38 駄犬
「なんで……確かここってリシュリーん家の別荘だったはず……」
まだ夜が残っているせいか、古城は裏側である海から見える景色とは顔を変え、正面側は木々に囲まれうっそうとして、思い出の姿より随分とおどろおどろしい。。
しかしそれでも、この古城をかつて自分たちが合宿と称して訪れていたのは、紛れもない事実であり、なぜ攫われたスフィアが、ここにいるのかとガルツは戸惑いに声を震わせていた。
「使ってない期間に目を付けられたのか……?」
当然、グレイとジークハルトは、レニとリシュリーが繋がっているのを知っている。しかし、あえて二人は口をつぐんだ。
駆け通しで疲労が肉体を蝕み始めている上、同学の旧友がライノフの一味という心的負荷まで与える必要はない。下手をすれば、彼はこの場から動けなくなってしまう。
相手が何人いるか分からない中、ただでさえ少ないな戦力をこれ以上減らしたくはなかった。
それにここまで来たのなら、いずれ分かることだ。
「まあ、どこにでもネズミは入り込むということだ。それよりも、見ろ」
ジークハルトが古城の入り口のほうを顎で示した。
ジークハルト達の所から入り口まで、膝丈ほどの草が生い茂っており、草がガサガサとあちらこちらで揺れている。しかも時折低いうめき声まで聞こえる始末。
草の切れ目からチラチラと見える三角耳と、つるりとした毛に覆われた逞しい肢体――目の前には、到底お行儀が良いとは言えない犬達が、うろうろと侵入者に文字通り目を光らせていた。
「今頃、早鷹でグリーズが西方騎士団に知らせているはずだが……お前達は騎士団が来るまで待った方が良いと思うかい?」
肩をすくめて、ジークハルトが背後の二人へとおどけて尋ねれば、二人はお互い横目で目配せをする。
「スフィア嬢が大人しくしてると思うか、ガルツ卿」
「……思いませんねえ」
「だろうな。相手の逆鱗に触れるどころか、わざと爪を立てて逆撫でくらいはしそうだ」
そういうことで、とグレイはジークハルトに目を向ける。
「さっさと行きましょう、ジークハルト卿」
ジークハルトは満足げに口端をつり上げた。
「それじゃあ、公爵小僧は裏口から。僕と馬鹿は正面から入るとしよう」
「とは言っても、この野犬の群れはどうしましょうか。裏口に回るにしても、犬に気付かれずにとなると、かなりの大回りになりそうですね」
「そこは任せなよ。犬の扱いには慣れているからね」
言うなり、ジークハルトは取り出した短剣の刀身を素手で握りしめた。
グレイとガルツが「え!?」と驚く間もなく、彼は血まみれになった短剣を犬の群れへと投げ込んだ。
血の匂いに反応して、いっせいに犬たちがジークハルト達へと意識を向ける。
次の瞬間、ジークハルトの背負っていた銃がドンッという音と共に白煙を上げた。キャインッと甲高い悲鳴が上がる。
ジークハルトは犬の悲鳴が上がろうと、お構いないし次々に銃を放つ。しかも、片手リロードという離れ業を、平然とした顔でやってのけて。
呆気にとられている二人をよそに、ジークハルトは次々に襲い来る犬を大人しくさせていく。
「何をしている。惹き付けといてやるからさっさと行けよ、公爵小僧」
唖然としていたガルツだったが、ジークハルトの声で我に返ると、「すみません、お願いします!」脱兎のごとく裏口へと向かった。
「ジークハルト卿、左手は……」
だらりと身体の横に垂らされた左手は、真っ赤に染まっている。
「心配するな。派手に見えるだけで皮一枚だ。支障はない」
ジークハルトは懐から今度は短銃を取り出し、間髪容れずに撃ってのけた。しかも、同時に犬の鳴き声も上がりその腕の良さも見せつけられる。
「両撃ち……ハハッ……」
