最終話 ごめんあそばせ、殿方様!
王宮の前、月と星と、門前に掲げられた松明の灯りで、スフィアは向かう先に誰かが並んでいることに気付いた。
「嘘…………」
夜風になびく緩やかなウェーブ髪は、まるで天女の羽衣ように軽やかに揺れ、夜に映えた純白のドレスは、月すら霞むほどに輝いている。
近付くにつれ髪の色も瞳の色も、全てがあらわになる。
その髪色は黄金。
その瞳の色は――。
「嘘じゃないさ。言っただろ……きっと待ってるって」
背中でグレイのあやすような声が聞こえていたが、スフィアは視界から得られる情報だけで脳内はいっぱいだった。
「…………っさ、ま」
震える口からは、声よりも吐息のほうが多く漏れ出る。
「良かったな、スフィア。さあ、早く行――――どわあっ!?」
握っていた手綱をスフィアに奪われ、あげくにそのまま押し出され、グレイは落馬した。
次の瞬間、スフィアは迷うことなく手綱を振るい、先で待つ彼女の元へと駆けていく。
「――っアルティナお姉様あああああああ!!」
その髪色は黄金。
その瞳の色は――スフィアがいつも身に纏っていた青よりも青く美しい青。
「スフィア!」
アルティナが両手を広げた。
「お姉様っ!」
馬が疾駆するスピードそのままに、アルティナへと向かっていくスフィア。
誰もが『ぶつかる!』と思った瞬間、スフィアは手綱を手放し、ひらりと馬上からアルティナに向かって飛んだ。
広げた互いの腕が相手をきっちりと腕の中に収めれば、勢いを殺しきれなかった二人は、「きゃあ!」という声と共に地面を転がった。
しかし、それでも互いを抱きしめた腕がほどけることはない。
「馬から飛び降りるだなんて、何を考えているの!? 本当、あなたはいつもいつも危ないことばかり! 加減を知りなさいとあれほど……あれほど……っ!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、お姉様……っ」
「本当……いつもいつも…………あなたは――っ」
アルティナの抱きしめる腕の力が増せば、上に乗ったスフィアの腕の力も増し、互いに相手の肩に深く顔を埋める。
「――――っお帰りなさい、スフィア」
「た、ただっ、いまです……っ、お姉さまぁ」
アルティナの上でしゃくり上げながら、何度も何度も「お姉様」と繰り返すスフィアの頭を、アルティナは優しく撫でた。
瞬間、「まあっ!」と驚きにアルティナは身を起こす。一緒にスフィアも起き上がり、どうしたのかときょとんとした顔を向ける。
「あなた、髪が……!」
「あ、あぁこれですね」
スフィアは長めに残った横髪を、特に気にした様子もなく一束つまみ、へらりと笑う。
「えへへ、短くなっちゃいました」
「えへへ、じゃありませんわ! ああ、もうっ! こんなに短くなってしまって。あなたも再来年にはデビュタントなのよ。結える長さまで伸びるかしら!? もう! 本当にもうっ!」
案の定、アルティナは『令嬢たるもの』を説きながら怒っているのだが、スフィアにはこの懐かしい感じが嬉しかった。
怒りつつも、アルティナの、スフィアの腰に回された片手は決して離れない。
「はいはい。感動の再会だけど、いつまでもレディが地面に座ってたら駄目だよ」
すると、突然腕を持たれ、スフィアもアルティナもグイッと引っ張り上げられた。
「ブリック!」
手の主を見れば、懐かしい顔が目尻を緩めてこちらを見ており、思わず驚きの声が漏れる。
「お帰り、スフィア。本当は僕も駆けつけたかったけど、僕じゃ足手まといになるからね。ここで君を待ってたんだ」
垂れた目をさらに垂らして微笑むブリックに、胸の内側が温かくなる。
「ブリック……ありがとうございます」
「無事で良かったよ。本当、君はいくつになっても、僕たちをハラハラさせるんだから」
「ふふ、飽きないでしょう?」
「それもそうだね。あ、そうそう。実はこうやって待っていたのって、僕やアルティナ嬢だけじゃないだ。ずっと君の帰りを待っていたんだよ、皆」
「みんな?」
