39 覚悟を見せろよ
声が聞こえる部屋に飛び込んだガルツが見たのは、うめき声を漏らしながら床に伏したリシュリーだった。
「リシュリー、大丈夫か!」
慌てて駆け寄ったガルツが、リシュリーの細身の身体を助け起こす。
「ぐあっ!?」
が、次の瞬間、強烈な衝撃を頭に受け、今度はガルツの方が床に伏した。
「あら、やっぱりガルツだったのね。わざわざこんなところまで助けに来るなんて、献身的ねえ」
「なに、を……? リ、シュリー……ッ?」
頭を押さえながら、ふらふらと立ち上がったガルツだったが、助けを呼んでいたはずのリシュリーがピンピンとしているのを見て、とたんに困惑顔になる。
彼女は手にした短銃で、己の肩をトントンと叩いていた。あまりにも馴染みすぎているその姿は、ガルツが知るリシュリーとは異なっている。
頭を押さえていた手に、ヌルリとした感触があった。そして彼女の握る短銃のグリップの底には、ぬらぬらと血が光っている。
「……っどういうことだ……リシュリー……」
痛みはあるが、どうにか思考できるくらいまで意識が戻ってきた。そこで、リシュリー以外にも二人、部屋に居ることに気付いた。ひとりはカドーレで、部屋の隅でまるで置物のように沈黙を保っている。そして、もうひとり。ニタニタとしながらこちらへと近付いてくる背の高いひょろりとした男。
「誰だ、お前」
「あっれぇ、まだ結構正気じゃん。もしかして手加減した? お優しいねえ、リシュリーちゃん」
「うっさいわね。あんたは黙ってなさいよ」
隣に来た男に舌打ちをすると、リシュリーはガルツへと向き直る。
「ガルツ、昔のよしみで殺しはしないわ。だけど、邪魔だからちょっとオネンネしててもらうわよ」
「じゃあ、オレはひとり先に、スフィア姫でも探しに行こうかな。主が首を長くして待ってるだろうし」
「やだやだ、スフィアはあたしが見つけるんだから! あんた、絶対雑に扱うでしょ!」
ここまで来れば、さすがのガルツにも状況が理解出来た。
このニヤけた男はスフィアを攫った一味のひとりで、リシュリーは助けなど必要としておらず、そして、スフィアを連れ去った者達側なのだと。
「じゃあ、リシュリー。その男は任せたよー」
踵を返した男が、呑気な足取りで扉へと向かおうとする。しかし、その背に険が交じった声が掛けられた。
「待てよ……なに、ひとを無視していこうとしてんだよ」
ピタリと男の足が止まる。
男はゆっくりと片足ずつ振り向くと、剣を抜いたガルツを見て目を細めた。
「へえ、元気だね。いいよ、寝ときなよ。ザコ君」
「そうしたいのは山々だが、そんなわけにもいかなくてね。俺だってお姫様を助けに来てんだ。カッコくらいつけとかねえと」
「やるの? 死ぬよ?」
「ハハッ……逃げんなよ、ザコが」
男の薄ら寒い微少顔は崩れなかったが、額に青筋が走った。
「……リシュリー、手ぇだすなよ?」
「あーあ、これだから男はすぐ熱くなって。やだやだ」
懐に両手を入れた男は、次に手を表すときには両指いっぱいに小刀を掴んでいた。
「スフィアちゃんには王子様は来ないよって伝えとくねぇッ!」
「ぬかせ、ひょろ男!」
◆
動けなくなった野犬の低いうめき声と、血と硝煙が混じったねっとりと肌にまとわりつく不快感が、辺りを覆っていた。
「じょ、冗談でしょう?」
「はは。冗談かどうか……試してみるか?」
撃鉄がカチリと起こされる。
「そんなに私が気に食わないですか……」
「気に食わないわけじゃない。ただ相応しくないだけだ」
『何に』相応しくないのか、二人の間では明白だろう。
グレイは前髪をくしゃりと乱暴に握りこむと、足元の暗い草むらに溜息を落とした。
「どうしたら卿は、私の気持ちに納得してくれるんですか!」
「納得も何も、お前は僕を認めさせようとは、まだしたこともないだろう? 好きだ好きだと吠えるばかりで」
「――っ!」
耳が痛かった。
「グレイ。この銃にあと何発弾が残っているかわかるか? 次弾が空か、それともはいっているのか……」
適当に向けられていた銃口が、今度はしっかりと眉間に照準を合わせられたのが分かった。
「覚悟を見せてみろよ、グレイ」
なんなのだ、この理不尽は。
覚悟を見せろ? つまり、度胸試しをしろとでも?
