている。
「まるで、女神のようだ」
女子生徒の肩がビクリと跳ねた。
「驚かせてしまったかな」
天井が高い礼拝堂では、少しの音でも良く響く。ストーゼンの足音がコツリ、コツリ、とゆっくりと女子生徒に近付き、それは女子生徒の真後ろで止まる。
次の瞬間、ストーゼンは背後から彼女を抱きしめた。
「待ち遠しかった……今日一日君の事が頭から離れなかったよ。僕の愛しい人」
ストーゼンの耳には、彼女が息をヒュッと吸う音が聞こえた。歓喜に震えているのだろう、とストーゼンは抱く腕の力を一層強くする。
二人の距離は、今や他の者が入る余地などなかった。掛ける言葉からもすっかり距離感はなくなっている。既にストーゼンの中では、彼女は『俺の女』になっていた。
「僕の気持ちを聞きたいんだったね、愛しい人。教えてあげるよ。初めて会ったときから、ずっと好きだった。この美しい髪も、華奢な手も……でも、本当に好きなのは君自身だよ。隣で僕の話を愛らしい笑みで聞く君が好きだ。これからもずっと隣にいて欲しい」
ストーゼンは身体をゆっくりと離した。触れ合っていた胸の部分がヒヤリとして、もう一度、目の前で震えている彼女を抱きしめたくなる。
「さあ、僕の愛しい人。恥ずかしがらずに、今度は君の返事を聞かせて欲しいな。そうしたら、まずは君の家に挨拶に行って――」
「――っ嬉しいわストーゼン!」
まだ肩をすぼめて震えている彼女の身体を振り向かせようと、ストーゼンがその肩に力を入れた瞬間、よく聞き慣れた声が胸に飛び込んできた。
状況が飲み込めず、ストーゼンは「え、ん、お!?」と言葉にならない声を漏らす。
「ストーゼン、私もずっと前から好きだったの! もうっ、初めて会ったときからだなんて、もっと早く言ってくれれば良かったのに」
「え!? あ、フィオーナ!?」
「やだもう、そのまま愛しい人って呼んでくれて良いのよ」
ストーゼンに抱きつき、全身で喜びを露わにするフィオーナ。その目尻には涙が溜まっている。
「ちょちょちょ、え、待ってくれ! そ、その髪色はどうしたんだい!?」
そう、ストーゼンの視覚情報と聴覚情報がしばらく一致せず混乱していた原因は、フィオーナの髪色にあった。
本来彼女の髪色は金である。くるんと巻かれた髪はいつもツインテールに結ばれているのだが、今、彼女の髪は透き通るような赤に染まり、結っていた髪は、ほどいて背中に流してあった。
背格好が似ていることもあり、後ろ姿だけ見れば、誰かと勘違いしても無理はないだろう。
「あ、これ? ストーゼンが赤髪が好きだって聞いたから、染めちゃったの」
「どう、似合う?」と、フィオーナは無邪気に笑う。つられてストーゼンも笑うが、その笑顔はぎこちない。
「う、うん、よく似合っていると思うよ。ただ、さ、実は僕が好きなのはス――」
「まあまあまあ、おめでとうございますわぁ!」
「スフィアさん!?」
その先は言わせないとでもいうように、ストーゼンの言葉を遮り、盛大な拍手と共に姿を現したのは、正真正銘の天然赤髪の持ち主であるスフィアだった。
スフィアは拍手喝采しながらフィオーナの隣に並ぶ。
並べば髪の赤色が多少違う事も分かるが、それもステンドグラスの色を被った状況では判別しづらい。
「ね、言った通りでしたでしょ、フィオーナさん。ストーゼンさんもあなたの事を想ってらっしゃるって」
「ええ! 本当にありがとう、スフィアさん!」
両手を絡ませあい、「ねー」と鏡合わせのように首を傾げる二人の会話は、ストーゼンの理解許容度を超えていた。
「ま、待ってくれ、スフィアさん! これは一体どういう事だい、フィオーナ!?」
「やだぁ、スフィアさんが来たからって呼び方を変えなくて良いのよ? フィオーナじゃなくて、ずっと愛しい人って呼んでほしいわ」
「きゃあ、らぶらぶですね! 愛しい人だなんて」
「だって、あれは手紙に……っ」
ストーゼンの困惑など、歓喜に騒ぐ今の二人の耳には届かない。
実は、ストーゼンの言う手紙には、『どうぞ私の事を、あなただけの名前で呼んでください』と書いてあった。フィオーナ相手に『スフィア』などと声を掛けられて貰っては、ややこしいことになるからだ。
当然、この手紙を机に入れたのはスフィアである。
フィオーナにはストーゼンの呼び出しは自分任せて、礼拝堂で待っていてくれと、先に向かわせてあった。赤髪に染めたのがバレては、計画に支障が出てしまう。
結果、今のこの状況である。
