33・奪われた逢瀬の鍵は、始まりの鍵となるか
「へぇ……意外だな」
レニは口を歪めた。
「泣いてるんだ?」
スフィアの眉尻は下がり目は赤く潤んでいた。あと一つ瞬きすれば、その滴が零れてしまいそうな程に。
「レニ先輩……痛い、です」
レニが掴んだスフィアの肩は小刻みに震えていた。
レニはスフィアの肩から手を離し、興ざめしたかの様に顔から表情を消した。
そして何か思うところでもあったのか、「ふぅん」と口の中で鳴くと冷めた目でスフィアを見下ろした。
「何で他の奴等は、君みたいな普通の女に興味を示すんだろうな?」
「もう少し骨があると思ったんだけどな……」と溜め息と一緒に呆れた声を溢すレニ。
スフィアは顔を俯け、押さえられていた肩を庇う様に手を当てていた。俯いている為レニからはスフィアの表情は分からないが、鼻をすする音も聞こえる。
レニは胸を膨らまし一度深く息を吸う。そして全身から力を抜くと同時に、全ての空気を宙に吐き出した。
綺麗な青空に散った溜息は、その景色と相反するかの様な陰鬱としたものだった。
「――分かった。君が今日見たことを忘れてくれるなら、これ以上君には関わらない」
レニのその声は酷く冷たく、先程までのスフィアに関心を抱いた様子はもう見えなかった。
――本当に、何があればコレがああなるのかしら。
このレニとゲーム中のレニとでは、全てが異なっている。
目の前に居るレニは、いかにも優等生といった出で立ちと雰囲気だ。
眼鏡に、きっちりと着られた制服。さらさらと艶の良い赤褐色の髪には、整髪料も何も付いておらず、風が吹くに任せて揺れている。
どこからどう見ても模範的生徒だった。
しかし、その中身は見た目を大幅に裏切っている。
――見てなきゃ、煙草吸ってるなんて誰も思わないわ。
スフィアは涙を拭う様にして顔を上げた。
「忘れ……ます」
狼を前にして震える羊の様に、身を縮ませて掠れる声でそう答えれば、レニは無言でスフィアの前に手を出した。
「……? あの、何でしょう?」
――何これ。金銭的要求かしら?
流石に年齢一桁の少女にたかるのは人としてどうかと思う。
レニの手を、意味が分からないと見つめたまま止まるスフィアに、レニは苛ついた様に一言だけ発した。
「鍵」
――ああ、屋上の鍵が欲しいのね。
スフィアは一瞬、逡巡する素振りを見せたが大人しくポケットから鍵を取り出し、それを彼の手に乗せた。
それを意外と思ったのか、レニの方が鍵の乗った手を閉じるのを躊躇う。
「……いいのか? そんな簡単に」
「元は私も譲って頂いたものですから。無くても……まあ多少は残念ですが、不便はありませんから」
案外あっさりと鍵が手に入ったことに、レニは拍子抜けした様に「そう」とだけ呟いた。そして、用は済んだとドアノブに手を掛けようとする。
しかしその伸ばしたレニの手より先に、スフィアがノブを掴んだ。だがスフィアの手はノブを掴んだままで動かない。
「おい、何のつもりだ。そんなに私と二人で――」
「先輩、約束は守って下さいね?」
頭を指で掻きながら、気怠そうな声を出すレニの言葉をスフィアが遮った。
「あ? あぁ、君が私の秘密を喋らない限り、君には金輪際関わらないよ」
「秘密は絶対口にしません。それに加えて鍵までお渡ししたんですから、絶対守って下さいね」
「分かった分かった。安心しなって。私にも選ぶ権利はある。生憎と、君みたいなすぐ泣くつまらない女には興味ないんでね」
レニは早くそこをどけとばかりに、シッシと手を振った。
「……それなら安心ですわ」
スフィアはそう言うと、先にドアを開け屋上の階段を下りて行く。
「あ、そうそう……屋上ですが、ちゃんと鍵は毎回閉めることをお勧めしますわ」
まだドアの前に居たレニに向かって、階下からスフィアが声を掛けた。
その声は狭い空間に反芻し、レニの耳にいつまでも残った。
◆
「はぁ!? それで大人しく鍵渡してきたのか?」
翌朝、学院に来ると、待ち構えていたガルツとブリックがスフィアの席を囲んだ。
そこで昨日のレニとの経緯を話せば、ガルツは呆れた様な声を出し、ブリックは安堵した様に息をついた。
「いや、正直僕は渡して良かったと思うよ? 無闇にあの先輩に関わらない方が良いって」
いやに対照的な二人の反応に、スフィアは「どういう事です?」と首を傾げる。
「いや、んー……ライノフ家って後ろ暗い噂ばっかだから、あんまりスフィアも関わらない方がいいと思うんだよね」
「私は聞いた事ありませんけど。例えばどのような?」
「同じ伯爵家だから聞こえてくる噂ってのもあってね。ライノフ伯爵家って、伯爵家なのに資産でいったら多分、公爵家くらいはあるんだよね」
チラとブリックがガルツの方を見る。
「そんなに領地が広いんですか?」
「いや、貿易。海運業だよ。領地に港町を持っててね、そこはそんなに広くないんだけど、そこで発生した貿易の利益と……」
そこまで言うと、ブリックは一旦言葉を切ってしまった。
そして言いにくそうに身体と声を潜め、他の者達に聞こえない様に口の横に手を添える。
「実はその海運業ってのも怪しいもんでさ、あそこの港町周辺の海域に海賊が出るんだよ」
「海賊ですか? まあ怖い」
「怖がってねえだろう」
ガルツが湿った目でスフィアを見る。だが無視だ。
「まあ、その海賊ってのが、ライノフ家が雇ったヤラセ海賊みたいなもんなんだって。要は、海賊から商船を護ってやるから手数料寄越せってふっかけてるらしいんだ」
スフィアとガルツは「へぇ」と感心した様に声を漏らした。
「元から裏稼業の人達と繋がりがあるって、伯爵家同士では周知の事実みたいなもんだし、今更驚きはしないんだけどね。けれど、自分から関わっていくのはお勧めはしないよ」
そこまで言うとブリックは身体を起こし、背伸びついでに頭の後ろで手を組む。
スフィアとガルツも突き合せていた顔を離して、口をへの字にして思案顔をする。
「随分と物知りだな、お前」
「ま、まあね! 貧乏貴族は情報が命だからね!」
誇らしげに胸を張るブリックだが、その目尻に薄らと涙が滲んでいた事には、二人共気付かないふりをしてあげた。
「あ、涙――っていや、お前。上級生に迫られたくらいで泣く様な女だったか? 寧ろ真正面からやり合いそうだけどよ」
「あぁ。私『涙を流した』とは言いましたけど、『泣いた』とは言ってませんよ?」
ガルツとブリックが声を重ねて、「はぁ?」と釈然としない声を漏らす。
「あら、女の涙が感情連動式だと思ってたんですか? 女の涙は自立式ですよ」
「怖っ!」
「引くっ!」
瞬時に二人はスフィアから距離を取った。
「まあまあ、お二人共子供ですねぇ」
そう言って上品にほほほと笑うスフィアに、「いや、同い年だろ」と二人は思ったが、コレが自分達と同い年で堪るかと思い直し、ガルツとブリックは口をつぐんだ。
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