そんなこと受け入れられるものか。
覚悟を見せたところで死んでしまったら彼女に会えなくなる。
しかし、ここでやめてくれと言うのは、自分の中の矜持が許さない。
いつも彼には負けっぱなしだった。それで、この期に及んで自ら負けを選べば、この先彼女の顔をみれなくなってしまう。
「そんな安い挑発に私が乗ると思いましたか?」
声も荒げられていない、怒りを向けられているわけでもない。だというのに、グレイの額にはうっすらと汗が滲み、呼吸が勝手に荒くなっていた。
今自分の命は、彼の人差し指次第だという圧迫感が首を絞めてくる。
「卿は、いったい何がしたいんですか。私はスフィアを愛しています。王宮に彼女が連れてこられるより前から……ずっと彼女だけを見てきました。それでも私の何が足りないと言うのです! あのガルツとかいう小僧の方が似合いだとでも言いたいんですか!?」
身体を締め付ける圧を振り切るように、グレイは大仰に手を振り払い。初めて声を荒げた。しかし、相対するジークハルトには少しも変化は見られない。
「いや、彼は駄目だ。彼ではスフィアを守れない。彼は最後には家をとる。特にアントーニオ公爵家という大貴族ともなれば、何よりも家を取るのが正しい。恋心ひとつで家を破滅させるような者は当主には相応しくないからな。その点、彼はきっと素晴らしい当主になるよ。貴族としてはこの上なく優秀だ……ただ、それは貴族としては、だ。スフィアにはそれじゃ困る」
「じゃあ、誰であれば卿は認めるって言うんですか!! それともあなたが一生彼女を傍で守るとでも!? 無理でしょう! あなただって家を継いで、奥方を娶って、子をなして……そうなればスフィアはひとりに――」
「僕は誰とも結婚するつもりはない」
「…………は?」
「今のところはだがな。こんな事になって再確認させられるとは皮肉だが、まだこの国には彼女を守れるだけの人間がいない」
暗にやはり『お前では不十分』だと言われる。
しかし、不十分を否定することもできない。この状況を招いてしまった現実がここにあるのだから。
「それに、僕はこのままレイランドの血を終わらせてもいいと思っている……まだ誰にも言ったことはないがな」
「そんな勝手な……レイランドの血は絶やすなと……! そんなこと許されるわけがない!」
「誰の許しが必要だと? 今はまだ侯爵子息だが、侯爵になれば僕が当主だ。レイランドをどうするかは僕の自由だ」
「しかし、それがかつての王との約束では……」
「数百年前の約束事など僕は知らん。勝手なのはどっちだ。ずっとレイランドを縛り付けてきたのは……王家のための血として見てきたのはどっちだ? そろそろ僕たちを解放してくれても良いだろう。もうただのレイランドでいさせてくれ」
「し、しかし、あなた達が普通だと言っても、周囲は……」
「そう、ライノフのような者が現れる。だから、もう血ごと絶やした方が早いんだよ」
今、この状況で、彼の言葉を否定できるだけのものを、グレイは持ち合わせていなかった。
「僕は、スフィアには自由でいてほしいんだ。それこそ蝶のように好きな花にだけ止まって生きていってほしい」
「であれば、彼女が私を選べば問題ないということですよね」
「選べばな」
鼻で笑われ、思わず目の下が痙攣した。
その些細な反応すらも、お見通しだとばかりに微少でもって眺められると、「ガキだ」と言われているようで、さらにグレイの顔が歪む。
「お前はまだ花ですらない。気付けよ、彼女の選択肢にすらなってないんだよ」
どうして……。
「確かにお前は、他の奴等よりかは少しはマシなのかもしれない。だが、それはお前の背後にある権力によるところが大きくはないか? お前が今までやれてきたことは、『王子だから』だろう?」
「本当……痛いところしか突いてきませんね、あなたは」
「確かにそれも力ではある。だが、僕はそれを認めない。権力に寄った奴は、権力を奪われた途端、犬より使えない馬鹿になる」
彼が言うところは全て正しい。
彼が言うからこそ、誰が言うよりも説得力があった。
いち侯爵令息でありながら、おそらくこの国の誰よりも彼は秀でている。それは自分の父親である国王よりも。
そんな彼に――いや、愛する彼女のために今グレイが差し出せるものは――。
「彼女のためなら、私は王子を捨てても良い」
「ほう?」
「彼女が国を捨てると言うのなら私も捨てましょう。地位も名誉も金も何もいらない! 彼女が隣で笑ってくれれば、私はそれでいいんです!」
「……残念だよ」
次の瞬間、グレイの全身に、銃声が衝撃となって響いた。
グレイの耳元をかすめた銃弾は、グレイの背後で、飛びかかろうとしていた野犬に断末魔をあげさせた。
「ああ、残念だ。お前が賭けにのってくれなくて。躍起になった馬鹿は、度胸試しなんていう思考停止に逃げてくれるんだがな」
「……ひとまず、あなたの最低限のお眼鏡にはかなったということでよろしいでしょうか?」
ふっ、と片口を上げて笑まれる。
まあ、試される程度には、他のものより認めてくれているのだろう。やり方が過激すぎるが。
「グレイ、言葉より行動で示せよ」
「……当然ですよ」
いつの間にか詰めていた息を、ようやく吐き出せた。
本当、彼がライバルでなくて良かったと思う。
「それにしても過保護が過ぎますよ、ジークハルト卿」
「愛する者のために生きるのがレイランドだからな」
「愛……ですかねえ……」
彼が『兄』で良かったと、ほとほと思う。
兄という檻で囲まれていなければ、真っ先にスフィアを攫っていたのは彼だっただろう。
「それじゃあ、私達のお姫様を迎えに行きましょう。良いとこころをガルツ卿にかっ攫われたんじゃ堪ったもんじゃないですからね」
「僕としては、お前達二人で潰し合ってくれたら手間が省けて良いんだがな」
本気か冗談か分からないことを言う。いや、きっと本気なのだろう。
すっかり戦意喪失した野犬たちが伏す中、ジークハルトと共に入り口まで真っ直ぐに歩く。
大きく頑丈な扉はしっかりと閉じられていたが、長銃が鍵穴に向けられ、引き金が引かれれば、扉は力なく開いた。




