43・終章の終わりは完膚なきまでに
「煙草もほどほどにされませんと、障りがありますよ」
そう声をかければ、レニはチラと横目でスフィアを一瞥した。
しかし何も言わず、すぐに視線を宙へと戻す。
柵に背を預け、その麓に座り込み無気力に煙草をふかすレニ。
スフィアが屋上へ踏み込んでもレニは気にした様子もない。いつもの威勢の良さは鳴りを潜めていた。
「ふふ、随分と大人しいですわね?」
「……うるさいな」
レニは乱暴に頭を掻き毟ると、舌打ちをして悪態をつく。そして持っていた煙草を地面に押し付け、その熱を乱暴に消した。
「悪いけど、君に付き合っている暇は――」
「お家の方で何か大変なことがありまして?」
スフィアから背けていたレニの顔が、ゆっくりと彼女を捉える。
「半年分程の富が一瞬で灰になったんですもの。お顔が暗くなるのも分かりますわ」
座っているレニの正面に立ったスフィアは、冷笑を浮かべ彼を見下ろした。
屋上を走る風はスフィアの柔らかな髪を巻き上げ、空から降り注ぐ陽射しは彼女の顔に影を落とす。
しかしその影の中にあっても、二つの鮮やかな緑は喜色を宿し、宝石以上の光を放ち輝いていた。
レニは瞬きすることを忘れ、口をわななかせる。
「何で……その事……」
スフィアは口元に薄い笑みを湛え、目を意味深に細めた。
「……まさか……まさかお前ッ!?」
目を驚愕と怒気に血走らせ、レニはスフィアに飛び掛かろうと腰を上げた。
しかしその動きは、スフィアの細い指一本で妨げられる。
白くか弱い指が、レニの額を押していた。
額に加わる力は僅かなものなのに、それだけでレニは上げようとしていた腰も足も、まるで重石を付けられた様に動かすことが出来なくなってしまった。
レニはどうにか自由に動く瞳だけでスフィアに怒気をぶつける。
「褐色の女と、赤髪のガキって聞いてたんだけどね……」
「ふふ、赤髪は貴方の様な赤褐色の髪だけではありませんわ」
スフィアは自身の髪を手に取ると唇を落とした。
その、年にそぐわない妖艶な姿に、レニは口を引きつらせる。
「ハッ! 確かに。私はもう一つの赤髪も知っていたはずなんだがな……まさか、どこぞの令嬢が絡んでるなんてちっとも思わなかったよ。……なぜこんな事を? やはり由緒正しい侯爵家令嬢は反道徳的な事が嫌いって事か?」
「いいえ? 私は生憎そんな高潔な使命感や正義感など持ち合わせておりませんの。そんなものは警吏や大人に任せますわ」
「だったら、何で――」
「私怨ですよ」
スフィアの顔がレニの顔を覗き込む様にして近付いた。レニは思わず息をのむ。
「先輩が悪いんですよ? 私をつまらない女だなんて言うから」
「は? まさか……それだけ……で?」
レニは驚愕に目を見張った。
「嘘だろ……それだけで人の家を傾かせたっていうのか?」
レニには目の前に居る少女が理解できなかった。
ぞわり、と全身を得体の知れない悪寒が駆け巡る。
「……ははっ……は、ははは! あはははははッ!」
レニは最早笑うしかなかった。
最初はレニも少しだがスフィアに興味があった。――周りが騒ぐ程の女とはどういうものだろうか、と。
そして実際に会って話してみると、その興味は失せた。どこにでも居る綺麗なだけの女と変わりないと落胆した。
今、あの時の判断が間違いだったと、自分の女を見る目もまだまだだとレニは痛感する。
「いいですか? その屋上の鍵は差し上げます。当初の約束通り、金輪際私には関わりませんよう。もし私に近付くことがあれば、今度はお家が傾くだけでは済まないと言っておきますわ」
そう言い切るスフィアをレニは「狂ってる」と思ったが、それは視界いっぱいに靡く燃える様な赤髪を見れば、言葉として出てくることはなかった。
まるで威嚇されている様な圧をレニは感じた。
言葉を紡ぐことが出来ないレニに、スフィアは満足げに深い笑みを刻む。
スフィアは床に押しつぶされていた吸い殻を拾うと、レニの胸ポケットに入れた。
「そろそろお止めになった方が……身のためですよ」
レニの耳元で囁くスフィアの声音は、癖になりそうな程甘かった。
スフィアはレニから身を離すと、「ごきげんよう」と言って屋上をあとにした。
◆
「へえ、それでレニ先輩はもう関わらないって約束してくれたんだな」
「ていうか、手を出すならレニ先輩にすれば良いのに……何で家の方に行っちゃうかなぁ?」
