44 さあ、帰ろう
「――って、なに遊んでるんですか。いえ、私も乗っかりましたけど」
スパンッとグレイの丸い頭を叩けば、閉じていた瞼がパチリと開いた。
「あれ、やっぱり駄目?」
「駄目ですね。最期までが長過ぎです。もう少しコンパクトにしていただきませんと臨場感が……」
「的確なダメ出ししてくる」
グレイはのそのそと身を起こし、壁を背にして座る。
「ちぇ。最後にキスしてもらえるかなって思ったんだけどな」
「三点ですね」
「何点満点中?」
「一那由他満点中です」
「なにそれ怖い」
はぁ、と呆れたような溜息を吐く彼は、「イテテ」と脇腹を押さえていた。
「さあ、遊んでる暇はありませんよ。ここまで来たのに煙に巻かれたんじゃ洒落になりませんから。行きますよ」
「それもそうだ」
「……傷は、その……大丈夫なんですか……本当に」
「ああ、大丈夫だよ。弾ももう残ってないし、傷も浅かった。ちょっと派手に血が出ただけさ」
「……本当ですか?」
下から見上げるように疑いの眼差しを向ければ、グレイは苦笑する。
「痛みも、スフィアの身に纏っていたものが今、俺の腹を温めてくれていると思うと、愉悦でどこかへ飛んでいってしまうから平気さ」
キラキラしい顔で何を言っているのか、とんだ変態だ。
「頭を大怪我されたようですね」
「元からさ!」
「なおヤバい」
あっはっは、と元気にグレイは笑ってるが、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。確かに死にはしなさそうだが、それでも多少なりとも無理はしているようだ。
スフィアは立ち上がると、スッと、グレイの目の前に手を差し出した。
「ほら、さっさと行きますよ。……手くらいは引いてあげますから」
早く、とばかりに背を向けたまま出されたスフィアの手を、グレイはさらに苦笑を深めて握った。
「光栄です、姫様」
長い通路の歩き続ければ、再び階段が現れた。階段の先には朝日だろう薄光が見える。
そうして階段をのぼりきりった先には、驚きの顔があった。
「に、兄様!?」
「おかえり」
手を引かれたと一緒に、彼の腕の中に閉じ込められてしまう。
「よく頑張ったね、スウィーティ」
ぎゅうと抱きしめられ、懐かしい匂いと呼び名にツンと目の奥が痛くなる。
しかし、それよりも先に確認しなければならないことがあった。
「そうです、兄様! レニ=ライノフがどこかに……!」
「安心しなよ。とっくに捕まえてるさ」
ほら、とジークハルトが顎先で示した先には、拘束されたレニ、エノリア、そしてリシュリーとカドーレが地面に座っていた。周囲には警戒するように騎士団が取り巻いている。
その騎士団の中で、見覚えのある面影の青年がいた。
ちょっと毛先が跳ねた黒髪短髪の、灰色髪の男によく似た面差しの――。
「グライド兄上!」
傍らのグレイも青年の存在に気付いたようで、驚きに名前を呼ぶ。
「よう、グレイ。無事で何より。そしてスフィア嬢も」
「ご、ご無沙汰しております、グライド殿下」
彼はグレイの兄であり、この国の第二王子であるグライドだった。西方騎士団にいると聞いていたが、まさかこのような場で再会できるとは。
「兄上がいるってことは、ここの騎士団は……」
「ああ、西方騎士団だよ。グリーズ兄上からの早鷹が団長のところに来てね。ややこしい手続き全部吹っ飛ばして、急いで兵を動かしたんだ。こういう時権力って役に立つよな。俺にこの肩書きがあって良かったよ」
カラッと笑って言うグリーズに、グレイは肩を上げて返事した。
アイゼルフォン兄弟で唯一妾の子であり、王位継承権は第三王子のグレイより下になるグリーズ。下手な継承争いには関わらないという意思表示のために西方騎士団に身を置いたという話だったが、どうやらそんな面倒なことを考えずとも、元々彼には騎士のほうが合っていたのだろう。
