26・ヒロインってめんどくさい!
「いつまで付いてくる気ですか?」
大きなブーケを抱えて歩く美少女は、市場ではちょっとした注目の的だ。しかもその後ろに美少年を従えているとなれば尚更だった。
「お兄ちゃんなんだから、一緒に居ないとおかしいだろ?」
目を細め楽しそうに笑うグレイに、スフィアはわざと聞こえるような溜め息を吐いた。
「というか、何か口調が違う気がしますけど?」
よく見れば、服装も前回見た時よりも随分とラフだった。顔立ちが上品な為、平民までとはいかないが、今の彼の姿はその言動も相まって下位貴族の様だった。
――もうこの際、本当にただのそっくりさんだったら良かったのに。
「流石に兄妹間であんな口調は使わないだろ? そういうところはきっちりしとかないと、街の人って割と気付くんだよね」
こちらとしては、別に兄妹じゃないと気付いてもらって構わないのだが。
むしろ是非誰か通報して欲しい。
この人ロリコンですよー!
グレイは呑気に鼻歌を歌いながらスフィアの後ろを付き従う。
「グレイさ――ッン!?」
呆れた様に彼の名前を呼べば、口に彼の人差し指が押し付けられる。
「ダメダメ。こんなの所で俺の名前を出したら。今日の俺は『お兄ちゃん』なんだから。な? スフィア?」
スフィアの眉間に皺が寄る。まるで蛇腹の衝立のように深い皺がくっきりと。
口は物言いたげに薄く開いているが、そこから出たのは言葉ではなく、またしても盛大な溜め息だった。
「……もう、ご自由になさって下さい」
これ以上下手に構っていたら、どんなところで好感度ポイントが付いてしまうか分からなかった。
スフィアはブーケを抱え直すと、小腹を満たしに再び市場の中を巡ろうとした。
「ん? あら?」
するとブーケを抱え直した拍子に、包み紙の間から何かが地面に落ちた。
屈んで拾おうと手を伸ばした瞬間、スフィアの手よりも早く、グレイの手がその落ちた物を攫っていく。
「なんだ? メモか?」
二つに畳まれた紙片に少し不機嫌な顔をするグレイ。
「お返し下さい」
グレイに掌を差し出すも、彼は一瞥しただけで一向に返す気配がない。
「あっ! ちょっと!?」
それどころか勝手にそのメモの中身を確認し始めた。
手を伸ばせども覆せない身長差は何ともしがたく、グレイは空にメモをかざしながらその内容を確認する。
――何よこのロリコン! いじめっ子か!? 王子などやめてしまえ!
第三王子だし、どこか田舎に領地でももらって隠居でもしてくれと思う。いや、もうそれこそ本当に下位貴族にでもなって貰いたい。そうすれば上位貴族の称号を盾に、鼻であしらってやれるのに。
しかし、そんなスフィアのささくれ立った心中など知らず、グレイはメモを音読する。
「ええと、『また、会いたい。メーレル』――へぇ……」
――この世はロリコンばかりかッ!!!!
スフィアは本日二度目となる頭痛をもよおした。
いくらヒロイン補正が掛かるとはいえ、まだ自分は九歳なのに。
こんな、出歩けば「犬も棒にあたる」確率で男に惚れられていては堪ったもんじゃない。
「ん? メーレル……?」
しかし、そこでスフィアの中にある前世の記憶――攻略キャラ辞典が呼び起こされる。
「花屋の……メーレル」
既に頭を抱えた状態でなければ、本日三度目をやっていただろう。
――間違いないわ。攻略対象にいたわ!
スフィアは地面にへたり込んだ。
「どうして、普通に休日を過ごさせてくれないのよぉ……」
――なに? 神は私に恨みでもあるの? 仮にも私はこの世界のヒロイン様だというのに!
そんなにシナリオ改変して回ってるのが癪に障るのなら、自分のご機嫌でも取っておけば良いというものを。そうすれば、少しは手加減して改変してやるのに。
元よりスフィアには改変しないという選択肢はない。
「花屋のメーレル……確か出会うのはもう数年後だったはず。何故このタイミングで向こうから行動を?」
スフィアはぶつぶつと口の中で独り言を呟きながら、脳を急速にフル回転させる。
メーレルはグレイと同じ歳で、今はまだ十四、五歳くらいだったはず。
ゲームのシナリオではメーレルが十九歳の時――スフィアが貴上院に上がるタイミングで、彼からの好意を告げられるという流れだった。
まだ五年は猶予があるはずだった。なのに、何故このタイミングで……。
――まさか、シナリオの方が変わってる?
