7.普通の令嬢をお求めで?
「まあ、ブリックは置いといて……」
置いておかれたブリックは、ガルツにいじけた目を向ける。ボソリ、と「学食一週間分ね」と言っているあたり、本当に強くなったものだ。
成長しているのは、当然スフィアだけではない。
ブリックは、体格の成長はガルツには敵わないが、精神面での成長は著しいものがあった。入学当初はガルツの腰巾着のようだったのに、今やこのようにガルツに言い返したりもする。以前その事について、ブリックに大丈夫なのかと尋ねれば、「ガルツの怖さなんか、誰かさんの比じゃないからね」と言っていた。
誰かさんとは誰だろうか。
加えてその後、ブリックは「それにガルツも昔とは違うしね。今更僕たちの間に、家の問題を持ち出しはしないよ」と、笑って嬉しそうに付け加えていた。
「それで、この手紙の山はいつもどうしてるんだ? まさか……捨てたりとか」
ガルツが怯えた目でスフィアを見る。目が『やりかねない』と言っている。失礼な。
「そんなひどい事はしませんよ。母からも『殿方からの手紙にはお返事を』と、いつも言われていましたから」
おかげで第三王子様からの手紙にも、未だに丁寧に返事を書いている。『不可』と。
時折は先日のように、交換条件を織り交ぜて返事をしているので問題はない。現状、アルティナと
繋がるには、彼の存在が一番手っ取り早い。遠ざけたいのに遠ざけられないパラドクスである。
「なので、いつもはその場でお返しするか、後日封筒に付き合えませんと書いて机の中に忍ばせるかしてたんですが」
「うわぁ」と二人の顔が引きつっていた。
「どっちにしてもヒデェよ。その場で返すか、封筒に書いてって……結局、読まずに突き返してんじゃねぇ――んんっ」
突然、ガルツが喉を押さえ咳き込んだ。
「あら、風邪ですか?」
「ガルツ、大丈夫?」
「いや、ちょっと最近声がな……」
スフィアとブリックは、「あぁ~」と納得の声を漏らした。変声期というやつなのだろう。
違和感があるのか、ガルツは喉を撫でながら、何度か咳払いして調子を整えている。
確かにガルツもブリック同様、随分と精神面の成長をみせていた。もう『俺様』などとは言わないし、肩で風を切ったりもしない。その上、近頃は三大公爵家という家格を持ち出す事を嫌がっている節もある。
しかし彼の成長は、精神面だけには留まらない。
特に身長はここ一年でぐんと伸び、体格や声も青年のそれに近付きつつある。ブリック含め、他の男子生徒より一歩リードした形になったガルツは、近頃では女子生徒に熱い目で見つめられていたり、手紙を渡されたりしているようだ。
対してブリックには浮いた話は聞かない。声も出会った当初から大して変わっておらず、可愛いままである。まだ少年の面影が残るブリック。ガルツの隣にいれば、嫌でもその残った幼さの方が強調されてしまう。
「大丈夫ですよ、ブリック。ブリックは後伸びなんですよ、きっと」
「……何で急にそんな憐れむような目で見てくるのさ」
スフィアが慈悲の目をブリックに向ければ、ブリックはその不本意な視線に口を引きつらせた。
「まあ、スフィアが変だって事は、僕達は嫌って言うほど知ってるけど……でも、この送り主達はスフィアを『普通の令嬢』って思ってるんだよね。可哀想に」
「知らないって幸せだよな」
手持ち無沙汰なのか、ブリックはラブレターを机の上に綺麗に並べ始める。
「なんですか、その言いよう。それじゃあまるで、私が普通じゃないみたいじゃないですか」
「お前を普通って認めたら、俺達の中の『普通』の定義が崩壊するんだよ」
「世界の均衡のためにも、断固として普通とは認めないよ」
スフィアが頬を膨らまし上目遣いで愛らしく拗ねる。大抵の男であればこれで完全に鼻の下を伸ばすのだが、二人は首を横に振り、確固たる意志でスフィアの異議を拒絶する。