仲間の騎士と話をしている彼はとても生き生きとしており、スフィアは幼い頃に会ったきりだったが、その姿に安堵を覚える。
すると、短くなった髪に触れる手があった。
「それより、スウィーティ。こんなにボロボロになって……髪も……それにドレスも」
ジークハルトが眉をひそめて、スフィアの髪を指で梳いていた。
「平気ですよ、兄様。髪はまた伸びますし、怪我もありませんから」
「そうかそうか…………グレイ、お前下僕決定な」
スフィアににこやかな顔を向けていたと思った次の瞬間、ジークハルトは鬼のような形相でグレイを見た。
「えええ!? スフィア嬢はどこも怪我してませんが!?」
「髪もドレスも全て合わせてスフィアなんだよ」
「どちらかというと、私のほうが満身創痍なんですけど!? ほら! 腹が裂けてるんですよ!?」
「喚くなうるさい。腹が裂けたくらいでなんだ。股が裂けてから言え」
「股裂けは死にますよ!?」
このくらい叫べるのなら安心だ。
ギャアギャアと言い合うグレイとジークハルトを置いて、スフィアはある者を探し、騎士の間をぬって歩く。そうして、少し離れたところに見慣れたツンツンとした黒髪が目に入った。
「ガルツ!」
「スフィア無事だったか――って、お前その髪!?」
「イメチェンです!」
嬉しさのあまり、体当たりするように彼に抱きついてしまった。ガルツも飛び込んできたスフィアを一度強く抱きしめ、解放する。
「本当、ちゃんと逃げられたか心配で……っ、でも……」
チラッと、彼の頭に巻かれた白い包帯に目をやる。
「かすり傷だ、大丈夫。それよりお前は……その……知ってるのか? お前を連れ去った奴が誰だか……」
遠慮がちにきくガルツの視線の先には、前日まで友人だった彼女達がいる。後ろ手に縛られ俯いている姿を見ると、胸に苦々しいものが込み上がってくる。
「リシュリー……」
目の前に立ったスフィアに、リシュリーの顔が上がる。
「あら、短くしちゃったのね、髪。でも、あなたの高貴さには短いのもありね。凜々しくて素敵よ、スフィア」
リシュリーがニコッと笑った瞬間、彼女の頬で痛々しい音が弾けた。
スフィアの平手打ちが見事にきまり、リシュリーの顔は勢いよく横に吹き飛ぶ。
「――ッリシュリー……私は……あなたのことを大切な友人だと……思って……っ。けれど私だけならまだしも、私の大切な人達を傷つけるようなあなたはもう友達じゃありません……っ!」
おもむろに顔を戻したリシュリーが、再びスフィアを見つめる。
「嫌いとは言わないのね。相変わらず優しいわ、スフィアったら――」
同じ声音でたくさん呼ばれた名前を、今までと変わらずに口にするリシュリーに、スフィアは目を眇めた。そうして目に力を入れていないと、たまったものがあふれ出してしまいそうで。
「――だから好きよ、スフィア」
スフィアの頬に朝露が流れた。
あの頃と変わらず、細い目を弧にした微笑みを向けてくる彼女は、きっともうスフィアの知る彼女ではないのだろう。
スフィアは袖で雑に頬を拭うと、隣のカドーレへと目を向けた。
「すみません、スフィア、ガルツ。それでも僕は同じ状況になったら、また同じことをすると思います」
カドーレの視線が向けられた先にはリシュリーがいた。
「……そうですか」
他の者を害してでも好きな人の力になりたい。
それはもしかして、スフィアが彼女に抱いている感情と最も近いのかもしれない。
純愛とは言えないかもしれない。
ただ、これは歪ながらも確かに愛なのだ。
自分の幸せよりも愛する者の幸せを祈るこれは……誰が何と言おうと、確かに愛でしかないのだ。
「ほら、立て! 行くぞ!」
