13.楽しい視察のお時間です
視察というから、果たしてどれほど凄いことが行われるのだろうと思っていれば、何のことはない。各学院の生徒会から二名ほど選出し、それぞれを入れ替えて六日間過ごしてみるというものだった。
学院の特色はその生徒会の運営によって様々である。そこで、外からは見えない実情というものを身をもって経験し、良い部分は持ち帰り自分の学院にも反映させようという相互発展が目的である。
スフィア達ロンバルディア貴幼院からは、運営の長である生徒会長のガルツと、この話を纏めてきた本人であるカドーレが。相手のディートリヒ貴幼院からは、同じく生徒会長のストーゼンと、渉外のラヴィーユが。そしてもう一人、副会長のフィオーナが交換生として、それぞれ相手の学院を訪ねていた。
自己紹介も済ませ、スフィアとリシュリーが、交換生唯一の女子生徒であるフィオーナに校内を案内して回っていた。男子生徒の方はブリックに任せてある。
「分からない事があったら、何でも言って下さいね、フィオーナさん」
「どこの学院も同じような造りしてるんだから、分からない事なんてないわよ。それに、一々あなたに聞かなきゃ分からないほど、私は子供じゃないわ」
「それは……失礼しました」
なにやら随分と棘のある言い方である。フィオーナは、隣を歩くスフィアと反対方向に顔をプイと向けてしまった。頭の高い位置で結われた、巻き髪のツインテールが大きく揺れる。それは彼女が歩くたびに、感情の高ぶりを現わすように、びよんびよんと揺れ続けた。控え目に見ても、友好的とは言い難い態度である。
――私、何か失礼な事でも言ったかしら?
しかし失礼を働けるほど、まだ言葉も交わしていない。それにフィオーナの態度は、自己紹介の前から既にあやしかった。
最初は、無理矢理に交換生として連れて来られ、不安だからだろうと思っていた。しかし、フィオーナがリシュリーに向ける顔は、スフィアに対するものとは正反対だった。
「あっ、リシュリーさん。あちらの丸い屋根の建物は何ですか?」
「え、あ、あぁ……あれは温室だけど……」
フィオーナのあからさまな態度の違いに、リシュリーの方が困惑していた。チラチラとスフィアに目で『どういう事?』と合図を送るが、スフィアも訳が分からず、苦笑と共に肩をすくめることしかできない。まあ、理由はなくとも生理的に無理という相手も存在するだろう。
結局、三人でいると気まずくなるので、校内案内はリシュリーに任せ、スフィアは先に生徒会室に戻ることにした。
副会長用の執務席に座り、スフィアはフィオーナの釈然としない態度を思い出す。
――あれは、明らかに敵意を含んでる目よね。
スフィアはフィオーナの名をぶつぶつと口にしながら、記憶を探る。机の上で、指がトントントントンとメトロノームのように一定のリズムを刻む。
しかし、いくら過去を探し、乙女ゲームの情報を掘り起こしてみても、彼女の名など出てきはしない。
――だとすると、やっぱりこの交換生の件でかしら?