とことんこの男は規格外だなと思う。
唐突にジークハルトから「弾」と、短銃の方を放られる。
どうやら弾を込めろという意味らしい。大人しくジークハルトの腰元をあさり装填して渡す。グリップについていた血の量を見るに、確かに傷はそこまで深くなさそうだ。
ひっきりなしに銃声が響き、犬の悲鳴が間に挟まる。
「本当、犬にでも容赦しないんですね」
「所詮は犬だからな。安心しろ、後ろ足しか撃ってない」
「それにしても、この犬たちは特に躾られているわけではなさそうですね。血の匂いに夢中で、ガルツ卿には目もくれなかった」
「駄犬だな。…………さて」
ジークハルトの行動に、グレイは眦が裂けんばかりに目を見開いた。
「お前は賢い犬かな、グレイ?」
ジークハルトの銃口がグレイを向いていた。
「嘘……ですよね」
ジークハルトは笑って肩をすくめるだけだった。
◆
裏口の鍵を剣で壊し、静かに城内へと忍びこんだガルツ。
「…………大人しくしてないとは思ったけどよ……」
ガルツは頭を押さえて、呆れの滲んだ溜息を吐く。
「もうちょっとは大人しくしといてくれよ」
今し方ガルツの目の前を、後ろ手に縛られたまま猛スピードで駆け抜けていく赤髪の令嬢が横切っていったところだった。
「おい、スフィア!」
「え、ガルツ!? どうしてです!?」
声を掛ければ、赤髪の令嬢は足を止め驚いた顔で振り向く。ひょこひょことした歩みでやって来た彼女は、どうやら片足を負傷しているらしい。だとしたら、負傷した足でヒールをはいてあのスピードで爆走していたということか。彼女の兄といい、いったいどうなっているんだか。
ガルツは剣先でスフィアの戒めを切ってやる。
縄が解け、自由になったスフィアを見てもガルツの表情は晴れなかった。
彼女が一番助けが必要な時に、手を差し伸べられなかった。そんな自分が、今更いったいどんな顔をして彼女に会えるのか。好きだなんだと言っておいて、何もできなかった自分など、彼女はもう見向きもしてくれないだろうと、あの日からずっと悩んでいた。
しかし――。
「ありがとうございます、ガルツ。助かりました」
振り向いた彼女が、以前と変わらずに自分を呼ぶ声を聞いたら、自分に向ける顔を見たら、胸の中にあった愁いは全て吹き飛んでいた。
ガルツはもたれるようにして、スフィアを抱きしめる。
スフィアの耳元ではガルツの溜息が聞こえたが、それは呆れと言うより安堵という感じのもの。
「……怪我は」
「少し足首をひねっただけで、特にはありませんよ」
「そうか……良かった」
ガルツが身体を離し、二人の視線が正面から交わる。
「――っ何、勝手に連れ去られてんだよ! どんだけ心配したと思ってんだ!」
「心配……してくれたんですか」
ガルツの怒号にスフィアが目を瞬かせる。
「当たり前だろ! 本当お前は昔からトラブルには事欠かねえよな!?」
「す、すみません……」
「まあ、説教は後だ。さっさと出るぞ」
「ガルツひとりですか?」
「あ? なわけねーだろ。お前の兄貴とあと――」
そこまで言った時、ガルツの言葉は意図せぬ叫びにより遮られた。
「キャアアアアアアアッ!! 助けて、誰かぁ!」
廊下の奥から、突如響いてきた女の悲鳴。
「悲鳴!? ってこの声、リシュリーじゃねえか!? あいつも一緒に攫われてたのか!」
「待っ――!」
「スフィア、ここから動くなよ! すぐ戻るから大人しく待ってろ!」
「違っ!? 駄目、ガルツ! リシュリーは――!」
ガルツは、スフィアを階段の陰へと無理矢理押し込めると、スフィアが制止する声も聞かず奥へと走って行ってしまった。
「――ッリシュリーは……向こう側よ……」