騎士団に腕を掴まれ、強引に引っ立てられるレニ達。
「ガルツ、彼らへの罰は……」
「爵位剥奪、領地没収。余罪があれば国外追放だな」
馬車に乗せられていく中で、振り向いたレニと目が合えば、彼はニィと口角をつり上げた。
「追放如きで私が諦めると思うなよ、赤髪。爵位や領地がなくとも、この頭があれば私はどこででも生きていける。むしろ、煩わしい貴族という枷がなくなれば、より自由になれる。必ず奪いに行くから、今よりもっといい女になって待っていることだな」
「虚勢もその程度になさいませんと、よりみすぼらしく見えるだけですよ」
「ハッ! 本当、ただの貴族にしておくのがもったいないよ。まあ、流れる血を考えればその傲慢な高貴さも頷けるが。だが、お前は正統な女王よりも悪の女王のほうが向いてるよ」
「意味分かりません」
「スフィアちゃ~ん。オレ達のお姫様になってくれる気になったら、いつでも連絡してね。すぐに迎えに行くからさぁ」
「騎士団の皆様。早く連れて行ってください」
本当、ライノフ一族というのは最後の最後まで……。二度とお目に掛からないことを願う。
馬車にぎゅうぎゅうに乗せられ、若いライノフ一族は連れて行かれた。
背後を振り向けば、古城の窓という窓からは、灰色の煙が空へと立ち上っている。
なんとはなしにその光景を『これで全て終わったのね』と見ていれば、目の前にぬっと手が差し出された。
手の主を見れば、血色が戻ったグレイだった。どうやら適切な治療を受けたようだ。
「さて、共に帰りましょうか。俺のお姫様」
白馬に跨がってキザったらしく言うその姿は、まさに物語の王子様そのものだった。
ただ、ぼろぼろの姿というのが惜しいところではあるが。
しかし、その惜しさがまさしく彼自身のようで、思わずスフィアは肩を揺らして「はい」と手を取ったのだった。
◆
「――では、リシュリー達の家族も?」
「ああ。以前、万が一を考えて父が中央騎士団の人数を増員させていたからね。王都全体に包囲網を敷くには充分の数だったろうさ」
ライノフ一族の全容が明らかになっても、国王のヘイレン達は動けなかったという。はっきりとした証拠がなかったかららしいが、しかし今回の件で、子供達の責任の所在と言うことで確保できたらしい。あとは、叩いて出てきたホコリを使って逮捕すると言うことだった。
「これで、国内からはきれいさっぱりライノフ一族は消える。もう安心して良いよ、スフィア」
真後ろから聞こえるグレイの声音は、とても嬉しそうだった。
スフィアはグレイと同じ馬に跨がり、王宮への帰路を駆けていた。途中で馬車に乗り換えるかとも言われたが、ゆっくりと帰るような気分でもなかった。少し後ろをガルツとジークハルトも一緒に駆けてきている。
日はとうに暮れ、夜空に星が輝き始めた頃、ようやく王宮の灯りが見えてきた。
「…………っ」
瞬間、スフィアの脳裏に、ホールで注がれた眼差しの冷ややかさが思い出され、身が強張ってしまった。
――…………お姉様。
こんな時でも、真っ先に心に浮かぶのは彼女だった。
きっともう大丈夫。彼女は笑ってあの日を終えられたはずだ。
全て、自分のやるべきことは終わった。
これからは、ただの嫌われ者の侯爵令嬢と人望ある大公令嬢の関係だ。
手の届かない存在でいい。それでいい。
瞼を閉じれば、今までの彼女のあらゆる表情や声が再生されはじめるが、スフィアは頭を強く振って全てを追い出した。
「大丈夫だよ、スフィア……きっと待ってるから」
誰が?
自分を待つ者などいない。
待っているはずがない。
あんな最悪なことをした悪役令嬢など、心待ちにする者がいるはずない。
いるはずが――。
次回最終話です。
二日おき更新でしたが、最終話は連続して明日更新します。




