32 行ってきます
春。デビュタント。それは、貴族にとっての一大式典。
毎年、その年の出席者の中で最も家格が高い家が、開催日を決めることができ、今年は風に冷たさがまだ残る麗らかな季節に催される。なんでも、ウェスターリ大公家がいつもよりも早い日を希望したのだとか。
朝から行われていたそれは式典を終え、午後からは出席者以外を入れてのパーティーとなっていた。
会場にいる若い者達の多くは、デビュタントの礼装――男は黒のフロックコート、女は白のロングドレスに身を包み、一目で今年巣立つ者達だと分かる。
その他の者達は黒色と白色以外の衣装を纏い、若人達と積極的な会話に興じていた。
彼らが若人の式典にわざわざ足を運ぶ理由としては、大体次のようなものだろう。
社交界に入った初々しい者達を早速値踏みしようとするもの。
自分の息子、娘の相手を見繕うもの。
一応の顔見せとして親に連れてこられたもの。
ただ盛大なお祭りを味わいにきたもの。
様々な者達が、王宮の大ホールで今日という日を思い思いに過ごしていた。
そんな中、ホールを俯瞰できる二階のバルコニーには、相も変わらず二人の少年が並んで、階下をぼうっと眺めている。
「僕たちって、舞踏会でもデビュタントでも居場所が変わんないよね」
バルコニーの手すりに上体を預けて仲良く並んでいる姿は、まるでつがい鳥のようだ。
「なんでわざわざ僕を誘ったのさ。他人様のデビュタントを祝う気持ちじゃないんだよ」
「俺ひとりだとお姉様方が寄ってくるんだよ」
「たかられてしまえ!」
ホールではアントーニオ公爵が、せっせとガルツの未来の嫁探しにいそしんでいる。
当の本人は他人事のような顔で、「いーち、にー」とシャンデリアの蝋燭の数を気怠げに数えているというのに。そんなの数えて何か得することでもあるのか。
しかしまあ、大方現実逃避でもしているのだろう。
彼の矜持の柱でもある家のせいで、ガルツは好きな人と結ばれる未来を失ったのだから。彼女以外ならば誰でも同じで興味はないと言わんばかりの風情だ。
「ガルツ、数えるならもっと有意義なものを数、え……な――」
ブリックが中途半端に言葉を切ったのを訝しんだガルツは、隣へと目を向ける。
「おい、なんだってんだよ」
ブリックは、一点を見つめたまま完全に動きを止めてしまっていた。目をこれでもかと見開き、うっすらと口も開け、まさに驚愕という表情である。
「ああ? なんだよ、何か驚くようなもんでもあ――」
ブリックの目線を追って、ガルツも同じ方へと顔を向けた瞬間、彼もブリックと同じ顔になった。
「――ッスフィア!?」と、二人はバルコニーから落ちんばかりに身を乗り出し、同時に叫んだ。
◆
時は少しだけ遡り、デビュタント当日の午後。
レイランド家の玄関前には、家族と使用人達が、馬車に乗り込もうとするスフィアを心配そうな顔つきで見つめている。
「本当に行くのかい、スフィア」
「お父様……」
「行けばきっと針の筵だ。分かりきっているのに、それでも王宮に行くというのかい」
馬車の扉の手すりを持ったまま、スフィアが振り返った瞬間、レミシーが抱きついてきた。
「スフィア! あぁ……私の愛しい子。出来ることなら行かせたくないわ。でも、母親としてあなたの意思を尊重したいのも本当で、心が引き裂かれそうよ……っ」
スフィアはレミシーの背中を撫で、「大丈夫ですよ」とそっと彼女の肩を押す。
「お父様、お母様、私は大丈夫です。覚悟ならとっくの昔に出来ていますから」
そう言って笑うスフィアの笑顔は、輝きに満ちあふれている。
とても、これから針の筵と言われるような場所へ行く者の表情ではない。エメラルド色の瞳には純然たる意思が宿り、傾き始めた太陽の光を受け、赤髪が燃えるように輝いていた。
「……僕たちの娘ながら、戦神のような雄々しき神々しさだな」
ローレイは、スフィアから離れようとしないレミシーの手を引き、自分の腕の中に収める。スフィアと目が合えば、互いに頷きあう。
「スフィア、君は決して誰にも貶められない」
「ジークハルト兄様」
まっすぐに、ジークハルトがスフィアを見つめていた。そこにはいつもの「スウィーティ」と呼ぶような甘さはなく、次期侯爵としての威厳のみがある。
