14.私は恋する乙女の味方です!
「ねえ、スフィアさん。ちょっとお話良いかしら」
初日の授業を終えた放課後、帰り支度をしているたスフィアは、同じクラスで授業を受けていたフィオーナに呼び止められた。フィオーナの表情は、不服に口が歪んでおり、とてもまだ他の生徒が残る中で話せるような話題ではないと察せられた。
スフィアは「こちらへ」とだけ言い、先に教室を出る。フィオーナも大人しくスフィアの後に付き従い、普段は誰も立ち入らない廊下の突き当たりにある階段を上った。
行き着いた先は、鍵を持つ者だけが入れる秘密の空間――屋上。
「へえ、一生徒が屋上の鍵なんで持ってるのね。今までも、色んな男をここに引っ張り込んできたのかしら?」
「そのような使い方はしませんよ。こちらの方がフィオーナさんも、気を遣わずにすむかと思っただけですから」
まるでフィオーナの用件を分かっているとでも言うようなスフィアの態度に、フィオーナはグッと息を詰めた。
「そう、じゃあハッキリ言わせて貰うけど……ストーゼンに色目を使うのはやめてもらえるかしら」
「勘違いですよ、色目なんて使ってませんから」
「嘘ばっかり。さっきだって、授業中にストーゼンの方を見てたじゃない」
「あら、授業より私の方を気にして下さったんですね、光栄です」
「ふざけないで!」
六日間、ロンバルディアの預かりとなるフィオーナ達も、一緒に授業を受けることになる。面倒を見やすいようにと生徒会役員のいるクラスに配置されるのだが、ラヴィーユはリシュリーのクラスに。ストーゼンとフィオーナはブリックとスフィアのクラスに籍を置いていた。
「ス、ストーゼンは、誰にだってあんななのよ! 今までだって、沢山の女と親しくなったけど……っ、長くは続かなかったんだから! だから、あなたも彼が優しい言葉を掛けてくれるからって、勘違いしないことね!」
勢いよく指をさされ、「あなたも有象無象の一人よ」と言われたスフィアより、言っているフィオーナの方が悲しそうに目を眇めていた。ふるふると唇を震わせ、目を真っ赤にして感情を高ぶらせている。
「フィオーナさんは、ストーゼンさんの事が好きなんですか?」
尋ねはしたが、スフィアはフィオーナがストーゼンの事を好きだと確信している。好きでなければ、あれほど鋭い視線を他人に向けはしないだろう。それにこうして、わざわざ釘を刺すことも。
「好きじゃないわよ……ただ、幼馴染みとして心配してるだけよ。彼の甘言を本気にした女が逆恨みして、彼に危害を加えやしないかって」
心配というには、その声には寂しさが滲んでいる。スフィアをさしていた指は、今はフィオーナの胸の前で落ち着きなく動いている。
「いい? 私はあなたの事を思って言ってあげてるのよ。自分だけが特別だなんて思わないで。あなたの赤髪が物珍しくて声を掛けてるだけなんだからね!」
「あ、フィオーナさん!」
フィオーナは言いたいことを言うと、スフィアを残して屋上を出て行ってしまった。
「…………いや、どう考えても好きでしょ」
スフィアだとて、好きでストーゼンの事を気にしていたわけではない。この六日の間で、どうやって恋心を刈り取ってやろうか、と思案していただけである。
スフィアは腕を組み、「うーん」と難しい声を出した。
フィオーナがストーゼンを好きならば、ぜひともそちらで結ばれて欲しい。自分には、他人の想い人をとるような趣味はないのだから。
フィオーナの敵意は理解できる。しかし、だからと言って、ストーゼンと全く関わらないようにする事も難しい。生徒会の仕事という面もあるが、こちらから距離を置いたところで、恐らく彼は引き下がりはしないだろう。
「まあ、やれるだけやってみようかしら」
恋する乙女を悲しませるのは、本意ではないのだから。
しかしやはり、事はそうスフィアの思う通りには運ばない。
「スフィアさん、せっかくこうして縁を持てたのですから、今度うちのパーティーに来ませんか。様々な家の方達をお招きするのですが、スフィアさんならその中でも、とびっきり目立ちますよ。このルビーのような髪は誰も持ち得ませんから」
