25・平和な一日……のはず?
スフィアはこの日程、自分の行動を呪ったことはなかった。
空は青く美しく、街にはパンやクッキーの甘い匂いが漂い、髪を撫でる風は陽光に照らされ熱くなった肌を心地良く癒やす。
こんなにも、この世界は美しい、と五感全てに万物は訴えかけてきているのに。
なぜ、この世界の神はこうも自分に試練をお与えになるのか。
「本当、何であなたがここに居られるんでしょうか」
スフィアは背後で愉快な笑みを浮かべている男を睨み据えた。
「ね? グレイ様……」
男――グレイは「別に」と極上の笑みをスフィアに向けた。
この笑み一つに金を払う令嬢はごまんと居るだろう。
――まあ、私はアルティナお姉様以外に投げる銭は持ってないけど。
スフィアの居るここは城下の市場だ。様々な店が軒をつらね、活況に沸いている。
そんな場所にグレイは供も連れず、しかもまるで平民の様な格好までしていた。
なぜこんな場所でも彼に会わなければならないのか、とスフィアは頭を抱えた。
◆
「お母様。今日、街に出ても良いですか?」
昼食を口に運びながら、スフィアは母のレミシーに尋ねた。
学院も休みで、朝からテラスで本を読んでいたのだが、そろそろそれも飽きてきた。
折角に外は良い天気なんだし、家で暇を持て余すのは勿体ない。そう思って気分転換にでも街へ出たいとレミシーへ希望したのだ。
するとレミシーは予想外の言葉を返してきた。
「良いわよ。お出掛けしてらっしゃい! 一人でね」
「ひ、一人ですか!?」
中身は立派な成人女性だ。勿論、一人で出かけることくらい屁でもない。
しかし端から見れば九歳の、まだ少女といえる歳。それを突然、一人で行ってこいとはあまりに唐突ではないか。
そう思い、丸くした目でレミシーを見れば、彼女はいつもの温厚な笑みを浮かべた。
「『はじめての、おつかい』ってやつよ」
彼女の声は至極楽しそうだった。
そういうわけで、簡単な買い物を仰せつかってスフィアは今、市場に一人で来ていた。本当に一人で。
こういった場合、陰から父親や執事が覗いては小声で応援する、というのが定番だと思っていたが、どうやらそういった配慮はなかったらしい。本当に本気で一人だ。
しかし、少女が一人で出歩くのに不安がないというのは、なんとも平和な世界だ。素晴らしい。
久しぶりの一人きりの時間。
心なしか市場を進む足も軽やかなステップを踏む。
「あー! 良い天気だし、わざと年相応に振るう必要もないし、最高の心地だわ!」
そう言って、青空の下で売っていた艶のある美味しそうなコッペパンを口に含もうとした時――
「――ひあっ!?!?」
突如背後から肩を引っ張られ、市場の路地へと連れ込まれた。
そして、冒頭の流れに繋がるというわけだ。
「……私、おつかいがまだ残ってますので失礼しますね」
抑揚のない声で言うと、スフィアはさっさとグレイに背を向け大通りに戻ろうとした。が、それは彼の手が許してくれなかった。
スフィアの肩を抱くように回されたグレイの腕は、中々に力強い。流石に体格差もあり容易には振りほどけそうになかった。
本当に厄介な者に捕まってしまった。
――ジークハルト兄様がどこかに隠れてないかしら。
この際シスコンでも良いから、このロリコンを撃退して欲しかった。
「そういえば、どうして春のダンスパーティに来てくれなかったんですか?」
何の事だろう、とスフィアは首を傾げた。
「手紙を送ったはずですよ? 冬あたりに。王宮でパーティがあるから来て欲しいと」
「冬……手紙……」
スフィアは「あぁ!」と手を打って思い出した。即火中した手紙だ。
「……ジョンが食べてしまいまして」
「あれを!? 割としっかりした紙でしたけど!? 封蝋もですか!?」
「ええ。それはそれは綺麗に丸っと灰に――いえ、食べてしまって。……ジョンが」
「ジョンが」という部分に力を込める。
ついでに、「封蝋に蜜蝋でも使ってます?」と、何食わぬ顔で言ってのける。自分に落ち度はない、とちょっとグレイを非難する響きさえ含ませる。
「いや、蜜蝋は使ってなかったと思いますが――」
驚きの余り、どうでも良いことにさえ真剣に悩むグレイ。
腕を抱え「確か材料は……」等とぶつぶつと一人ごちる彼を置いて、スフィアは静かに大通りへ戻った。
◆
「すみません、このお花とこっち……それとこの花も合わせてブーケにして下さい」
色とりどりの花が並んだ店先で、店員の少年と談笑しながら頼まれた花を選ぶ。グレイくらいの歳の少年は人懐こい笑みで「すぐに作るよ」と、綺麗な花を選び取っていく。
「お嬢ちゃん、おつかいかい?」
奥から少年と入れ違いに出てきた、店主と思われる髭の立派な男性。
「そうです! 母が花が好きなので」
「偉いねえ。兄妹でおつかいたーね!」
――ん? 今この店主、何て言った?
「はは! おじさん、違いますって」
背後から不穏な声が聞こえた。振り向かずとも声で誰かは予想が付いた。
「兄妹じゃなくて、俺達は恋び――ッッィイッ!!!?」
「そうなんです。お兄ちゃんと一緒なんですよ~」
スフィアの踵が、後ろに居た『お兄ちゃん』の足の甲を踏み潰した。
「いいねえ、仲良きことは美しきかなってな! うちももう一人作りゃ良かったかな! ハハハ! おーい、母さんやーい――」
店主は豪快な笑いとともに、奥さんを呼びながら店の中へと引っ込んでいった。
「――グレイ様? 変なこと言わないで貰えます?」
「その前にッ、ちょっと足を! ……地味にイイトコ入ってるッ!」
スフィアは最後にもう一度踏みしめてから、漸くその小さい足を外した。余程痛かったのか、グレイは涙目で足先を抱え、息をふーふーと吹きかけている。
靴の上から吹きかけても無駄だろうに。
そうこうしていると、少年が綺麗に纏められたブーケを持ってきてくれた。
スフィアはお金を払ってブーケを受け取った。その際少年は、スフィアが受け取りやすい様に少し身を屈めてくれた。
「君には、コレ」
離れるときに少年は、スフィアの髪に一輪の黄色のガーベラを挿した。
「美人さんにサービスね」
少年は、店主には内緒とでもいう様に人差し指を口に当て、店の奥へ消えていった。
スフィアは髪を彩った黄色を嬉しそうに指で触れ、頬を緩ませた。
その、眉を下げてふやけた様に笑うスフィアの顔が映った窓を、グレイは面白くなさそうに口を歪ませて見つめていた。
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