「何があっても令嬢として、強く、気高く、美しくいるんだ。そして、レイランドの者として、愛を決して忘れるな」
――愛……。
スフィアは足掛けを蹴るようにして、馬車へと飛び乗った。そして入り口でくるりと反転する。
「当然です! 今から私は愛を伝えに行くんですから」
宣言するように言い放ったスフィアの言葉は、とても楽しそうで見守っていた面々の表情も思わず柔らかくなる。
「愛に生きて愛に死ぬ、か?」
ジークハルトの揶揄いに、すかさずスフィアは「とんでもない」と首を横に振った。
「私は愛に生きて、生きて生きて生きて……生き続けますわ!」
「行って参ります」と背を向けたスフィアの赤髪には、子供が付けるようなチープな青い髪留めが飾ってあった。
ローレイが「二人とも、頼んだよ」と一緒に乗り込むマミアリアに声をかけ彼女が頷けば、馬車はゆっくりと轍を描き始めた。
カーテンが閉め切られた馬車の中には、スフィアとマミアリア、そしてもうひとりが乗っていた。
「良い家族だな」
「ええ、ですから嫁に行く気がサラサラ起きないんです」
「こんな時まで牽制してくるとは、さすがだよ」
「それを言うなら、パーティを抜け出してまで迎えに来てくださるなんて、さすがは放蕩王子ですね、グレイ様」
スフィア達が乗っている馬車についている家紋は、レイランド家のものではない。王家の紋章である。
今日この日にスフィアが王宮に行くことは、グレイには言っていない。
しかし、彼に手紙で今年のデビュタントの日程がいつになったのか聞いたことで、何かを察したようだ。
家で準備を整えていたら、突然「行くんだろ」とやって来たものだから驚いた。白が眩しい正装に身を包み、ペリースを肩に引っ掛けた姿は、さすがは王子様と思ったものだ。
目立つかもと思ったもののしかし、王家の馬車のほうが何かと都合が良いので、そのままありがたく利用させてもらっている。
「それよりも、マミアリアさん。本当に良かったんですか? 私の侍女というだけできっと色んな目を向けられると思いますよ」
「もちろんです。そのような視線に臆するほど、うぶな娘ではありませんから。あと、お嬢様に無礼を働いたエノリアには、一発入れないと気が済みません。どうせ来てるでしょうし」
スパァン、と手に打ち付けた拳が良い音で鳴っていた。あれ、こんなに彼女は肉体派だっただろうか。向かいでグレイが「良いストレートだ」と満足げに頷いている。やかましい。
そうこうしている内に、馬車は王宮の正門をくぐる。
王家の馬車ということで、カーテンを閉め切ったままでも止められることなく、衛兵達を突破できた。
もし、大公家が『レイランド家は入れるな』という布令を衛兵達に出していれば、レイランド家の馬車では目的地にたどり着けないところだった。まあ、その場合の対応策も一応は考えてはいたが、労せず入れるのならそれに越したことはない。
そのまま馬車は王宮内を走り、式典後のパーティが行われている建物の前で止まった。
――いよいよ……。
覚悟などとうに出来ている。両親に言った言葉は嘘ではない。
しかし、これから自分に向けられる目を想像して身体が硬くなる。それでも彼女を守るために、スフィアは冷たくなった足先を懸命に動かし、足かけに足を下ろそうとした――瞬間、スフィアの身体はふわりと宙を舞っていた。
「へえ?」
先に馬車を下りたグレイが、スフィアの腰を抱えていたのだ。そのままクルリと反転した先で、丁寧に地面に下ろされる。
突飛なグレイの行動に、スフィアが目を瞬かせていると、頬をクニッとつねられた。
「さあ、行っておいで。俺のスフィア」
「……誰のスフィアですか」
まったく、と嘆息する。気がつけば身体のこわばりはすっかりとれ、足先も冷たくなくなっていた。
大丈夫。
何も狂ってはいない。
目的も当初のまま。
彼女を幸せにするのは自分であって、世界ではない。
「行ってきます!」
背後に二人からの「行ってらっしゃい」の声を受け、スフィアはホールの扉を開けた。
これは、断罪パーティ。
だからこそ行かなければ。
断罪の場に必要なのは、『ヒロイン』と『悪役令嬢』なのだから。