今までは自分から動いてシナリオを変えてきたはずだ。出会う機会をわざと自分から早めて。
しかし今回は、元々出会うつもりも予定もなかった。ただ普通に街の市場に買い物に出掛けただけだ。そこに他意はない。
ゲームの中での描写はなかったが、きっとスフィアも市場には良く来ていたはずだ。そして花屋で何度も花を買ったこともあったはずだ。
しかしゲームでは来たるべき時まで、メーレルから何かしらのアプローチを受けた描写はなかった。
「寧ろ、その時が来て初めて恋したって感じのシナリオだったのよね……」
スフィアは、手に持ったブーケの陰で顔を顰めた。
これは由々しき事態だった。
今まで受け身だった世界が、自ら反撃をし始めたのだ。
「何て事よ――」
まさかの唐突な展開に、一度深呼吸をして頭をクリアにする。
すると、耳に自分の名を呼ぶ声が入ってくる。
「――フィア!? スフィア!」
――そういえば、彼の存在を忘れてたわ。
「大丈夫か!? 急にへたり込んで……具合でも悪いのか!?」
「半分はお前のせいだよ」とは言えず、スフィアは不細工な引きつった愛想笑いを返す。
「戸惑うスフィアも可愛いな」
是非とも視力検査をオススメしたい。
「ちょっと……めまいがしただけですわ。お気になさらず」
スフィアはゆっくり立ち上がると、広場の噴水の縁に腰を下ろした。
隣でグレイが気ぜわしそうにスフィアに心配の眼を向けている。その手にはまだ先程のメモが握られていた。
スフィアは彼の手の中からメモを引き抜くと、その内容に自ら目を通す。
「……別に、俺は無視して良いと思うけどね。もしかしたら誰にだってやってるかもしれないし」
途端にグレイの声が不機嫌の気配を醸し出す。
「『俺』……ですか。随分と板に付いたような口調ですが……もしかして、平民のふりをなさるのは今回が初めてではない?」
スフィアが探るようにグレイの顔を覗き込めば、彼は「しまった」と言わんばかりに顔を渋らせる。
「あーっと、ちょっと飲み物でも買ってくるよ! 少しは気分も良くなるだろ! 待ってろな、スフィア」
そう言うとグレイはさっさと腰を上げ、人で賑わう市場の中へその姿を消した。
まあ、彼が平民に紛れて何をしてようが関係ない。
それより今はメーレルだった。
「さぁ、今のうちどうするか考えないと」
手の中にあったメモをスフィアは綺麗に折り畳み、世界からの反撃と言わんばかりの文面を視界から隠す。
「きっと出会いのタイミングは変わっても、性格までは変わらないはず」
多少の幅はあれど、この世界でもキャラの性格の根幹部分は変わっていなかった。
「ジークハルト兄様のアレは、大幅というか振り切った感があるけど……それでもゲームの時と大元は変わってないわ」
せめて、ゲームの時と同じ程度ならばまだ良かったとつくづく思う。もう少し自重して欲しい。
――いや、今はそんな事よりもメーレルよ。
メーレルの性格は『明るく人懐こい』だ。
ゲームの中ではその持ち前の人当たりの良さで、スフィアとの距離を近付けていく。
街の誰からも愛される心優しき青年。そんな誰からも愛される優しく明るい彼を見て、スフィアも心を寄せていく。最後は貴族と平民ながらに、多くの者に祝福され結ばれるという結末だった。
だからグレイが言った様な「誰にでもやる」様な人間でない事は分かっていた。
「下手な策を打って、私が市場に来られなくなるのも困るし。メーレルの所が一番お花が綺麗なのよね……」
周囲に愛される彼を邪険に振れば、街の者達からこちらが総スカンを食らう恐れがあった。
今後この世界で生きていく為にも、それだけは何としても避けたかった。
「あーん! 表面的には傷つけずに、彼の心に絶大なダメージを与える方法ってないものかしら」
煮詰まった考えを整理する為に口に出してはみたが、中々に最低な台詞だと自分でも思った。
――けれど、これでアルティナお姉様が幸せになれるのなら本望ね。
すると、ジュースを二つ手に持ったグレイが小走りで戻ってくるのが見えた。
遠目から見てもやはり王子というだけあって、どこか周りの者達とは一線を画す雰囲気がある。そしてスフィアはそんな彼を見て「あっ!」と手を打った。
不本意だがこの際仕方ない。あるものは使ってこそだ。
「待ってましたよ。グレイ様」
スフィアは満面の笑みでグレイを迎えた。
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