スフィアが距離を置こうとするも、暇があれば、ストーゼンは必ずスフィアに声を掛けた。やれ赤髪が美しいだの、やれ顔が可愛いだの、やれ声が好きだのと、褒め言葉のオンパレード。普通の者ならば、頬を赤くするのだろうが、スフィアの顔色は全く変わらない。
家に帰れば、もっとひどい褒め言葉で褒め殺してくる輩がいるのだから、この程度へでもない。
「とても素敵なお誘いですが、あいにくまだ殿方の家に行くのは父と兄が許しませんので」
「それは残念です。しかし、あなたとの出会いを、たった六日で終わらせたくはないんですが」
「まあ、お上手」
「ストーゼン、そろそろ授業が始まるわよ」
是も非も言わずスフィアが躱し続けていれば、フィオーナがストーゼンに声を掛けた。ストーゼンはまだ言い足りないという顔をしながらも、「続きはまた後で」との言葉を残し、自分の席へと戻って行く。
その最中に、ちょうど休み時間を告げるチャイムが鳴れば、フィオーナが「ほらね」と勝ち誇ったような悪戯顔で微笑みかけていた。
――なるほど、彼にはあんな顔を向けるのね。可愛いわね。
スフィアはようやく解放された安堵から、ふう、と溜め息をつく。その時、スフィアは肩口に穴が空くような視線を感じた。裁縫針が刺さるような、チクチクとした可愛らしいものではない。まるで槍のような、振り向けば刺し殺されそうな凶暴な視線。分かっている。誰からの視線か。
スフィアを見る顔は、ストーゼンに向けていた顔とは天と地である。
二度目となる溜め息を薄く漏らせば、隣のブリックが声をひそめ話し掛けてきた。
「積極的だよね~、彼」
どうやらブリックも、ストーゼンのスフィアへの態度に友人以上の感情があることを、把握しているようだ。
「恋愛より交換生としての仕事の方に、積極的になってほしいんですけどね」
「はは、確かに。でも仕事は仕事で、きっちりやってるんだよね。そこはさすが生徒会長だよ」
仕事も出来て、女性にも積極的とは。何だ、バイタリティの塊か。間違いなくモテるキャラではないか。
事実、彼が自分の席に戻る僅かな道でさえ、花道のようにキャアキャアと女子生徒から声を掛けられている。きっと、スフィアの知らないところでは、別の女子生徒にも声を掛けているのだろう。アグレッシブの塊か。
ゲームの中でもストーゼンは、フィオーナが言った通りナンパなキャラであった。
長めの淡い茶髪に、穏やかな目元、口は常に弧を描いており、そこから飛び出す言葉は糖分の塊。まさに優男という言葉を擬人化したような風情があった。様々な令嬢に声を掛けては、浮名を流すプレイボーイ。その中でスフィアと出会い、真実の愛を知り、一途な男に大変貌をとげハッピーエンドというのが本来の流れである。
――まさか、彼の近くにこんなに一途に思っている令嬢がいたなんて。
チラと後ろの席を振り向けば、黄色い声を掛けられているストーゼンを、悲しそうに見つめるフィオーナの顔が。意中の相手がこうも女に囲まれていては、彼女も気の休まる暇がないだろう。
「よし! 今回は、私がひとはだ脱ぎましょう!」
たとえ敵意を向けられようと、嫉妬からくるのであれば可愛いもの。スフィアは、アルティナとダブってしまうフィオーナの悲しい顔を、このまま見過ごせはしなかった。
「…………何を決意したかは知らないけど、この交換視察に影響ない範囲でよろしくね」
しっかりと『誰に』『何をする』のか、分かっているではないか。さすが学内一の頭脳。しかも、以前の彼なら隣で戦々恐々としているだけだったろうに、今では驚きもしない。淡々と黒板の文字をノートに書き写している。
「随分と大人になりましたね、ブリック」
「僕が子供でいられる時間は、一年生の初っぱなで終わったからね。誰かさんのおかげで」
「まあ、早熟~」
「完熟した人に言われてもさ……」
ブリックは疲労の滲んだ顔で「ハハッ」と自嘲した。成人したら完熟梅酒でもおごってやろう。