本気で分からないと首を傾げるスフィアに、ブリックが片眉を下げてクスッと笑う。
「ロクシアン先輩にナザーロ先輩。バート兄弟に、君の友人のフィオーナ嬢。その他にも、貴幼院時代の懐かしい顔ぶれが並んでいたよ。さすがにいつ戻ってくるか分からなかったから、皆一旦家に戻ったけど……」
チラ、とブリックの視線がアルティナへと向けられる。
「でも、彼女はずっと……本当にずっとここで待ってたんだよ。僕が何度も王宮で待つようにって言っても、首を縦に振らなかったんだから」
ここで、とブリックが指さした先――正門の柱の麓には、ブランケットか何かがわだかまっている。
そういえば、彼女の格好は、デビュタントの時に着ていた白いドレスのままだ。
あれから丸一日以上経っているのに。
薄暗くて気付かなかったが、よく見てみると彼女の美しい顔には疲れが滲んでおり、赤くなった目の下には、うっすらとクマができている。
つまり彼女は、ずっと……本当にずっと、夜が更けて朝日が昇り夕日に空が色づこうとも、この場で待っていたということか。
「……お姉様……っ」
「ち! 違うわよ! た、ただ春風が気持ちよかったから、ずっと浴びていたくて外にいただけなのよ!?」
ふっ、と懐かしさに笑みが漏れた。
ああ……このツンデレこそ彼女だ。
しかし、ブリックは赤面するアルティナにまったく気付かず、さらに彼女の顔を赤くさせるようなことを言う。
「それに、スフィアがホールを出て行ったあと。アルティナ嬢ってば、すごく格好良かったんだよ。騒ぎ立てる皆を一喝して、私の妹を悪く言う者は許さない――って」
「妹……」
そう思ってくれるのか。
『私の』妹だと、言ってくれたのか。
「お、お……おね、さまぁ……っ」
一度は止まった涙だったが、再びスフィアの頬を濡らしていく。
えぐえぐと子供が泣くように、ぼろぼろと涙をこぼしていくスフィアに、アルティナは顔を赤くしたまま「あーもー」と溜息をついた。
「まったくあなたったら。令嬢がそんな美しくない泣き方をするもんじゃありませんわ」
アルティナは手を自らの胸元に伸ばしかけ、しかしわずかに躊躇を見せると、手で直接スフィアの頬を拭った。
グイグイと頬を引っ張られ、きっと自分は不細工な顔になっているのだろう。
だって、彼女の顔は今までにないくらい、楽しそうに笑っているのだから。
「まったくあなたは……本当! 世話が焼けるものね!」
しかし、涙を拭い終わるとアルティナはツンと顔をそっぽ向けて、そのまま王宮の方へくるりと踵を返してしまった。
「あー、もう時間も遅いし眠いったらないわぁ」
ふわぁ、とあくびをしながら、すたすたと遠ざかっていくアルティナ。
その背中に、スフィアは声を掛ける。
「お姉様……」
アルティナの足が止まる。
「今、幸せですか?」
あの時、望んだ結末と違う今。
それでも、彼女は幸せだと言ってくれるだろうか。
彼女は一瞬だけスフィアを顔だけで振り返り、そしてすぐに向き直る。
再び歩き出した彼女のヒールの音に交じって、「ええ、そうね」と聞こえた気がした。
「……お姉様……ありがとうございます」
スフィアは令嬢の挨拶ではなく、アルティナの背に向かって深々と腰を折り頭を下げたのだった。
◆
スフィアから離れた途端、アルティナの顔は安堵に眉が下がり、その気の強そうな猫目からはぽろぽろと、音もなく涙がこぼれ落ちていく。
「――っよかった……本当に……っ」
「アルティナ嬢」
予想外に近いところで聞こえた声に、アルティナはビクッと肩を跳ねさせた。
先ほどまで聞いていた声だ。あの、垂れ目のスフィアの友人だろう。
「ななななん、ですの!?」
こんな顔見られたくなくて、声と反対方向へと顔を背ければ、スッと視界に、綺麗に折りたたまれたハンカチが入ってくる。
「どうぞお使いください。あなたのはもう濡れて使い物にならないでしょう?」
耳元で声をひそめて囁かれた少年の言葉に、アルティナは「え」と驚きに目をまたたかせた。おかげで目に残っていた涙が全て落ちきる。
