35 追走
「衛兵! 直近で王宮を出て行った者はいるか!?」
正門に立つ衛兵に、息を切らせたグレイが掴みかからんばかりの勢いで尋ねた。
衛兵はまず相手のその慌てぶりに驚き、次に尋ねてきた相手が第三王子だと知るとさらに驚愕し、姿勢を正して早口に状況を説明する。
「で、出て行った馬車が二台のみです!」
「その中にレイランド侯爵令嬢は乗っていなかったか!? 際立つ赤髪のご令嬢が!」
衛兵は記憶を探っているのか視線を上向け、んーと眉根をよせて唸る。その時間すらも惜しいとばかりに、グレイは口の中で舌打ちする。
「そういえば……後に出て行った方の馬車に、赤い髪の女性が乗ってい――」
「どっちに行った!」
「ぅああっ、あぁ、あ、あちらです!」
喰い気味に尋ねるグレイの剣幕に押され、衛兵は舌を噛みながら馬車が向かった方を指さした。
それは王宮正門の東。
するとそこへ「殿下!」と、一足遅れてガルツとブリックが追いつく。
「いったい……っ急に走り出して、どうされたんですか……」
「スフィアでも見たんですか……っ」
二人とも息を荒くし、特にブリックは脇腹を押さえ、膝に手をついて身体を支えていた。
ホールから正門までを最短距離で疾走するグレイを追った二人は、植木を飛び越えたり、塀の隙間など不慣れな道を行くことになったりと、体力が大幅に削られる羽目になった。
しかし、休む間など与えぬとばかりに、グレイの指示が飛ぶ。
「スフィアは東だ! ガルツ卿は追ってこい! ブリック卿は兄上に知らせに行ってくれ!」
「追ってこいって、どういう……!?」
「あ、兄上って……まさか王太子殿下!?」
「衛兵、馬を借りるぞ!」
はいぃ、と衛兵が返事をするよりも早く、グレイは衛兵の馬に飛び乗り正門を飛び出していく。すぐにガルツも、グレイの切羽詰まった表情と、『東だ』と言った意味を察し、もう一人の衛兵から馬を借りるとグレイの後を追った。
◆
暗さが増した道を、二頭の馬蹄の激しい打音と共に駆け抜けていく。
いつの間にか王都の城壁を抜け、道は石畳から土道の街道へと変わっていた。
「いた!」
ガルツが道の先に止まっていた、明らかに貴族用の馬車を見て声を上げる。
馬車は路肩に寄せてあり、二頭繋いであっただろう馬は一頭しか残っていない。まるで乗り捨てられたかのようにしんとしている。
慎重に周囲から様子を窺えば、窓にもたれているのか、カーテンの隙間から鮮やかな長い赤髪が覗いていた。
「――ッスフィア!」
急ぎ馬車の中に踏み入ったグレイだったが――。
「な……っ!?」
椅子の上にはひとりの女性が、猿ぐつわをかまされ、後ろ手に結ばれた姿で横たわっていた。しかし、確かに彼女は鮮やかな赤髪をしていたのだが。
「んーーーー!!」
「君は確かスフィアの……」
「え!? マミアリアさん!?」
猿ぐつわを外されたマミアリアは、悔しそうに眉根を寄せて怒気をはらんだ声で叫んだ。
「あのっ! クソエノリア!!」
瞬間、グレイは踊らされたと察し、盛大な舌打ちをした。
時を遡り――スフィアを送り出したマミアリアはグレイとも別れ、お目当ての男と対峙していた。
『お久しぶりです、エノリアさん。会いたかったです』
『おや、これはこれはマミアリアさん。しばらくご連絡いただけなかったので、てっきり嫌われてしまったのかと思いましたよ』
『まあまあまあまあ空々しい。うちのお嬢様に無礼を働いて、まだ好かれていると? 傲慢も甚だしいものですね』
『おや、浮気は許さないタイプでしたか?』
『まあ、私も男性の浮気心で長らく生計を立てていましたから、頭から責めるつもりはありませんが……。ただ、お嬢様の事になると話は別です』
次の瞬間、マミアリアから飛来した短刀がエノリアの足元に突き立っていた。
『あっぶないな~。よけなかったら刺さってたじゃん』
ニタリと目を弧にしたエノリアに、マミアリアの口端が引きつる。
今まで見ていた紳士的な姿は、もはやどこにもない。
『そちらが本性ですか。お嬢様に無礼を働く男の勲章など不要ですよね。ちぎり取って差し上げますよ!』
『あっは! ヤァッバ! さすがはレイランド家のメイドだ。ただもんじゃないね! 普通はドレスの下に投げナイフなんか仕込まないって』
『普通なんかごめんですから!』
二人は舞い踊るように、入れ替わり立ち替わり、短刀を投げては避けてを繰り返す。しかしダンスには終わりがあるというもの。ひらりひらりと細身を活かして躱すエノリアに、マミアリアの苛立ちがピークになった時。
