24 全ての中心にいる彼女は……
報告を終え緊張した空気が緩めば、ロクシアンは椅子の背もたれに怠惰に身体を預けた。
「しっかし、まさか姫がそんなことに巻き込まれてるなんてねえ。しかもその一族に君まで関わりがあるだなんて……なんの因果かねえ」
五年前、スフィアはレニに屋上の鍵を奪われるという縁をもった。
恐らくそれだけではないのだろうが、結果、彼女はレニの家の悪事を暴き、レニを懲らしめることに成功した。その時、鍵の予備を渡すという縁でロクシアンも関わることとなり、その繋がりで偶然にもロクシアンはベレッタを紹介した。
全て、それぞれがその時限りの縁だったはずだ。
なのにどういうわけか、今こうして全てが繋がってしまっている。
「彼女には不思議な力でもあるのかなあ?」
皆いつの間にか、彼女に吸い寄せられるようにして集まっている。関係ないと思っていた者達も、彼女を介して繋がっていたりするのだ。
これが意図的なものでないとするのならば、彼女は人を惹き付ける天才だと言っていい。誰しもが彼女と関わりたがるということだろう。ご多分に漏れず、自分もであるが。
「ライノフ一族ねえ……やっぱり、火のない所に煙は立たないって言うのかなあ」
ひとつ年下のレニは、貴幼院時代は優等生で通っていたが、彼の家となると色んな噂が聞こえてきたものだ。まあ、そんな家の噂など貴幼院生で気にしている者も、自分以外はほぼいなかったと思うが。
「一族だけど、ベレッタから教えてもらったブリュンヒルト家以外にも、まだいそうなんだ。他に心当たりある?」
「あたしも一族についちゃ、そこまで詳しくはないんだよ。ピクシー家自体は一族じゃないからね。ブリュンヒルト家の上にライノフがいるってことで、一族だと分かっただけだし」
「やっぱり、そんな簡単に調べが付くわけないよね~」
夏、突然秘匿調査として、ライノフ家のことを徹底的に調べろという指示が出された。
その時は「あーまた、レニの家がなんかやったな」くらいにしか思わなかったが、調査命令が王命であると聞けば驚いたものだ。
情報省のみの秘匿調査で、しかも王命。間違いなくただ事ではない。
おかげで全ての貴族家を、過去から遡って調べるという気力と根気がためされる、頭が狂いそうな調査漬けの日々が始まった。
そして、様々な貴族達の噂や動向を調べているその中で最近、とりわけ若い子達の間で、スフィアの悪い噂を聞くことが増えてきた。
彼女は何も言わなかったが、新年会での騒ぎも耳にしっかりと入ってきている。
王命ではスフィアの名前は一切出てこなかった。
スフィアがライノフの件と関わっていると知ったのは、ベレッタがブリュンヒルト家の動向を調べてほしいと言ってきた時だ。
さすがに王命のものが最優先であり、一度は無理だと断ったのだが、ライノフ一族とスフィアにまで関係したものだと聞けば、頷かざるを得なかった。ライノフとスフィアの関係が、穏やかなものであるはずがないのだから。
「……偶然だといいけど」
彼女に悪い噂がつきまとっているのも、ライノフ家が彼女を狙っているのも、単なる偶然であればいい。
しかし、頭の隅では『偶然ではないのかも』という疑念が晴れないのだ。
「大丈夫。何かあったらあたしも動くさ」
「そうだね。ベレッタは僕より強いし安心だ」
このまま、何も起こらずライノフ一族を封じ込められたらいいと願う。
「――さて、それじゃあご褒美は? ベレッタ」
会話に一段落ついたところで、約束のご褒美を所望する。
猫以上に可愛がって褒めてくれることを期待して待っていれば、テーブルの上にドンッと重々しい器が置かれた。
「ベレッタ姐さん特製の野菜スープだよ! どうせ、まともに食事も摂れてないんだろ」
目の前には、食欲をそそる香りが立ち上る、赤いスープが置かれている。トマトベースだろうか、すっぱい香りが鼻腔を刺激して口の中が唾液で満たされる。
「……たくさん褒めそやしてほしかった」
誰も褒めてくれない職場で、一心不乱に書類に向かって摩耗した心身を癒やすのは、やはり褒めそやししかない。
「はいはい。それは後でやってあげるから、まずは腹を満たしな。言っとくけど坊、すごい顔色悪いからね」
食べろ、とばかりにズイと皿を押してくる。
確かにここ最近、まともな食事からは遠ざかっていた。せっかくだし遠慮なくいただこうと一口、口に含んで言葉を失った。
「~~~~ッ、うっまぁ……」
心身は温かい料理でも癒やせることが判明した。
「ベレッタ結婚しよ。毎日、仕事で心身すり減らした僕を美味しい料理で癒して」
「やっすい男だね」とベレッタは笑っていた。
◆
「ちょっとスフィア! いったい何があったのよ!?」
学院に着くなり、最初に飛び込んできたのはリシュリーの声だった。
ガバッと肩を掴まれ、切羽詰まった顔で詰め寄られる。
「リシュリーこそ、朝からそんなに慌ててどうしたんですか。私は今学院に来たばかりで、何もありませんよ」
「だって、アルティナ様が!」
「お姉様が?」
どうしたのか、と首を傾げたときだった。
「スフィア、聞きたいことがあるの」
アルティナが強張った表情で、いつもよりトーンを落とした声を掛けながらこちらにやってきたのは。
「お、お姉様……ごきげんよう」
一応挨拶をと思いしたのだが、しかしそれに対するアルティナからの応答はない。
「ねえ、スフィア。嘘は吐かないで正直に答えてちょうだい」
スフィアを前にしてアルティナの歩みが止まった。
ただ『前』というには、些か距離が開きすぎている。
以前までなら、スフィアとアルティナの間は人ひとりも入れないくらいだった。しかし今、二人の間は互いが手を伸ばしても届かないほどに開いている。
「……なんでしょうか、お姉様」
雰囲気があまりよろしくないのは、彼女の表情からも充分に分かる。
そしてその雰囲気を察しているのはスフィアだけでなく、他の生徒達もだった。学院に来て早々だったという事もあり、スフィア達はロッカー部屋の近くで向かい合っていた。そこは生徒が登校して一番最初に行く場所であり、一番人の目があるという事でもある。
おかげで生徒達は皆、何事だと足を止め成り行きを興味津々に見守ったり、授業の準備をしている振りをしつつ、チラチラと視線を向けたりしていた。
そして、アルティナの背後には、まるで守護者のごとく人数を増した取り巻きの令嬢達がずらりと並んでいる。皆、アルティナから見えないのを良いことに、スフィアに対し中々暴力的な視線を向けていた。
そんな中で、アルティナが躊躇いがちに口を開く。
「この間の休みの日……王都でシネル先生と会っていたのは本当なの?」
胸を突き破ったかと思うほど、スフィアの心臓はかつてないまでに大きく跳ねた。




