35・だって私は愛されヒロインですもの
レイランドの屋敷の半分程しかない邸宅。
その中の部屋も、スフィアの自室の半分程しかなかった。
「突然手紙が来たときは驚いたよ。スフィア姫」
出された紅茶に口を付けていると、目の前の男が苦笑した。
「ふふ、でも嬉しかったでしょう? ロクシアン先輩」
男――ロクシアン=バレルは「まあね」と言って、自分も紅茶に口を付けた。
数ヶ月ぶりに見る顔だったが、飄々としたところは相変わらずだ。
「それに、折角鍵と一緒に住所をいただいたんですから、お手紙くらい出さなくては失礼というもの」
「その割には、随分と手紙を書くのに迷ったみたいだね。どれだけ推敲してくれたのかな?」
ロクシアンは窓の外を眺め、悪戯っぽい笑みをスフィアに向ける。
窓の外は春の深緑も濃く色づき始めた『夏』だった。
「殿方を待たせるのもレディの嗜みですもの」
そう言えば、ロクシアンは参ったとばかりに腹を抱えて吹き出した。
「ッあっははは! 君は相変わらずだなぁ」
目尻に涙を浮かべ、嬉しそうに目を細めるロクシアン。その目尻の涙を指で拭い、笑いを収めると、彼は身を乗り出して悪い顔をする。
「それで、ただ茶飲み話に僕の所に来たんじゃないんだろう?」
手に持っていた紅茶をソーサーに戻せば、カチャリと陶器が鳴く。
「やはり、ロクシアン先輩はお話が早い方で助かりますわ」
綺麗に微笑めば、ロクシアンが「やれやれ」と眉を下げて溜息を吐いた。
「港町パンサス。そこに、どなたか女性のお知り合いはいませんか?」
「パンサス? まあ、ここからも遠くはないし、知り合いが居ないこともないけど……」
「では、そのお知り合いの中で娼館勤め、もしくは、特定の男性とのお付き合いはしない方はいますか?」
「……君の口から、娼館なんて言葉聞きたくなかったなあ」
「いくつだよ」とロクシアンは口を引きつらせる。
「ほほほ、物知りは令嬢の嗜みですわ」
「嗜みって言っとけば、許されると思ってる節があるよね。姫は」
スフィアが頬に手を添え、小首を傾げ愛らしいポーズをとれば、ロクシアンは視線を天井に向け、「まったく……」と諦めた様に笑った。
「娼館勤めは流石に居ないけど……というか、僕の歳でそこに知り合いが居たらヤバいからね? まあ、後者なら知ってるよ」
「その女性は、お願い事を聞いて頂ける方ですか?」
「待って……そのお願い事って……」
ロクシアンの手が、スフィアの目の前に「待った」と突き出される。
彼はもう片方の手で顔を覆って悩ましげに背を丸める。
「はい。ちょっと男性を誑かして欲しいんですの」
「いや……うん。君が割と手段を選ばない事は知っていたけど……誑かすって……」
ロクシアンは「え~……」と小声で掠れた悲鳴を上げる。
指の隙間からロクシアンの瞳がチラとスフィアを捉え、ぼそりと手の中で呟く。
「全く、今度は誰に何をするつもりなんだか……」
すると彼は自分の言葉にふと引っ掛かりを覚えた。
「パンサス……といえば……ライノフ家領! まさか、今度はレニに何かする気かい!?」
「あら、御存知で?」
ロクシアンは首を横に振ると、勢いよく腰を上げた。
彼の膝がテーブルに当たり、上に乗っていた紅茶が騒がしい音を立て、互いの白いソーサーを汚す。
「駄目だ! ライノフには関わらない方が良い!」
「他の方にも同じ事を言われましたわ。ライノフ家は後ろ暗い事をやっていると」
「そうだよ。その筋の人間も出入りしてる! 何をしようとしているかは知らないけどさ、子供の火遊びで手を出しちゃいけないラインだ!」
ロクシアンが息を荒くしているところなど初めて見た。いつも飄々としていたのに。
それだけでも、どれだけ『ライノフ』という名が恐れられているか分かった。
「ライノフ家ではなく、私が用があるのはレニ先輩ですから」
「――ッ一緒だよ」
ロクシアンは顔を歪めて非難の声を溢す。
しかし、スフィアは赤い筋の付いたカップをソーサーごと手に取ると、何事もない様に口に運んだ。
ソーサーにはレニの髪と同じ色の水溜りが出来ていた。
「ロクシアン先輩。先輩は、私がやめとけと言われて大人しく引き下がる娘だと思いますか?」
「……思わないね」
ロクシアンは膝から力を抜くと、ソファに腰から力無く落ちた。そして背もたれに頭を乗せ天を仰ぐ。
「思わないから……最低限の忠告はしておきたかったんだよ」
「お気遣い痛み入りますわ」
ロクシアンは頭を起こし、乱れた髪を雑に撫でつける。
「で、僕はその知り合いの女性に何をお願いすればいいのかな!?」
半ばヤケクソに声を出すロクシアンに、スフィアは楚々と笑って一枚の紙を取り出した。
それをロクシアンの前に置く。
「お願いしたいことは全てそれに書いてありますから、お知り合いの方に渡して下されば結構です」
「用意が良いことで。……見ても?」
手に取った紙をロクシアンが興味深そうに見る。スフィアは「どうぞ」と手で示す。
紙を開いたロクシアンは口角を上げた。
「良いところに目を付けるね……分かった。渡しておく」
紙を綺麗に四つ折りに戻し、ロクシアンは大事そうに胸のポケットにしまい込んだ。
「さて、お姫様のご用件は以上かな?」
重い話が一応は終わった事でロクシアンは安堵の息を漏らし、表情もいつもの飄々としたものに戻る。
するとスフィアは手をロクシアンに向けて差し出した。
ロクシアンは、差し出された幼さのとれ始めた手を、首を傾げて見つめる。
「持ってますよね? ……屋上の鍵」
ロクシアンの顔が引きつった。
「先輩が合鍵を一本しか作らないわけありませんよね。あれだけ諍いなく女遊びに興じてらした方ですもの。とっても用心深い性格なのはお見通しですわ」
ジークハルトにも使ったおねだりのポーズをとれば、ロクシアンは顔を覆い、再び天を仰いだ。
「~~っ本当、君は……! もう!!」
スフィアはポケットに入っていた紙を鍵に替えて、帰路についた。
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