28・転がされる男
意外な事に、スフィアはこの状況を素直に楽しんでいた。
「スフィア、これ美味しそうだな! 食べてみようか!」
まるで年相応にはしゃぐグレイを見て、スフィアはつい目を細めた。
「ほら! スフィアも食べてごらん! 美味しいから」
見慣れない色の果物を店主に切ってもらい、グレイはその一つを口に放り込んだ。
余程美味しかったのだろう。彼は目を輝かせて店主からもう一切れ貰うと、スフィアの口の前にそれを差し出した。
毒々しいまでに紫色をしたその果物にスフィアは一瞬躊躇ったが、滴り落ちる程の果汁と、鼻先に漂う甘い香りの誘惑に負け恐る恐る口を開ける。
口の中に放り込まれた果肉は溶ける様に柔らかく、喉を潤す甘い果汁に思わずスフィアも頬を押さえ感激の声を上げた。
「な! 美味しいだろ」
グレイは指先に付いた果汁を舌で舐め取りながら、スフィアの反応に満足した様に鼻を鳴らした。
二人はそれからも大通りの両側にひしめく店を覗いては、珍しいものがあれば試してみるという事を繰り返していた。
スフィアは焼きたてのパンがあればグレイの口に突っ込み、いかにも身体に良さそうな真緑の飲み物があればグレイの口に流し込み、刺激臭を発する謎の物体があってもグレイの口にインした。
「――はっ! うっかり普通に楽しんでしまいましたわ!!」
「何か、割と実験台にされてた様な気もするが……まあ、スフィアが楽しかったのなら良かった」
つい本気で楽しんでしまった事に癪な感じもするが、今回ばかりはこうする事が目的だったので特に反論はしない。
「さて、それで後はどうするんだ? というか、こんな回りくどいことせず、あの花屋を断るつもりならスパッと自分の口で言った方が間違いないと思うんだが。まさか……断らないとか言わないよな?」
一段と声を低くして詰め寄るグレイの口に、先程買ったスコーンを詰め込み黙らせる。口内の水分全部奪われろ。パッサパサになってしまえ。
「確かに回りくどいですけど、今回は仕方ありませんから」
きっと普通に断ったくらいでは諦めてくれないだろう。
何としてでも予定調和させようとする世界が、そんな生やさしいはずがない。
普通に断ったとて、どうせ「君が好きになってくれるのを待つから」とか「勝手に好きでいるのは自由だろ」とか言って、隙あらば恋を実らせようとしてくるのだろう。
――そんな不確定要素を放置して、後々面倒なことになったら厄介だもの。
「それに、私は元よりどなたとも付き合う気はありませんし。だからといって彼を断れば、今後あの花屋でお買い物するのが気まずくなりますもの。こちらから言わずとも、察して頂ければと思いましてね」
「それじゃあ、やっぱりあの店員とは付き合わないんだな!」
「そうか、そうか」と、グレイはスコーン屑の付いた顎を撫でながら、口端を上げて満足そうに何度も頷いた。
「まあ、付き合うか付き合わないかは、この後のグレイ様の働き次第ですわ」
「え、この後? 俺?」
スフィアはポケットから綺麗に畳まれた紙を取り出し、グレイに渡した。
「これって、あの店員から貰った……」
「私はその手紙を一切見ていませんし、その紙の存在も全く知りません」
グレイは何やら合点がいった様で、視線を空に飛ばす。
「あー……なるほどね」
流石に頭の回転は速いのか、スフィアのその言葉と渡された手紙だけで、グレイは自身がどうすべきかを理解した様だった。
「つまり、彼氏の俺が店員に『俺の女だから手を出さないでね』って、釘刺せば良いって事だろ?」
グレイは手で遊ばせていた手紙に視線を落とす。
「しかも、俺の独断で店員に言った事にしときたいんだ?」
「そういう事ですわ」
せっかく一人の時間だったのにそれを邪魔されたのだ。それくらいは手伝って貰わねば割に合わない。
「もし、メーレルを見事諦めさせることが出来たら――」
「出来、たら――?」
グレイの喉が音を立てて上下する。
「ご褒美をあげますよ」
「行ってきます!」
グレイは颯爽と花屋に足を向けた。
◆
「すみません」
グレイは店の中で花の手入れをしていた、見覚えのある店員に声を掛けた。
「はい、いらっしゃいませ」
振り向いたメーレルはグレイの顔を見るなり「ああ」と声を上げた。
「さっきの……ブーケを買われたお嬢さんのお兄さんでしたよね? いやあ、とても仲が良い兄妹ですね。さっきも市場の方で――」
そう言いながらもメーレルの視線は、会話の相手であるグレイではなく、まるで誰かを探しているかの様にチラチラとその周りを右往左往する。
するとグレイは、例の手紙を見せつける様にして二人の間に出した。
「そ、れは!?」
「貴方ですよね?」
ばつの悪そうな、それでいて恥ずかしそうでもある顔で一歩後退るメーレル。
グレイは開いた一歩分の距離を、一歩半踏み出して更に縮める。
「生憎、彼女が見つける前に俺が見つけましてね。悪いとは思いましたが、中身を拝見させて貰いましたよ」
「そ、それでは……妹さんに改めて渡して頂けませんか?」
自分の好意を知られたのが恥ずかしいのか、メーレルは視線をずらしたまま口早に呟く。
グレイが更にもう半歩、彼との距離を詰めれば、二人の間には一人分の距離もなくなる。同じ年頃の為か身長もほぼ同じ二人は、真正面から至近距離で向き合う形になる。
「妹……ね。店主との会話を聞いていたんですね?」
「き、聞こえただけです!」
「良い事を教えましょうか。それね、嘘なんですよ」
グレイはまさに貴族といえる様な、上品な笑みをメーレルに向けた。目鼻立ちの整ったグレイの微笑は、同性でもドキリとさせられるものがあり、メーレルは思わず顔を背ける。
そしてグレイは、背けたが故に目の前に現れた彼の耳に口を近付け、密かごとの様に囁いた。
「――実は妹じゃなくて……俺の彼女……なんですよ」
そう言って、グレイは離れると同時にメーレルのポケットに持っていた例の手紙を押し込んだ。雑に押し込んだ為、ポケットの中で紙のよれる乾いた音が鳴った。
「市場での俺達の姿を見ていたのなら話が早い。どうです? とても似合いの連れ合いだったでしょう? 他の誰かが入る余地のない程に」
最後の一言を無駄に強調して言ってみせれば、瞬間、メーレルの顔に血が上った。
その表情にグレイは満足そうに小さく鼻を鳴らす。
「そういうわけで、この手紙は無かったことにしてあげますよ」
グレイは片手をひらひらと振ると、踵を返し花屋を出ようとした。
しかし、そのグレイの肩をメーレルの力強い手が引き留めた。
「まだ、話は終わってませんよ――」
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