『でも、まだまだだね』
目の前にいたはずのエノリアの声が、背後から聞こえた。
『悪いことには向いてないよ、あんた』
『――っん!?』
気付いたときにはマミアリアは口にハンカチを噛まされ、両手は後ろ手に縛られていた。
なぜか結んでいた髪までほどかれ、長い髪がバラッと背中に落ちる。
『んー羨ましい。主従で同じ髪色だなんて……にしても、本当特徴的な赤髪だよね。ちょうどいいや、これでリシュリーに貸し作ってやろ』
後頭部に頬ずりされている感覚があり、マミアリアはゾワリと全身が粟立った。
『んーー!! んんんんーーーー!!』
『ああ、はいはい。大人しくしてたら危害は加えないから、ちょっと眠っててね』
『んぐっ!?』
腹部に重い鈍痛を感じて、マミアリアの記憶はそこで閉ざされた。
「――それで、次に目を覚ましたらあの状況でした」
マミアリアは、ガルツの腰に抱きついて馬に跨がり、グレイ達と一緒に王宮への道を戻っていた。
「何が危害は加えない、よ! あの二重人格虚言癖野郎が!」
「おぉ……やっぱ、マミアリアさんはそっちの方が安心するよな」
背後で口汚くぎゃんぎゃんと罵っているマミアリアに、ガルツは顔を引きつらせつつも妙な安心感を覚えていた。
「しかし、やはりあの男もライノフ一族だったな」
ぼそりと独り言の大きさで呟いたグレイの声は、馬蹄の音でかき消される。
「急ぐぞ、ガルツ卿! 恐らくスフィアは先の馬車だ。随分と手の込んだ時間稼ぎをしてくれたものだ……っ」
そうして来た道を戻った三人を、王宮の正門前で意外な人物が出迎えた。
「やっとか。これ以上待たせるようなら、僕ひとりで行こうと思っていたところだ」
「ジ、ジークハルト卿!? 何故、王宮へ! それにその馬は……」
そこには、グレイ達が乗る馬よりも、一回り逞しい黒毛の馬に跨がったジークハルトの姿があった。
「スフィアを完全にひとりにするわけないだろう――とは言いつつも、どうやら少々遅かったようだが」
「そ、そうです! スフィア嬢が何者かに……っ! 恐らくライノフに……」
「分かっている」
ジークハルトが正門に向かって「グリーズ殿下!」と声を上げると、グレイと同じく白い正装姿のグリーズがブリックと共に馬を携えて現れる。
「呼び方は気を遣ってくれたみたいだけどさ、王太子に馬を調達させる奴なんてジークくらいだよ」
二人は手綱をグレイとガルツへと渡す。それぞれ白馬と鹿毛馬を預かり、乗っていた衛兵の馬と交換する。
「事情はブリック卿から聞いたよ。中央騎士団のを拝借してきた、衛兵の馬よりも走れる。それと剣も。グレイ、ガルツ卿、気をつけるんだよ」
「ガルツ、僕も行くよ!」
ブリックが叫ぶが、しかしガルツは首を横に振った。
「駄目だ、残れ。馬で全力疾走するんだぞ、乗れるのか」
悔しそうに唇を噛むブリック。恐らく、三人について行けないことは分かっていたのだろう。その技倆が自分にはないことも。それでも彼は言わずにはいれなかったのだ。
ジークハルトの「行くぞ」という声がかかる。馬がゆっくりと並足で進み始める。
「――っ必ず、スフィアを連れて帰ってきてよね! 待ってるから!」
「絶対に!」と、ガルツは遠くなり始めたブリックに言葉を残し、先を走り始めた二頭と共にあっという間に小さくなった。
馬を走らせながら、ガルツはスフィアがレニに執着されている話を、二人から聞かされ、驚愕に口をあんぐりとさせた。
「あんだけこっぴどくやられて、今更なんでまた……」
「変わった性癖なんだろうさ、そこのばか王子と同じく」
「一緒にしないでください。私のは純愛です」
当然、スフィアの血の事は秘匿したままである。
「じゃあ、スフィアが連れ去られたのはライノフ家領ですか。ライノフ家は、以前はパンサスでしたけど今はー……」
「そんな単純なところじゃないさ」
ガルツがライノフの新たな領地を思い出そうとしていたところを、ジークハルトが否定する。
そういえば、とグレイは先頭を走るジークハルトの手綱さばきに、迷いがないことに気付いた。王宮を出て彼はずっと西へと進路をとっている。
「ジークハルト卿は、どこへ連れて行かれたかご存知なんですか?」
「ナイスバディなレディが教えてくれてね」
「やっらしー」と呟けば、ジークハルトに背負っていた銃で殴られた。
◆
「ん……ぁ……あれ、私……?」
スフィアがまぶしさに目を覚ますと、まず視界に飛び込んできたのは、たくさんの蝋燭が飾られたシャンデリアだった。