「もちろん、スフィアにはアルティナ嬢の涙は秘密にしておきますから、どうぞご安心を」
アルティナが少年を確認すれば、彼はアルティナの手にハンカチを握らせ、人差し指を口の前で立てた。
「心優しきアルティナ嬢、おやすみなさい。良い夢を」
微笑みを残し、スフィアの元へと戻っていく少年。
「――あのっ! お名前を!」
少年が振り向いた。
金の猫っ毛がふわりと揺れる。
「ブリックです。よろしければ、スフィア共々これからも仲良くしてください」
彼の猫っ毛のように、柔らかくきらきらしく笑う彼の姿が遠ざかるのを、アルティナは手の中のハンカチをぎゅうと握りしめ見つめた。
そして――。
「――ッブリック様ぁん、素敵ですわぁ!!」
しっかりと恋する乙女の目をしていた。
「ええええ!? え、僕!?」
「ブリック貴様ああああああ!」
「えええええええ、スフィア!? 理不尽すぎない!?」
戸惑うブリックの声に、スフィアの咆哮が重なる。
せっかくアルティナと良い感じに終われたのに、何を台無しにしてくれてるんだという、あまりの衝撃の展開に、思わずスフィアの口調もいつぞやの教官のものへとかわる。
「お姉様は惚れっぽいんだ! 簡単に優しくするな! いや、冷たくしても許さん! お姉様を悲しませたら処す! 私からお姉様を奪っても処す! 付き合っても処す! 断っても処す!!」
「難しっ!? 全方位処される道しかない!」
「お待ちになってブリック様ぁ!」
「えええええええ!? アルティナ嬢!?」
戸惑いにあたふたするブリックを威嚇していたら、トンと肩を叩かれた。
「良いじゃないか、スフィア。なんなら四人で合同結婚式でもするか?」
「あ、無事だったんですね」
落馬した地点から歩いてきたらしい。元気なことだ。
「それはそうと、合同結婚式? 何を言っているんですか、グレイ様? 頭打ちましたよね」
「大丈夫、照れなくていいから。今日はもう遅いし休もう、スフィア。王宮にすぐに部屋を用意させる。あ! もちろん、まだベッドは別々にするから安心してくれ」
「はてしなく気持ち悪い」
「起きたら、一緒に式の日取りを決めような」
自分は目の前の男と会話をしているはずなのに、なぜか会話が通じていない気がする。
「だから、さっきから何を言われているんですか。私、誰とも結婚なんてしませんけど?」
怪訝にスフィアが顔をしかめれば、グレイはまさに『衝撃』と言った感じに目も口も丸くした。
「嘘だろ!? 『俺のお姫様』って言って差し出した手を取ってくれただろ!? 俺と一緒に同じ馬にのっただろう!? 俺に抱かれて!」
「語弊があります」
スフィアは腹の底からの大きな溜息を吐くと、指をパチンと鳴らして彼を呼ぶ。
「カモン、ガルツ」
「デリケートな修羅場に俺を召喚するんじゃねえ」
パカパカと気の抜けた馬蹄の音を響かせやってきたのは、彼ことガルツ。
瞼を重くして、全身で関わりたくないと言っている。
されどそれは許されない。
「子分に許された返事は?」
「…………はい」
ちょいちょいと、スフィアはガルツに屈めと手招きする。そして馬上から身体をかがめてきたガルツの耳をひっぱり、ひそひそと耳打ちをした。
「え、あ!? あぁ……はぁ……まったくよ……」
釈然としない顔で、しかし受け入れざるを得ないガルツは、頭をガシガシと掻いてスフィアへと手を差し出す。
「……俺ノオ姫様、一緒ニ馬ニノリマセンカ」
実に大根である。
しかし、スフィアはその棒台詞と一緒に差し出された手を取って、ガルツの馬に跳び乗った。
「なあ――っ!?」
グレイが驚愕に肩を震わせる。
「さあ! 逃げなさい、ガルツ!」
「ったく……。ってことで、すみませんね殿下。こいつちょっと貰っていきますんで」
「おい、待て!? 公爵小僧ちょっと待て! 俺の花嫁を返すんだ!」
「誰が花嫁ですか」
「誰が公爵小僧ですか」
パッカラパッカラとゆるく走る馬の後ろを、グレイが走って追う。