それにしても、どんな呼び方で来るかと思えば、『愛しい人』とは。さすが、キザというか、なんと言うか、ナンパ野郎である。
「き、聞いてくれ! 僕は本当は君に――っん!」
先日のようにスフィアの指がストーゼンの唇を塞ぐ。状況だけ見れば同じだというのに、そこに甘い雰囲気はなく、押し当てられた指先からは仄かな殺気さえ漂っている。
「ええ、ええ、分かっておりますとも。これが本当の愛というのを、私に見せてくださったんですよね、ストーゼンさん」
素晴らしい、とばかりに目を細め讃えるスフィアだが、その瞳の奥に光はない。思わず言葉をのんでしまうストーゼンであったが、しかし彼も、クラクラする頭を支えながら食い下がる。
まだ話せば分かってもらえると思って。
「ち、違……っ、僕は君だと勘違――」
「え、まさか――」
しかし、スフィアがその意図を汲み取ることはない。
「フィオーナさんの髪色が変わったから、彼女とは分からなかったとか、髪色が似ている誰かと勘違いした、などという事はありませんよね? え、そんなまさか……ストーゼンさんは、容姿だけで人を判断するような、そこらに散らばる浮薄な有象無象のクズみたいな男性なんですか!?」
流れるような追い込み。
おののくようにして、ストーゼンに軽蔑のこもった目を向けるスフィア。整った顔というのは、どうしてこうも見る者に恐怖を抱かせるのか。眉を顰め、目を眇めたスフィアの表情は、ストーゼンの心を一瞬にして凍らせた。
「ぃ、や……その……そんな、事は、ない、けど…………」
「あぁ、良かった」とスフィアの表情が晴れる。
「やはりストーゼンさんは他の方達とは違いましたね! 髪色が変わっても見つけると仰ってましたし、その言葉は本当だったんですね。これで私も、男の方の言葉を信じることができます! ストーゼンさんのように紳士で、誠実で、女性を大切にする方もいらっしゃるんですね」
畳み掛ける精神圧迫。
確かに、全てストーゼンがスフィアに言った事である。もしここで、「髪色が同じで間違えて告白してしまった」などと言ってしまえば、スフィアからは軽蔑され、何より自分も、そこら辺の男達と同じだと言っているも同然であった。スフィアが信じられないと言っている、そこら辺のクズと。
もはや否定しても肯定しても、ストーゼンにはスフィアと結ばれる結果は存在しなかった。結果、ストーゼンは必然的に黙るしかなかった。
「そう言えば、ストーゼンさんは確か『僕は、僕だけを見つめてくれる人を一生大切にする』とか何とか仰っていましたよね」
「きゃあ! 一生だなんて、もうっ! あ、そう言えばさっきも、この後、私の家に挨拶にって」
「良かったですね、フィオーナさん!」
「ええ、さっそくお父様にも知らせなきゃ!」
有無を言わせぬ板挟み。
もうストーゼンは口を開く気力もないのか、あれだけよく動いていた口から言葉が出ることはなく、静かに俯いていた。
「善は急げよ! さあ、ストーゼン行きましょう!」
嬉々としたフィオーナに引っ張られるようにして、ストーゼンは礼拝堂を退場した。その二人の背を、スフィアは「末永くお幸せに~」と、晴れやかな笑顔で手を振って見送った。
ひょこり、と礼拝堂に並んだ長椅子の影から、二つの頭が飛び出す。
「行くも地獄、退くも地獄ね」
「前門の虎、後門の狼だよ」
リシュリーとブリックがボソリと呟いた。
「ブリックがコソコソしてるから付いてきてみれば、予想以上に楽しいものが見られたわ。さすがあたしのスフィア。こうやって男共を振ってたのね。容赦無いところが素敵だわ」
「その感想はひどいと思うけど……まあ今回はフィオーナ嬢もいるし、ギリギリ大丈夫そうだね。心配で来てみたけど、思ったよりひどくならず良かった」
「何が大丈夫なの?」とリシュリーが首を傾げれば、ブリックはケロッとしてこたえる。
「え、ストーゼンの精神。せめて交換視察を終えるまでは、仕事して貰わなきゃいけないからね。いつもは灰さえ残らないけど、今回は灰程度は残ったから良かったよ」
「……あなたも中々にひどいと思うわよ」
同じ男だというのに同情さえせず、仕事の心配をするブリック。
しかし、たった今一人の男の精気を根こそぎ奪っておいて、「皆ハッピーで私もハッピー」と鼻歌を歌いながら、スキップで礼拝堂を出て行くスフィアを見て、二人は「あれが一番ひどい」と声を揃えた。
――――ディートリヒ貴幼院生徒会長・ストーゼン=トッズ 改変完了