――チッ! 本当に強くなったわね。
まあ、近くで嬉々として男達の精神を折っていく姿を見ていれば、否が応でも精神は鍛えられるだろう。
「それで、これも全部返却していくの? この量を?」
並べていたラブレターは、そろそろ机の端まで到達しそうだ。ずらっと並んだものを見て、ブリックは「うへぇ」と口を歪めた。全てに返事を書いて返却する手間を想像したのだろう。確かにこの量に返事を書くのは手間だ。
「そうですねえ。さすがに今回は多すぎますし、一つ一つは無理ですね」
いつも貰っても片手ほどだった為、一つ一つ対処してきたが、流石に今回は手法を変えねばならぬようだ。
「丁度良いです。最近は何もなかったですから、ここらで一度、注意喚起でもしておきましょうか」
スフィアのオブラートに包まれた言葉に、二人は「注意?」と首を傾げた。しかしスフィアは答えることなく、にっこりと意味深に微笑むばかり。
「はぁ、美しすぎるのも罪なものです」
「……マウント取られたあげくタコ殴りにされてる気分だよ、僕」
ガルツが優しくブリックの背を撫でた。
放課後、スフィアはにこやかな顔で、今朝方貰ったラブレターの束を手にしていた。
「それ持ってどうするの?」
「神経衰弱でもします?」
「出来るわけもねーし、やったらやったで差出人が不憫すぎて、まず俺達の神経が衰弱する」
「ほっそい神経ですね」
「お前のが規格外なんだよ」
スフィアがラブレターの束を整えるようにして、机にドンッと縁を叩き付ければ、ガルツは口を噤んだ。その目は泳いでいる。
しかし、確かに神経衰弱は出来ないだろう。同じ人から同じ日に二枚もラブレターなど貰わない。別の日でならあるが。事実、束の中には何枚か見知った名前のものもある。
やはり、何もなかった日々が長すぎたせいか。
――粘ったら手に入るような女って思われちゃ、困るのよね。
余計なものに関わる時間などないのだから。
こちとら刻一刻と、デビュタント(タイムリミット)が近付いているのだ。攻略キャラを見つけ、刈りながら、アルティナに愛を全身全霊で伝えるという使命を果たすには、いくら時間があっても足りない。主に愛を全身全霊で伝える時間が。
「さて、それでは準備に取り掛かりましょうか」
「準備って何の?」
「ふふ、知りたいですか?」
二人は知りたくないとでも言うように口角を下げたが、好奇心には敵わなかったのか、逡巡の後、小さく頷いた。
「では、まずバケツと枝を用意しまして――」
「用意しまして?」と、ブリック。
「中庭に行きまして――」
「行きまして?」と、ガルツ。
「燃やしまーす!」
「燃や……燃やすぅ!?」と、二人は息ピッタリに声を重ねた。さすが子分。通じ合うものがあるのだろう。
聞き間違いかと二人はスフィアに驚きの目を向けるが、彼女は聞き間違いではないと、にこやかに頷く。
「いや、まあ……面倒くさいのは分かるけどよ、せめて人目に付かないところで葬ってやれよ」
「何を言ってるんですか。人目に付かなかったら意味ないじゃないですか」
「いや、スフィアこそ何言ってんの?」
いつものように、二人は「頭が痛い」と頭を抱える。
「だって、これが一番手っ取り早いんですよ」
二人の反応に、口を尖らせ心外だと反論するスフィア。二人は、一体何が手っ取り早いのかと首を傾げた。
「虫除けにですよ」
「何なら一緒にやります?」と、スフィアはまるで「お散歩に行きます?」とでも言うような気軽さで尋ねてくるが、二人は知っていた。これが、そんな平和な誘いではないということを。
「俺らに拒否権は?」
「ありませんね」
ガルツとブリックは、顔を覆った手の下で小さく溜息を吐き、下手に首を突っ込んでしまったことを後悔を滲ませた。




