32・攻略キャラは、敵対キャラ!?
「いやぁ、ここに入れる日が来るなんて思わなかったな!」
スフィアは屋上のドアを後ろ手に静かに閉めた。蝶番が軋む耳障りな音が、二人だけの青空に吸い込まれていく。
「ハッ! そんな怖い顔しなくたって良いだろう? 秘密を握り合った者同士、仲良くしようって言ってるだけなんだから、私は」
屋上のど真ん中で、その開放感を味わう様に両手を広げたレニと対照的に、スフィアを取り巻く空気は重く暗い。
◆
唐突に自分を訪ねて来た男。
そして、自分が昼にその不良行為を見てしまった男――レニ=ライノフ。
あの時、ブリックが驚いた顔をしてレニの名を口にすれば、彼は上品な笑みを浮かべ「そうだよ」と肯定した。そしてスフィアが驚きで唖然としている中、彼は意味深な言葉を吐いた。
『放課後、瞳が合ったあの場所で待ってる。鍵を持っておいで』
その台詞はまるで男女の秘密の逢瀬を約する隠語の様で、彼の言葉が聞こえていたクラスメイト達は声にならない悲鳴を上げていた。
レニはそれだけを伝えると、スフィアの返事を聞くこともなく去って行った。
「どうして……私だって分かったんですか」
目が合ったのはほんの一瞬だった。しかもレニから見れば自分は逆光になって、顔などほぼ見えなかったはずだ。
不服そうに眉を顰ひそめ、釈然としない声を出すスフィアを見て、レニは突然腹を抱えて大笑たいしょうした。
「はははははっ! 君は存外に自分の事には疎いんだな!? そんな髪をしといて!」
「……髪は関係ないでしょう?」
一層スフィアの眉間の皺は深さを増す。
「あるよ。大いにある。だって私があの時屋上に居たのが君だって分かったのも、その透き通る赤髪のおかげなんだからな」
そういえば、ガルツもこの赤髪は珍しいと言っていた。
事実、こうやってすぐに特定されてしまうくらいには稀少なのだろう。珍しいことは知っていたが、まさかここまでとは。
この赤髪を嫌だと思ったことは一度たりともないが、今この時だけは少々恨めしく思った。
「あとそうだな。ちらっと……スフィアって聞こえたからな?」
――明日、ブリックには覚悟して貰おう。
スフィアは諦めた様に腰を折って、肺の底から全ての空気を吐き出すと、勢いよく身体を起こした。下に流れていた髪が、遠心力で綺麗な円を描いて彼女の背に落ちる。
レニを真正面から見据えるスフィアの瞳は強く、先程までの暗い色は綺麗に消えていた。掻き上げた赤髪から出てきたのは、若葉の色を映した湖面の様に澄んだ瞳だった。
レニはスフィアのその様子を、目を細め眺めていた。
スフィア自身は自覚していなかったが、この学院において彼女の存在は有名だった。
ルビー色の赤髪とエメラルド色の瞳。そして幼いながらもその顔の造形は、職人が一つ一つ丁寧に作り上げた彫像の様な美しさがある、と。
しかも、あの女遊びで有名だったロクシアンが唯一声を掛けた下級生という事で、上級生の間で彼女の価値は跳ね上がっていた。
一見、何も知らない深窓のご令嬢風情が彼女にはあったが、いざ声を掛けに行こうとしてその雰囲気に飲まれ、何も出来ず引き返してきた生徒は多い。
「――そそるねぇ、その瞳」
「勝手に人の目で欲情しないで下さい」
下級生に似合わない気の強さにレニは苦笑した。
「確かに。ロクシアン先輩が声を掛けたのも頷けるな」
ロクシアンという名に、スフィアは片眉を上げ反応を示す。
「何のことです? ロクシアン先輩とは、レニ先輩が想像している様な関係は微塵もありませんが。勝手に邪推するのは失礼ではありませんか?」
「加えてその鈍さ! 堪んないなぁ、ははっ! レイランドのご令嬢は純真無垢って?」
明らかな揶揄いの意図を含んだレニの言葉に、スフィアは目を眇めて睨み付けた。
最早相手が最上級生だろうと構わないくらいには、スフィアはこの男と二人で居る事に嫌気がさしていた。
「いい加減、冗談を言うのはやめて頂けません? 私も暇じゃありませんの。用件が無いようでしたら私はこれで失礼しますわ」
背後にあったドアに手を掛けようと背を向けた瞬間、肩への衝撃と共にスフィアの身体はけたたましい音と共にドアに激突した。――否、レニによって押し付けられていた。
「言っただろう? 仲良くしよう――って」
ドアノブを握ろうとしていたスフィアの手は掴まれ、ノブを握ることも出来ない。
いや、それ以前に彼女自身の身体で扉を押さえつけている為、例えノブを握れたとしても、彼の手がスフィアの肩にある限り不可能だった。
どうやら、強制的にまだ彼との時間を過ごさなくてはならない様だ。
――本当にこれがレニ=ライノフ? 本当に同じ攻略キャラだっていうの!? だって、これはあまりにも……!
スフィアの前世の記憶の中の彼と今の彼は、あまりにも乖離していた。
元々、レニとはこんな早く会うシナリオではなかった。
――やっぱり……メーレル一度ってわけじゃなかったようね。
肩を潰さんとする程の圧に、スフィアの顔は苦痛に歪んだ。
彼が与えてくれる痛みにより鮮明になった頭で、スフィアは彼とのゲームシナリオを思い出す。
ゲームの中でスフィアがレニと出会うのは社交界に入ってからだ。勿論、貴幼院で顔を合せたなどという記述もない。
何故、目が合った時点で彼と気付かなかったのか。
それはスフィアが記憶していた彼の姿と、今ここに存在する彼の姿――容姿も雰囲気も、なにもかもが正反対だったからだ。
ゲームでのレニは、貴族だというのにまるで裏稼業の者のような雰囲気があった。髪はオールバックに整えられ、頬には縦に傷が入り、それが彼の後ろ暗い雰囲気により拍車をかけていた。
しかし、実際は接してみると驚く程紳士で、時折見せる優しい笑顔に乙女達のハートを鷲掴みにしていた。
――グレイ様程じゃないけど、割と人気あったのよね。
痛覚が麻痺し始める中、そんな事を思っていると耳のすぐ傍で声がした。
「叫び声一つあげないんだな? それとも……恐怖で声も出ないってか?」
レニは言葉も言い終わらない内に、押さえつけていたスフィアの肩を鷲掴み、彼女の身体を反転させ自分と向き合わせる。
再びドアが衝撃音を立てながらびりびりと揺れた。
二人は至近距離で睨み合う形となる。
「へぇ……意外だな」
スフィアの表情に、レニは口を歪めた。
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