ガルツとブリックに事の顛末を少しだけ話せば、二人共眉を下げて呆れた様な顔になる。
「今回はたまたま何もなく終わったかも知れないけど、一歩間違えたら危ないところだったと思うよ? 本当、スフィアは手段選ばないよね」
「だって低い所から落とすより、より高い所から落とした方が衝撃は大きいじゃないですか」
スフィアは、ほほと口に手を当てながら微笑む。
「お前、一回病院で診てもらえよ。頭」
「本当だよ。その理論を人の精神に当て嵌めるのが異常だよ」
二人はもう慣れた、とスフィアの行動に驚きもしなかった。ただ、頭が痛いと言わんばかりに額を押さえていた。
「だって、本人だけへ復讐なんて簡単すぎじゃないですか。ああいう人は、自分が原因で家に不利を持ち込むのを嫌がりますからね。優等生ぶっているのもその為でしょうしね」
ただ闇雲に行動していたわけではないと知り、ガルツとブリックは一応は感心の声を漏らす。
「今になってどんな人間にちょっかい出してたか……僕は一年前の僕を殴りたいね」
「あの頃からやり直せるなら、俺も絶対お前には近付かない」
「ほほほ、そんなこと仰らず、これからも子分で居て下さいまし」
ガルツとブリックは、深く大きく長嘆した。
◆
レニは屋上へ向かって歩いていた。
まさか、一度は見下した女に痛い目を見せられるとは思っていなかった。
今ではあの涙さえ演技だったのではと疑っている。それ程に、レニにとって彼女の行動は衝撃的だった。
「――ったく、余計なもんに手を出したかな」
しかし、それももう片付いた事だった。
彼女の方から金輪際関わるなと言われたのだ。棟も違うし、もう彼女とは卒業まで会うこともないだろう。
「まっ、屋上の鍵は手に入れたからいいかな」
鍵はいつも朝一服に来てから、帰る直前までは開けたままにしていた。一々鍵を掛けるのが煩わしかったからだ。
レニは昼の時間でまばらになった廊下を通り過ぎ、階段を上る。
そしていつも通り開けたままにしておいたドアを開け、屋上へと出た。
風が心地良かった。しかし、どうにもここは昨日の事を思い出してしまう。
レニは苦い顔をすると、ポケットから煙草を一本取り出し咥えた。
「はぁ……」
まあ、家は少々大変なことになったが、正直自分への被害はほぼないといって良かった。
「卒業まであと半年だ。大人しく優等生するのももう少しだな」
ここで優等生の証を貰っておけば、レベルの高い貴上院へも希望できる。そうなれば跡取りとしての箔も付く。
レニは鼻で笑った。
「はっ、人生楽勝だ」
咥えた棒の先端に火を付け、肺を膨らまし一気に煙で満たす。
ふぅと溜め息の様に空に流せば、煙は入口の方へ流れていく。なんとはなしにその煙の行方を目で追っていると、あり得ないものが視界に映った。
「――は?」
視線の先――入口の壁の陰に立っていたのは教師のレナンドと、二度と見たくない程美しい髪色の彼女だった。
レナンドは顔に渋面を作っており、対して彼女は満面の笑みを湛えている。
「レニ……後で生徒指導室に来なさい」
不機嫌な声でそう言いながらレニの指に挟まっていた物を一瞥すると、レナンドはスフィアより一足先に踵を返した。
「だから言ったでしょう? やめた方が身のためだと」
スフィアもその後に付き従い、踵を返した。
「それと最初に、ちゃんと鍵は毎回閉めることお勧めしたはずですけどね」
スフィアは、レニが日中は鍵を掛けていないことを知っていた。
だから「何故か屋上の鍵が開いてます」と無知を装い、教師のレナンドへ報告した。屋上で見つけた吸い殻と一緒に。
そして貴族学院にあるまじき違反をしている者を見つけるべく、レナンドと共に屋上に一足先に来て潜んでいたのだ。
「まあ、もう二度と屋上へは立ち入れなくなるでしょうけど」
スフィアがドアを閉めれば、背後で「くそッ!」と至極悔しそうな声が聞こえた。
彼には誰に刃向かったか、しっかりと骨の髄まで刻み込んでいて貰おう。
「ごめんあそばせ、殿方様」
スフィアはとても綺麗に笑った。
後日、風の噂によると、優等生だったレニ=ライノフは停学処分を受け、六年かけて築き上げた優等生評価を、ゼロどころかマイナスにまでかえすという結末を迎えた。勿論、彼が持つ屋上の鍵も没収された。
――――腹立つ先輩・レニ=ライノフ シナリオ改変完了
第一章これにて終話です。
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