37・飛んで火に入るスタイルです
出掛けるにはもって来いの天気だった。
降り注ぐ太陽と真っ青な空、潮の香りに包まれた赤煉瓦の街――港町パンサスにスフィア達は来ていた。
「ジークハルト兄様、見て下さい! 同じ倉庫が沢山!」
赤煉瓦造りの倉庫が、港に面して横一列に整然と並んでいる光景に、スフィアは感動の声を上げた。
「ふふ、そんなに喜んで……パンサスはこの街並みも有名だからね。異国の船も多くて賑やかだし、食事も魚介類たっぷりで美味しいものばかりだよ」
「わぁ本当ですか! 今日のお昼ご飯が楽しみです!」
跳びはねて喜ぶスフィアの頭を、ジークハルトが優しく撫でる。
「ああ、沢山美味しい物を食べさせてあげようね。全くそんなにはしゃいで……無邪気に跳ねる姿は、まるで地上の光景に歓喜する麗しの人魚姫の様だね」
何やら情緒たっぷり詩的に言ってる様だが、根本がシスコンなので残念である事には変わりない。
しかし今日、ここでは下手にジークハルトに突っ込んではいられない。しっかりと年相応に、無邪気な、害のない少女を貫き通す必要があった。
何を聞いても「無知な少女故」で許して貰える様に。
「ねえ、ジークハルト兄様。お船はどこですの? 私おっきいお船が沢山見たいです」
頬を膨らませてジークハルトの手を引っ張り催促すれば、ジークハルトの目尻がだらしなく下がる。
「よしよし! すぐに連れて行ってやるぞ!」
そう言うと、ジークハルトは突然身を屈め、スフィアの身体を掬い上げた。
「えっ!? ちょっと! 兄様!?」
いきなり横向きに抱え上げられ、スフィアは慌ててジークハルトの胸にしがみ付く。
「スフィアをこの暑い中、走らせたくはないからね。ほら、この通りの先はもう港場だよ! それじゃあ行こうか」
「え?」と声を上げる間もなく、ジークハルトはスフィアを抱えたまま走り出した。
通りに居た人達が、微笑ましい兄妹だといった目を向けてくるが、スフィアは素直にその視線を受けとれる程、精神は子供ではなかった。
アラサーが横抱きのまま衆人環視の中を疾走されれば、顔も覆いたくなる。
無邪気を装っていようと、スフィアはこれだけは言わずにいられなかった。
「~~ッ兄様、自重ォォォッ!!!!」
◆
港場には多種多様な船が、その横腹を着岸させ大小様々な積み荷を上げ下ろししていた。
そこで働く男達も実に多種多様で、褐色の肌の者も居れば、雪の様に白い肌の者も居た。
男達は皆、筋骨隆々という言葉が似合う程に逞しく、重そうな積み荷も難なく抱えている。
するとジークハルトが、目の前の光景に見とれていたスフィアの背を軽く押し、方向を変えた。
「あそこに一際大きな紋章がついた船があるだろう?」
ジークハルトが指で一隻の船を示した。
彼の指の先には、一際立派な船が打ち寄せる波に揺られながら、他の船と同様に横腹を岸壁に寄せていた。
その横腹には、黒で盾を象った紋章が描かれている。
「あれがライノフ家の家紋さ」
つまりは、あの船がライノフ家の莫大な資産を生み出している商船という事か。
スフィアは運び出される積み荷に駆け寄った。
「こんにちは! とっても沢山の荷物ですね!」
突然、明らかに地元の子ではない綺麗な貴族服を着た美少女に話し掛けられれば、誰でも驚くだろう。
男達の仕事をしていた手がピタリと止まり、皆その港場に不釣り合いなスフィアに注目する。
「……お嬢ちゃんどうしたんだい、こんな所に。一人かい?」
一人の船員が、スフィアと積み荷との間に割って入る。
そしてスフィアの手を掴もうと、男の手が伸びようとした時――
「スフィア! 突然走り出したら危ないだろう!」
ジークハルトの声で男が動きを止めた。
男は何食わぬ顔で伸ばし掛けた手を身体の横に戻すと、ジークハルトににこやかな笑みを向ける。
「これはこれは。こちらのお嬢ちゃんのご家族さんですかい?」
「ええ、兄です。すみません、妹が仕事の邪魔をしてしまって」
「いや、良いんですよ。こんな所にこんな可愛いお嬢ちゃんが一人でいたら危ねえと思いやしてね。領主様ん所にでも連れて行こうか思ってたんですよ」
スフィアは黙って男の様子を眺めていた。
――連れて行こう……ね。
先程のあの手の出し方と声音は、そんな親切なものには見えなかったが。
あの手に掴まれていたら、どこに連れて行かれる事になっていたか。
しかし、そんな思いなど露程も顔に出さず、スフィアは純真無垢な貴族令嬢の仮面を被る。
「ねえ、おじさま。私お船の中が見たいんですの。ちょっとだけ覗いても良いですか?」
初めて「おじさま」等と呼ばれたのだろう。男は少し照れくさそうに頬を掻いたが、しかし首を縦に振ろうとはしなかった。
「いや……それは、ちょっと。領主様の船だしな……」
「私からも是非お願いします。幼い妹に、船がどういったものか見せてやりたいんですよ」
ジークハルトが腰を折って頼んでも、男はまだ了承しない。
「他の商船は他国のですし、ライノフ伯爵の船ならば安全かと思いましてね」
「……領主様とお知り合いで?」
「ええ、親しいという程ではありませんが。社交界で幾度かお見かけした程度には。そうだ、自己紹介がまだでしたね」
社交界という言葉に男の口が一瞬引きつったのを、スフィアは見逃さなかった。
「レイランド侯爵家のジークハルトと申します。そして妹のスフィアです」
「侯……爵……」
流石に平民でも、伯爵と侯爵のどちらの方が格上かは知っているようだ。
「危ない真似は致しません。ほんの少し船に乗せて頂けるだけでよろしいのですが?」
さすがに今度は、男もすぐには否定の言葉を口にすることは出来なかったようだ。少し思案する素振りを見せると、渋々といった形で了承に頷いた。
「……くれぐれも勝手に荷物には触らないで下せえよ」
「ええ、勿論ですとも」
「やったです!」
そうして二人は男に連れられ、ライノフ家の商船へと乗り込んだ。
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