41 赤ずきんと狼
「さっきから適当に進んでますけど、こんな広い屋敷……迷子になってませんか」
「僕を誰だと思っているんだ。迷うわけがないだろう」
「その自信はどこから……」
「間取りを全部覚えているからだよ」
「い、いつの間に」
「前回来た時」
怖っ、とグレイはジークハルトの後ろで沈黙した。
そしてどうやら、彼がこの広い古城の間取りを全て覚えていたというのは、本当だったらしい。廊下の先に、見覚えのある者達を見つけた。
廊下で遭遇した者達を見て、リシュリーはチッと忌々しげな舌打ちをした。
「こっちがハズレだなんてね」
リシュリーとカドーレに正対するのは、ジークハルトとグレイ。
「お久しぶりですね、リシュリー嬢」
「あら、覚えていてくださって光栄ですわ、殿下」
状況が状況でなければ、パーティでのただの挨拶にも見えるのだが。
「では……そこをとっととどいていただけると、ありがたいのですが」
グレイは王子よろしく胸に手を添え、令嬢に対する態度をとる。しかし、顔に張り付いた笑みに感情は乗っていない。
その肩を、背後にいたジークハルトが押しのけて前に出る。
「グレイ、どけ。時間が惜しい。お嬢さん交渉はなしだ。どいてもらおうか」
手にしていた短銃の銃口がリシュリーへと向いた。
「ちょ、ジークハルト卿!?」
女性相手に本当に引き金を引きはしないよな、とグレイは戸惑いを見せたが、しかしリシュリーは意外にもあっさりと二人に進路を譲る。
「いいわよ、どいてあげますわ」
壁際に身を引いたリシュリーとカドーレを横目に、やけに素直だなと思いつつも、二人は足を踏み出した。
瞬間――。
「ただし、駄賃はいただくわよ!」
「――ッぶない!!」
グレイが先にいたジークハルトの背に追い被さり、二人して床に伏せる。そのすぐ真上を、リシュリーの細く長い足がかすめていった。空を切る音がして、その鋭さはまるでギロチンの刃のようだ。
「随分と足癖の悪いレディだ。だが……私も人のことは言えなくてね!」
「きゃっ!」
まだ蹴った足が戻りきっていないリシュリーの一本足を、グレイの足が払った。リシュリーの細い身体は一瞬宙に浮き、そのまま腰から床に落ちた。その隙に、ジークハルトが無防備になった彼女の首筋へと手刀をたたき込めば、彼女は「あ゛っ」とダミ声を出して沈黙する。
そうして、ゆるりと立ち上がった二人が次に目を向けたのが、一切手を出さなかった男――カドーレ。
「さて、残るは君ひとりだけど、どうしようか?」
もし飛びかかってこようものなら、同じく沈黙させようと思っていたら、カドーレはグレイ達ではなく、床で気絶したリシュリーへと近寄った。
カドーレはリシュリーを横向きに抱えると、二人に向かって「すみませんでした」と頭を下げた。これに驚いたのは二人の方だ。
「スフィアは、おそらく東棟三階の一番奥にある部屋です」
「……君は、ライノフ一族じゃないのか」
「ええ、一族ではありません。一族に仕える下っ端という感じでしょうか」
悲しそうに微笑む彼を、グレイは困惑顔で見つめる。
「一族でないなら、なぜこんな馬鹿げたことに協力しているんだ」
「そうですね……たとえ馬鹿げているって分かっていても、好きな人の望みを叶えてあげたいって思ってしまったからでしょうか」
彼の言う『好きな人』というのを、グレイは瞬時に理解してしまった。彼が彼女を抱く手に、見つめる目に、グレイ自身も身に覚えがあるのだから。
「気持ちは分からないでもないな」
グレイが自嘲気味に言えば、カドーレは僅かに肩をすくめた。
「この廊下を右に曲がった先の部屋にガルツが倒れてます。息はありますが、気を失っていたようでしたのでお願いします」
「君は確かガルツ卿とは……」
「ええ、学友…………でした」
寂しそうな微笑みを残して、カドーレは、無防備に二人に背を向け離れていく。
その背に、ジークハルトが声を掛ける。
「おい! もし、カドーレという者に会ったら伝えておいてくれ」
グレイは、隣でわざとらしい言い方をしたジークハルトを見上げた。ジークハルトならば、遠ざかっていく彼の名前など覚えているはずなのに。
「……なんでしょう」
カドーレの足が止まった。しかし顔は振り向かない。
「とある人から伝言を預かった。金色の目をした、とても魅力的な黒猫のような女性からだ」
彼の背中が微動した。
「『ここでいつまでも待ってる。どんな道を選ぼうと、あんたはアタシの可愛い弟なんだ』だそうだ」
「……っ伝えておきます」
グレイにはよくは分からなかったが、どうやら伝言は相手にしっかり伝わったようだ。
「使わないことを祈りますが、何かあれば食器棚の下扉を」
カドーレはその言葉を最後に、廊下の奥へと姿を消した。
「最後の言葉、いったいどういう意味なんでしょうか?」
グレイが隣のジークハルトへ視線を送るも、彼は何か合点がいったのか、頷いてさっさと歩き始める。
「僕は公爵小僧を回収して先回りしておく。おそらく逃げてくるとしたら、そこだろうからな」
