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【書籍化】ごめんあそばせ、殿方様!~100人のイケメンとのフラグはすべて折らせていただきます~  作者: 巻村 螢
第五章 それでも愛しています

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29 声なき声

「……噂を聞いたから、私を訪ねられたのではないんですか」

「俺は君の口から聞きたいんだ」


 アルティナとスフィアに関する噂だ。ちょっとしたことでも耳に入るようにはしているが、今回のは規模が違いすぎる。


「姉妹喧嘩にしては、少々派手すぎやしないか?」

「私とあの子は姉妹ではありませんが?」


 グレイは溜息をついた反動で、背中を壁から離す。


「しょうもない揚げ足をとるだなんて、君らしくもない」

「私……らしい?」


 アルティナの片口がつり上がり、ハハッと、自嘲しているのか馬鹿にしているのか判別のつかない曖昧な笑みを見せる。

 いつも令嬢のお手本のような表情ばかりの彼女にしては珍しい表情だ。


「私らしいってなんでしょうか? 私は大公家令嬢です。それ以上でも以下でもありませんわ。大公家令嬢には、それ相応の格好というものがあります。友人だとて同じです。私は……何者にも貶められて良い存在ではありません」

「スフィアが君を貶めたとでも?」

「グレイ様は説教をされに来ましたの? ああ、彼女の事が好きですものね。彼女を悪者にした私が許せないとか……」

「それを本気で言っているんなら、俺も本気で怒るぞ、アルティナ」

「……っ」


 グレイの静かだが威圧を凝縮したような低い声に、アルティナも思わず怯んでしまう。

 ふい、と背けられた顔は、下唇を噛んでいた。


「俺は、向ける感情に違いこそあれど、アルティナもスフィアも同じくらい大切にしてきたつもりだ」

「申し訳……ありません……」


 伏せられたアルティナの瞼が、痙攣するように微動していた。

 絞られた謝罪の声からも横顔からも、彼女の後悔が伝わってくるようで、グレイも「いいさ」と素早く水に流す。

 それに、今話すべき事は、自分とアルティナのことではなく、彼女達のことなのだから。


「アルティナ……大丈夫なのか」

「仰っている意味が分かりませんわ。大丈夫でないことがどこに?」


 グレイは、視線を目の縁を滑らせるようにして隣へと向けた。

 そこにはチェストがあり、その天板の上にはいくつもの手紙が積み重なっている。封筒の装飾は全て同じで、それら全てが同じ人物から送られたことを示している。

 封蝋に押印してある印章には、グレイも見覚えがあった。

 しかし不自然なことに、山積みされている手紙はどれも封が切られていない。

 なんとはなしに一番上にあった手紙を手に取り、グレイは分かりきっている差出人を確かめた。


「――っ」


 綴られていた文字を見て、グレイは静かに手紙を山に戻し、「少し」と言って部屋を出た。






「ったく、何が大丈夫なんだか……」


 従姉妹のあのような表情は初めて見るものではない。

 嘆きたくても、がちがちの公爵家令嬢という強固な矜持がそれを許さないという、板挟みの表情。昔は――まだ歳が一桁の頃は、よくあのような顔を見せていた。

 その頃は、まだまだ不完全な矜持と強すぎる自我との板挟みだったが。

 悲しさを飲み下せない辛さに、『この程度で泣いてたまるか』という、貴族の頂点に立つものとしての矜持のせめぎ合い。それにより、一時彼女の顔から笑顔が消えたこともあった。


「まあ、屋敷を一周する程度の時間があれば、少しは落ち着くだろうさ」


 そんなわけで部屋を出てきたのだが。


「とは言っても、階段登るのは面倒だな。……よし、二階の廊下を三往復するだけにしよう」


 しかし、グレイがそんなしょうもない決意をした時、階下から男達の声が聞こえてきた。


「――そうなんですね。ちょうど私もお嬢様のところへ行く用事があったので、一緒に持って行きますよ」

「あ、いえ、でも……レイランド侯爵令嬢様からは、僕が頼まれたので……」


 レイランドという単語に、自ずとグレイの足も止まり聞き耳を立ててしまう。

 グレイの位置からは、吹き抜けになった一階のホールがよく見える。どうやら大小の使用人の会話らしい。小さい方の使用人の手には白い封筒が握られており、それは先ほどアルティナの部屋で見た積まれた封筒の柄と同じものだった。

 どうやらその手紙を小さいのが運ぶか、大きいのが運ぶかの話のようだ。

 手すりに肘をつき、階下の様子を見守る。


「トレドさん、確かこの後は、旦那様に同行予定ではありませんでしたか? 準備しなくて大丈夫ですか?」

「あっ! そうでした……って、うわ、もうこんな時間!? す、すみませんが、エノリアさんお願いしていいでしょうか」


「もちろんですよ」と、どうやら手紙は大きい方の使用人が運ぶことになったらしい。


 ――エノリア……どこかで聞いたな。しかもそう昔じゃない。


 大きい使用人――エノリアの動きを目で追いながら、『どこだったかな』と思案していると、エノリアが預かった手紙を見つめてニヤリと笑うのが見えた。


 ――なんだ?


