40 邂逅
エノリアはゲホッと咳き込むと、血が混じった唾を床に吐き捨てた。
「あー痛ってえ……これ、肋骨二、三本いってんな……」
彼のトレードマークである黒の使用人服はいたるところが裂けており、下から覗く肌には赤い線が走っている。
「あら珍しい。重傷じゃない」
エノリアの全身を上から下まで眺め回し、リシュリーはケラケラと笑う。
「コイツ、剣の腹でぶっ叩きやがった。剣は斬るもんだ……衝撃すっご。まあでも、おかげで斬られずに済んだんだしね。本当、騎士道精神様々だわ、ハハッ!」
コイツ、とエノリアが足のつま先で、横たわるガルツを苛立たしげに蹴るのを、リシュリーは無感情な目で眺めていた。
「……本当、なんだかんだで優しいのは変わってないのね……」
「あっれぇ? しんみりさせちゃった? そういうリシュリーちゃんも優しいじゃん」
口元の血を拭いながら、ニヤニヤと隣のリシュリーを見下ろすエノリア。
「だって、オマエが間に割ってそいつの顎に蹴り入れてなきゃ、今頃、オレとそいつ刺し違えてたよ……。そいつも、オマエが入ってくるだなんて思わなくて、剣引いてまんまとお前の蹴り食らってたし…………わざと?」
腰を折って、ヌルリとリシュリーの顔に接近するエノリアに、リシュリーは舌打ちを返す。
「まさか。あんまり長引かせたくなかったのよ。あんたが手こずってるから、さっさと終わらせてスフィアを探しに行きたかっただけ」
「へえ……まっ、いいけどね。じゃあお望み通り片付いたことだし、探しに行こうか。オレを、助けてくれたリシュリーちゃんに選ばせてやるよ。どっち行く?」
『オレを』を強調するエノリアに、再びリシュリーの舌打ちが飛ぶ。
「あたし達は左に行くから、あんたは右に行きなさいよ。カドーレ、行くわよ!」
リシュリーの声に反応して、今まで壁際で置物と化していたカドーレがようやく足を動かす。そのまま二人は部屋を出て行った。
「さて、じゃあオレも行こうかな」
部屋を出て行く寸前、エノリアは床で横たわるガルツを一瞥して、にやりと口端をつり上げた。
「お姫様には、王子様は来ないよって伝えといてあげるね」
◆
階段の下。スフィアは陰に隠れるようにして膝を抱えて小さくなっていた。
「ガルツ大丈夫かしら……まあ、リシュリー相手に、ガルツがどうこうされるとは思ってないけど」
それにしても遅すぎる。
彼を探しに行った方が良いのではないか、でも隠れていろと言われたし、とスフィアに迷いが生じ始めたとき、廊下からコツリと音が響いてきた。
それは、革靴のヒールが床を踏む音。
「――ッガルツ遅いです…………っ!?」
やっと戻ってきてくれた、と顔を上げれば、そこには見たくもない顔が。
「お姫様み~っけ」
サッと血の気が引いていく。
「やっ……!」
抵抗する間もなく腕を捕まえられ、暗がりから引きずり出される。
「ちょーっと、オレも色々痛くて、優しくしてあげる余裕がないんだよねえ……大人しくしててくれる?」
「――――っ!」
痛いくらいに冷たい目だった。
彼の姿をよく見ると、服の所々は切れ、血が滲んでいる。口元や、自分の腕を握る手にも血がついている。
「……ガルツは」
男がにっこりと笑った。
強引に腕を引かれ無理矢理に歩かされる。片足を負傷しているため、踏ん張って抵抗することもできない。
「――っどこに!?」
「主のところ」
薄暗い廊下をズンズンと進んでいく。長い長い廊下の両側にはいくつもの部屋が並び、そのどこかにガルツがいるのではと、覗きたい衝動に駆られるが、少しでも歩速を緩めよう者ならエノリアに、腕が抜けんばかりの力で引っ張られた。
そうして、廊下の突き当たりにある扉の前で、やっとエノリアは足を止めた。
おそらくここが、彼が言う『主』がいる部屋だろうが、エノリアは扉を開けることはせず、突然、横の壁にスフィアを押しつけた。
「何を!?」
「主のだからさぁ、手は付けられないんだよねえ。でも、こんだけ頑張ったんだし、ちょっとくらい、ご褒美をもらっても良いと思わねえ?」
いつぞやと同じく壁に押しつけられる。しかも今度は手まで拘束されてしまう。
顔の横で両手の動きを封じられ、スフィアは懸命に視線だけで凄んでみせる。
「懐かしいねえ……あの日の路地裏での続きといこうか?」
「…………っ!!」
エノリアは舌なめずりすると、そのままスフィアに覆い被さった。
そうしてスフィアの唇に、彼の息がかすめた時、隣の扉がキィと開いた。
「何をやっている、エノリア」
少しでも動けば、エノリアの唇が当たってしまう距離で、スフィアは隣の男の姿をみることはできなかった。
ただ、聞こえた声は、どこかで聞き覚えがあるような気がする。
「それは私のだ」
「……ざぁんねーん。時間切れか」
エノリアは大人しくスフィアから身体を離し、スフィアの腕の拘束もなくなる。
彼は何もしてませんとでも言うように、顔の横で両手を挙げていた。
「外が静かになった。お前は客人をもてなしに行け」
「へいへーい」
エノリアは場にそぐわぬ気楽な返事をすると、来た道を戻っていく。
「久しぶりだな」
スフィアの顔がようやく横を向いた。
瞬く間に、目も口も見開かれる。
「……レニ……ライノフ…………」
震える口でスフィアがやっとその名を紡げば、男――レニは、ニィと口端を嬉しそうにつり上げた。
「覚えていてくれて光栄だよ、赤髪」
次の瞬間、伸びてきたレニの手に腕を掴まれると、あっという間もなく、そのまま部屋の中へと連れ込まれた。
バタンと扉が閉じられ、廊下にはカチャンと鍵のかかる音だけが響いていた。
遅れてすみませんでした……




