38・女は生まれながらの女優ですから
商船の中は、スフィアが思っていたよりも随分と綺麗だった。
船倉には今も運び出されている大きな木箱の積み荷が整然と並べてあり、その上は船員達の部屋など生活空間になっていた。
「わあ、凄いです! お船の中ってこんなになってたんですね! 格好いいです!」
スフィアが喜色の声を上げれば、男は少し誇らしそうに鼻を擦った。
「本当に格好いいです、皆さん! こんな大きな荷物も軽々持てるなんて、憧れますぅ!」
ここぞとばかしにスフィアが愛らしい声で男達を褒め称えれば、まんざらでもないと男達の口元は緩む。反対に、後ろを大人しくついて来るジークハルトからは、刺さる様な視線を背中に受ける。
――シスコンが狂気的過ぎるわ。
一体誰にヤキモチを妬いているのだろうか。
スフィアはジークハルトの凍てつく視線を無視して、男達に人懐こく話し掛ける。
「ところで、おじさま? この大きな積み荷には何が入っているんですの?」
どの木箱にもライノフの家紋が印してあった。その全てが釘で封されており、中身は一切分からない様になっている。
「これはね紅茶の葉っぱが入っているんだよ。南の方から取り寄せた美味しい茶葉さ」
「まあ! 紅茶でしたら、私も好きですわ。どちらで買えますの?」
「この町の茶屋に卸してたと思うから、そこにあるよ。あとでお兄さんと買いに行ってごらん」
男はスフィアと視線を合わせる為に腰を屈め、にこやかな表情を作ると、親指で船の外を示した。
「ねえ、おじさま……積み荷の中を見ることは出来ませんの?」
スフィアの言葉に男の動きが止まった。にこやかな表情はそのままだったが、その表面に浮かぶ温度だけが急速に冷えたようだ。
「……大事な大事な商品だからね。駄目だよ」
スフィアは男の瞳を覗き込んだ。
にこやかに細められているが、そこに明るい感情はない。
「それもそうですわね! ごめんなさい、無理なお願いをしてしまいまして」
スフィアは残念とでもいう様に大げさに肩をすくめると、男に頭を下げた。
下げたスフィアの頭の上で、男が微かに息をついた気配があった。
「ジークハルト兄様、もう十分見させて頂きましたわ! これ以上はお仕事のお邪魔になりますし、お暇しましょう?」
ジークハルトは待ってましたとばかりに、一も二も無く頷いてスフィアの手を取った。
「そうだね! もう十分だろう! さあ、今すぐお暇しよう! すぐに! 今! すぐに!」
挨拶も程々に、ジークハルトに手を引かれたスフィアは、足早に船を後にした。
◆
ジークハルトはスフィアの手を引っ張ったまま、一軒の食堂へと入った。
入ってみれば、食堂というより酒場の様な雰囲気だった。
ようやく陸に上がった船乗り達が、まだ日も高い時間だというのに、大きなジョッキで喉を鳴らしながら酒をあおっていた。
その場において、ジークハルトの薄手のシャツとパンツだけという軽装ならまだしも、スフィアのフリルたっぷりのドレスはどう見ても似つかわしくなかった。
案の定、食堂内に居た者達が珍しそうに二人を見ていた。
スフィアは居心地悪そうに身を小さくするも、ジークハルトはまるで気にもならないと、運ばれてくる食事や飲み物に口を付けている。
「ん? 食べないのかい、スフィア」
「いや、その……はい。いただきます」
このまま縮こまっていたら、ジークハルトに全ての皿を空にされそうだった。お腹も空いていたし、スフィアも観念して食事を始める。
ジークハルトが「パンサスの料理は美味しい」と言っていただけあって、運ばれてくる料理のどれもが絶品だった。
「兄様、おいひぃでぅね!!」
行儀が悪いと知りつつも、その美味しさに思わず声を上げて喜べば、ジークハルトも「そうだね」と笑っていた。
いつもの家で食べる手の凝った料理とはまた違った、味の濃い大衆料理にスフィアは舌鼓を打つ。
――あぁ、前世での居酒屋料理が懐かしいわ。
味覚まで引き継ぐのかどうかは知らないが、自分はどちらかというと庶民的な料理の方が好きだと知る。
二人、次々と手を休めることなくテーブルの上の料理を平らげていく。
しかし、意外だったのは自分の味覚だけでなく、純粋貴族という感じのジークハルトが全く抵抗なく大衆料理を口にしている事だった。
「兄様は、割とこの様な場所で食べるのに慣れてますの?」
そう聞けば、ジークハルトはひっきりなしに動いていた手を止めた。
「ん? あぁ、まあ。グリーズとよく学院帰りとか、狩猟帰りとかにね」
グリーズといえばグレイの兄であり、この国の第一王子だ。
「王子が、その……大衆食堂で食事をしてもよろしいんですか?」
王家の食事には毒味役が居ると思っていたが、勝手に監督外の所で食事をしてもいいのだろうか。それに、王子が来れば店の方も恐縮してしまいそうだが。
そんな疑問が顔にも出ていたのだろう。ジークハルトは、スフィアの気持ちを読んだ様に手を横に振った。
「大丈夫、大丈夫。グリーズも王子ってバレない様にちゃんと変装するし、まあ、大衆料理店で毒に当たる確率の方が低いしね。当たっても食あたりが精々だよ」
食あたりはセーフと考えているあたり、ジークハルトの第一王子に対する扱いは大分酷いと思う。
――それにしても、あそこの王家は兄弟揃って庶民に紛れるのが好きなのかしら。不良王子達ね。
不意にグレイの顔が思い浮かぶ。しかしスフィアは口に入れた海老の美味しさで、すぐにその影を頭から消し去る。
すると、突然テーブルの上に手が置かれた。
料理を映していた視界に突如現れたその腕は、褐色の肌を持ち、程良く引き締まった女性のものだった。
腕の曲線を辿って視線を上げていけば、豊かな黒髪を持った女性と目が合う。
少し吊り上がった蠱惑的な金の瞳と、パンサスの海の様に大きくうねる腰までの黒髪。それが彼女の褐色の肌と、女性らしさを存分に表わした曲線的な身体とも相まって、彼女の魅力を最大限に引き出していた。
「誰だろう」と思う前に、彼女が言葉を発した。
「あんたがスフィア姫だね――」
彼女の声は、夜の猫を思わせるしっとりとした声だった。
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