「え、ジークハルト卿!?」
「おいしいところは譲ってやる。ただし、スフィアにかすり傷でもつけてみろ? 一生お前は僕の下僕だからな」
この人なら本当にやりそうだ。王子に向かって下僕と言える人は、世界中探してもこの人だけではなかろうか。まあ、世が世ならこの人が王子だったと思えば、頷ける話でもあるのだが。
「じゃあ、せいぜい死ぬなよ、グレイ。事後処理が面倒だからな」
「ははっ……」
本気か冗談か分からないことを言いながら、ジークハルトはカドーレに言われたとおり、廊下の先を右に曲がってさっさと姿を消した。
「それじゃあ俺は――」
「あ、三階への階段は、来た道を戻って最初の角を左だからなー」
「……本当に間取り覚えてる」
響いてきた声に、全て読まれているとグレイは苦笑を禁じ得なかった。
「さて、せっかく譲ってもらったんだ。格好良くお姫様を助けに行くとするか」
◆
スフィアは実に不本意で不愉快な状況におかれていた。
部屋に連れ込まれた瞬間、中央にあった大きなテーブルに縫い付けられ、レニに上から覗き込まれる。抵抗しようにも足は宙ぶらりんで力が入らず、この状況を受け入れざるを得なかった。
「久しぶりだな、赤髪」
「眼鏡は外されたのですね、先輩。優等生キャラはもう必要ありませんものね」
真上から見てくるレニの顔は、記憶していたものより随分と大人になっていた。ゲームで見た姿に近い。
「嬉しいね、私のことを覚えていてくれて」
「当然ですわ。あの悔しそうな顔……実に見ものでしたから」
彼の片口がクッとつり上がると一緒に、彼の左頬に入った傷跡も一緒に歪んだ。
「ああ、これか? 君のせいで、私が歩む予定だった輝かしい進路が閉じてしまってね。まあ、そこから色々とあったんだが……君を手に入れようと決めた時に父親から貰ってしまったんだ」
「見事な自業自得の傷ですわね」
「まあ、もらったのはコレだけではなかったがね……父がどうなったか教えようか?」
テーブルに押しつけているスフィアの手を握るレニの力が増した。骨が軋み、思わずスフィアは顔を歪める。
「ライノフの財産の大半を消失させ、悪事が国にばれたことで領地替えをさせられ、貿易の権利全てを手放さなければならなかった。父はその責をとって、当主を私に譲って引退したよ。おかげで私がこうして当主になることになってね。父は今は領地の片田舎で、ぼけた日々でも送っているんだろうさ」
果たして、これが父親へ向ける言葉だろうか。
元はと言えば、彼が原因で、スフィアがライノフの悪事を暴くことになったというのに。悪びれるどころか、ちょうど良かったとばかりの言いようではないか。彼の言う『譲って引退』という言葉が嘘くさく感じられる。
「……あなたが当主の座を奪ったんでしょう?」
彼ならそれくらいやる。
「あっはははは! よく分かったな、さすがは赤髪だ」
「最低……」
「仕方ないだろ? 『男を狂わせる赤髪』――見事に私もお前に狂わされたってわけだ」
「あなたは元から狂っていたと思いますが?」
どうにか逃げだそうと足をばたつかせるも、くじいた方の足首を掴まれてしまった。
「――――っ!」
痛みに顔が歪むが、スフィアは悲鳴なんか上げてやるもんかと、唇を噛んでレニを睨み付ける。
「懐かしいな、その生意気な口も。あの日から、私は一日たりともお前を思い出さなかった日はない。お前に似た女にも色々と手を出してきたが、どれも違った。皆最初はお前みたいに気丈に振る舞ってみせるが、すぐに私に心を許す。そして、私の素性を知るやいなや、恐れて逃げ出す。お前みたいに立ち向かってこない」
レニは、呆れの滲んだ溜息を吐きながら首を横に振った。後頭部に撫でつけていた褐色の髪がぱらぱらと崩れて彼の顔にかかり、陰惨な雰囲気を増長させる。
「全員つまらなかったよ。あれほどの絶望や危機感を私に植え付けたのは、お前だけだったよ」
「そこら辺の女で我慢なさっていればよろしかったのに。どうせあなたは一生、私を手に入れられないんですから。無駄に幻想を追い求めるより、ご自身の身の丈に合った女性を大切にされてください。まあ……」
スフィアは顎をあげて目を細めると、クスッといやらしく笑う。
「女性の方が逃げ出すのは、あなたが下手だからだと思いますけど?」
「ハッ」と、レニは顔を背けて笑った。されども決してスフィアを拘束する手は緩めない。クツクツと喉を鳴らし、再びスフィアに向けられたレニの顔は、心の底から愉快だとばかりに笑んでいる。
「安心しろよ。どの女も満足させてきたさ。お前も大人しく私に身を委ねれば、痛いのは最初だけにしてやるよ」
「あら、最初から気持ちよくはしてくださらないのね、下手くそ野郎。……あなたに私はもったいない」
「いいねえ……この状況でも噛みつく余裕。それでこそ私の求めた赤髪だ。虚勢であってくれるなよ?」
「あなたに求められたくはありませんがね。執念深い男は嫌われますよ」
「大丈夫さ。すぐに、よすぎてもっとと泣いて請うようになるから」
「――――ッんん!!!!」