 しかも、アルティナへ届けるつもりならば、そのままグレイの隣にある階段で上がってくるはず。しかし、エノリアは階段とは別の方へと歩いて行く。

 手紙をすぐに届けないなどあり得ない。アルティナ宛てではなかったのかと一瞬思ったが、しかし小さい方の使用人は、レイランド侯爵令嬢からと言っていたし、エノリアもお嬢様のところへ行くのならと言っていたはずだ。


「エノリア!」


 結論が出るよりも先に、グレイはエノリアを呼び止めていた。


「その手紙、アルティナ宛てだろう。ちょうどいい。私が部屋に戻るついでに届けよう」


 階段を下りながら、何食わぬ顔で言うグレイの表情は笑顔だ。

 対して、突然上階から現れたグレイにエノリアは目を大きくしたが、しかしそれも一瞬。すぐに品の良い笑みを作る。


「……殿下に使いなど、私が旦那様に叱られてしまいます。殿下がおかえりになった後に、私が届けますので」

「はは、構うものか。私が届けたいと言っているのだから。もし閣下に何か言われたら、殿下が奪っていったと言えばいいさ」


 エノリアの前で足を止めたグレイは、台詞通りエノリアの手からピッと手紙を奪い取った。


「それより、エノリア。君はエノリア子爵を知っているか?」

「似たようなことを以前誰かにも聞かれましたが、私はただの平民ですので……偶然かと」


 胸の前で、とんでもないと言って手を振るエノリアに、グレイはへえと頷く。


「では君はどこ出身だ」

「ここから南西の、殿下がご存じないような僻村ですよ」

「南西か……南西と言えば去年辺りかな。ブリュンヒルト侯爵家の別荘を訪ねさせてもらってね。場所はアルザスと言ったか」

「アルザスですか……どのような場所なのでしょうか。しかし、別荘というからにはきっと素敵な場所なのでしょうね」

「おや、知らないのか? 君はブリュンヒルト侯爵の紹介で、ウェスターリ家の使用人になったと聞いた覚えがあるんだが……紹介されるほど懇意にされているのなら、別荘くらい行ったことがあると思ったんだが」


 エノリアの笑顔がほんの僅か揺れた。目も口も弧を保ってはいたが、眉だけ僅かに揺れたのだ。


「ああ、悪い。気に触ったのならすまない。深い意味はないんだ」

「いいえ、そんな……気に障るなど恐れ多い……」

「はは、ならば良いのだが。まあ、これは私が届けるから、君は安心して仕事をしてくれ」


 グレイは、エノリアが口を開くより早く踵を返し、二階へと去って行った。

 





 部屋に戻ってきても、まだアルティナは窓辺で佇んだままだった。


「アルティナ、君宛の手紙を預かってきた。スフィアからだ」


 スフィアという言葉を聞いた瞬間、弾かれたようにアルティナの顔がグレイを向いた。息が詰まったような顔をして、グレイが差し出した手紙を見つめている。


「――っそちらに置いておいてくださいませ」


 グレイは眉根を寄せ、しかし受け取るものがいないのであればと、渋々と手紙をチェストの上に築かれた山に置いた。


「返事するかどうかは君の勝手だが、封くらいは切るべきだと俺は思うよ。とりわけ、彼女自らが足を運んで届けたものなら尚更だ」

「……グレイ様、ご公務がおありでしょう。そろそろ王宮に戻られてはいかがです」


 アルティナは、それ以上は会話する気はないと言わんばかりに、グレイに背を向けた。

 子供に戻ってしまったかのような分かりやすい反応に、グレイははぁと溜息を吐く。


「アルティナ、時には自分の気持ちに素直になった方がいいぞ。大公家令嬢よりも大事なものなんてたくさんあるんだから。失ってからじゃ遅いんだよ」

「そんなもの……貴族である私達にはありませんから」

「……そうか。では、君のデビュタント楽しみにしているよ」


 パタンと静かに扉が閉まれば、部屋には静寂がやって来る。


 アルティナは、静寂を壊さない足取りで、チェストへと歩み寄った。

 全て同じ封筒で、同じ送り主の白い山の中から、一番上に置かれた一通を手に取る。それは今し方グレイが置いていった手紙。

 珍しく封筒の下の方がよれている。

 裏を返せば、よく見慣れた封蝋と毎回同じ送り主の名前。


《お姉様を愛しく思う妹より》


「――っ」


 以前までなら、ここには《お姉様の愛しい妹より》と書かれていたのだ。

 あの日より以前は。


「…………」


 パキッと封蝋が割れる乾いた音が部屋に響く。

 彼女が送ってくる便箋には必ず薔薇のモチーフが使われている。今回の手紙にも金の薔薇が描かれていた。


 久しぶりに見た彼女の文字を目が追っていく。

 左から右に。

 上から下に。

 一枚目から二枚目に。


「……本当……馬鹿な子」


 そう呟くアルティナは唇を噛んでいた。そして、手紙の山の隣に置かれたものに目を向けた。

 それは、リボンが巻かれた可愛らしいガラスの小瓶。

 海辺を模して白い砂や貝が飾り付けられたそれは、ただただ無垢で綺麗で。


「――っ!」


 アルティナは小瓶を掴み、そのまま腕を振り上げた。このまま地面に叩きつけてやろうと思ったが、しかし振り上げた腕が下ろされることはなかった。


「……どうしてよ……っ」


 振り上げた小瓶を、アルティナは力なくチェストへと置き、「あ」と気付いた。勢いよく振り上げたことで、小瓶の中の綺麗だった世界はぐしゃぐしゃに壊れていた。


「ぅ……っあ……」


 アルティナは、チェストに縋るようにしてズルズルとその場に崩れ落ちた。


「…………馬鹿……っ」


 声にならない声で呟いて。




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