「交換生……ねえ」
ディートリヒ貴幼院の生徒会役員の名を見た時、これは良い機会だと思った。その役員の中に攻略キャラの名があったのだ。しかも二人も。
「まさかその二人が、両方とも交換生として来るなんて。すごい確率ね」
侯爵家令息の『ストーゼン=トッズ』と、伯爵家令息の『ラヴィーユ=サルバ』。二人共ストーリーでは、社交界に出てから出会う予定になっていたから、やはりこの出会いは世界がお膳立てしたものなのだろう。「さあ、惚れろ!」と言わんばかりに。
「惚れるわけないでしょ」
こちとら、十年以上も片想いをこじらせているのだ。いい加減に世界も気付いて欲しい。アルティナが幸せにならなければ、この世界はシナリオ通りには進まないという事を。
「丁度良い機会だし、あの二人はサクッと刈らせてもらいましょう」
ではどうやって刈り取ろうか、とスフィアが考えを巡らせ始めたとき、生徒会室の扉が開いた。どうやら途中で合流したらしく、部屋に入ってきたのは五人一緒だった。
途端に部屋が騒がしくなる。
「おや、スフィアさん。先に戻られていたのですね」
「ええ、ちょっと急ぎの仕事を思い出しまして」
さすがに、『おたくの女子が私を嫌いなようなので』とは言えないので、適当に茶を濁す。ストーゼンは応接セットの方へ向かう四人から離れ、スフィアに近寄る。
「生徒会の仕事で手伝えることがあれば、何なりと言ってください。僕も一応はディートリヒの会長ですから、少しくらいはお役に立てるかと思いますよ」
「まあ、少しくらいなどと、ご謙遜なさらなくても」
椅子に座るスフィアの背後から、包むようにして両肩に手を置くストーゼン。覗き込んでくる顔には、分かりやすい好意の色が見えている。
スフィアがよそ行き用の微笑みを向ければ、ストーゼンの細められた目の奥に浮かぶ欲の色が濃くなる。
「しかし、まさかこうしてスフィアさんとお話しできる日が来るとは、夢のようです」
「どういう事です?」
「実は以前より、王宮のパーティなどであなたを見かけていまして。とても美しい赤髪は、いつも僕の目を釘付けにしました。その度に声を掛けたいとずっと思っていたのですよ。まあ、僕に意気地がなく結局、今日この日まで声を掛けることは出来ませんでしたが」
スフィアは「まあ、光栄です」と、頬に手を添え恥ずかしがる素振りを見せる。
しかし、スフィアは既にストーゼンの性格を知っていた。彼がそのような殊勝な人間ではない事を。
「ロンバルディアと交換視察をという話が持ち上がったとき、もしかしたらと思いましたが、まさか生徒会に居られたとは。いえ、あなたのように素敵な方でしたら、生徒会にいて当然でしたね」
意気地がないと言っていたわりには、その口からは次から次へとスフィアを称える賛辞が出てくる。次第にスフィアの方が答えに窮してしまい、返答が愛想笑いだけになっていく。
その時、ピリッ、と肌を焼くような鋭い視線をスフィアは感じた。
「おいおい、ストーゼン。その辺でいい加減にしとけよ、まだ初日だ。スフィア嬢も困ってるだろ。ったく、お前の悪い癖だよ」
「ひどいなあ、ラヴィーユ。それじゃあ、まるで僕がただの女好きみたいに聞こえるじゃないか」
「実にその通りなんだがな」
目の前の応接ソファから身体を反らして、スフィアとストーゼンに顔と声を向けるラヴィーユ。彼と目が合えば、「悪いね」とばかりに、片手と苦笑を向けられる。
ストーゼンの態度と比べ、同じ攻略キャラではあるが、ラヴィーユの態度はごく普通のものに感じられた。
――あら? てっきりさっきの鋭い視線は、ラヴィーユのかと思ったんだけど……。
同じ攻略キャラ同士、スフィアに対するストーゼンの態度に嫉妬したラヴィーユが向けたものだと。
しかし彼の態度からは、嫉妬など感じられない。先ほどの台詞も、ストーゼンを追い落とそうとしたものではなく、単に揶揄っただけという雰囲気である。
じゃあ一体、とそこまで考えて、スフィアはその視線を向ける主に気付いた。
――フィオーナ!?
ラヴィーユと対面してソファに座っているフィオーナ。つまり、ラヴィーユを挟んでスフィアとも対面していることになる。身体の大きなラヴィーユが身体を傾いだ時、チラと彼女の顔が見えた。その表情は、案内していたときとは比べものにならないほどの敵意に満ちていた。
その彼女の視線が一瞬、隣のストーゼンに向けられる。瞬間、僅かではあるが顔からは険が消え、かわりに切なさが目尻に現れていた。その表情はまさに恋する乙女。
――あ~、なるほどね。
最初から向けられていたフィオーナの刺々しい態度の理由が分かった。
視線をストーゼンからスフィアに戻したフィオーナの顔には、やはり嫉妬が滲んでいる。しかしスフィアは厳しい視線を向けられてももう、訳が分からないと首を傾げることはなかった。綺麗に微笑んで、真正面からフィオーナを見返した。
ストーゼンの好意は丸出し。
フィオーナの敵意も剥き出し。
スフィアの策略待った無しであった。