「スフィア!? あの古城じゃ、あんなに良い雰囲気だったじゃないか、俺達!」
「その話、詳しく聞かせてもらおうか、グレイ。誰の花嫁だって? 誰に許しを得てそんなことを言っている? 安心しろ。今回は一発ちゃんと残してあるからな」
背負っていた銃を手にして、馬の尻を追っかけるグレイに狙いを定めるジークハルト。
「ちょ!? 今それどころじゃ、ジークハルト卿!」
チラッとガルツは後ろを振り返り、次に目の前で鼻歌など歌っている少女に目を向ける。
「……いいのか? お前、満更じゃなかったんじゃねえの?」
「良いんですよ。高嶺の花はそんな簡単に手に入るものじゃないですから」
「はぁ、世の中の男共が報われる日は来るのかねえ……」
「それに、私が幸せになるのは、彼女の幸せを見届けてからですしね」
後ろを振り向いた先の光景に、スフィアの顔は満面の笑みを描いた。
「ジークハルト卿、目が怖いですって!?」
「ダンスを踊らせてやるよ!」
「待ってよ、ガルツ、スフィア! 僕を置いてかないでよ!」
「あぁん、ブリック様! 駆ける姿も凜々しいですわぁ、素敵!」
夜だというのに、賑やかなことこの上ない。とても貴族子女らしいとは言えない眺めだ。
しかし、その気取らない姿が、今はどうしてだかとても幸せに思える。
それはきっと、誰よりも自分がこの光景を望んでいたからかもしれない。
「ああ……私、帰ってきたのね」
一度は全てを捨てようと思った。
覚悟もした。
でも、結局は捨てられなかった。
いつの間にか、離れられない大切なものが増えすぎていた。
私はもうひとりじゃない。
彼女ももうひとりじゃない。
私には彼女がいて、彼女には私がいる。
互いを抱きしめた、あの抱擁の力強さは、この先何があっても忘れないと思う。
そして、私達の周りには彼らもいるのだから。
「俺のスフィアアアアアアッ!」
「誰のだ! 僕のスウィーティに近寄るな下僕!」
「待ってってばあ、スフィア!」
「なあ、スフィア。そろそろ子分卒業したいんだけど……」
皆がいれば、きっと寂しいことは二度とおこりはしない。
スフィアは夜空の輝きをエメラルドの瞳に映し、そして世界に響かせるほどの大きな声で叫んだ。
「ごめんあそばせ、殿方様!」
【完】
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
このラストは、連載当初から予定していたもので、やっと書けた!という万感の思いでいっぱいです。
(お疲れ様、楽しかったなどと思ってくださったら、↓の★で気持ちを伝えていただけるととても嬉しいです)
「100人全員折るんじゃないの!?」と思われる方もいらっしゃると思いますが、
スフィアが当初から掲げている「デビュタントまでに、できるだけ恋の芽をつみとっていく」という目的は達成したのかなと思います。
そして、残りのフラグ70本くらいですかね……それはデビュタント後の話になる部分だと思っております。
ということで、全体を通してみればここまでで【第一幕】という感じです。
この先も色々とストーリーのネタはありますが、
そこを書きだしてしまうと、また果てしなくなっていってしまうので
一旦、この幕で閉じさせていただければと思います。
途中で二章、三章を全削除して書き直すというハチャメチャなことをやりつつ、
更新も途絶えたりしながら、足かけ三年。途中で何度書くのをやめようと思ったか。
しかし、皆様の感想や★やブクマという目に見えるものに助けられながら、なんとか完走できました!
ありがとうございました!
そして、最後までお付き合いくださいました皆様、誠に感謝申し上げます。
また、11月に入りましたら新連載も始めます。
【悪役令嬢の遺言状】という、ミステリーファンタジーものになります。
作者フォローをしていただけますと、通知が行くと思いますので、是非ぽちッとしていただければ嬉しく思います。
それでは、ごめんあそばせ、皆様方!
次の作品でも、またお会いできることを祈っております




