17 ねえ、教えてちょうだい
新年会。いつも以上に挨拶に来る者達が多く、一通り挨拶し終えた時には結構な時間が経っていた。やっと終わったと一息ついた次の瞬間、よく知った声で名前を呼ばれる。
スフィアの声と分かってはいたが、どのような顔で振り向けば良いかは分からず、一瞬逡巡してしまった。
きっと、それは彼女も同じだったのだろう。
いつもだったら、すぐに「お姉~様~」なんて言いながら飛び込んでくるのに。まるで普通の令嬢みたいに、淑やかに声を掛けてきたのだから。だから自分も、他の令嬢達にするような顔を作ることにした。
しかし、振り返った途端、息の仕方を忘れてしまった。
彼女が着ていたドレスの色を見て。
――っどうして……!?
スフィアが着ていたのは、着ているところを初めて見る深紅色のドレス。
それは、自分が一番好きな色。
今日のドレスももちろん深紅色で、と言って作ってもらった。
『そのうちアルティナ様が好きすぎて、アルティナ様と同じものまで好きになっちゃいそうだなって思うんですよ』
いつかのスフィアの友人の声が、耳の奥で聞こえた。
――やめなさい。
しかし、意思に反して耳は勝手に幻聴をどこかから聞き取る。
『好きな人の好きなものって、好きになりません?』
――やめなさい!
目の前でスフィアが新年の挨拶を言うが、頭の中でガンガンと鳴り響く幻聴がうるさくて生返事で返してしまった。
おかげで、ただでさえ微妙だった空気が、はっきりと気まずくなってしまった。二人の間には無言の間があったが、しかしアルティナの耳の奥はまだうるさかった。
まるでやめろと言うアルティナをあざ笑うかのように、ずっと繰り返される声。
『好きすぎてつい、その人の好きな人まで善く見えちゃったり』
――っやめなさいって……言ってるでしょう!
いつまでも消えない邪魔な声に、我慢の限界を迎えた時、聞こえてきた現実のスフィアの声で、意識が引き戻された。
「――お話しするのは久しぶりに感じますね」と言って、どこかわびしそうに微笑んだ彼女を見て、胸がズキリと痛む。
久しぶりなのは、自分の意思ではないと言えども、結果的に自分が彼女を避けてしまっているからだ。その理由は……。
スフィアは「『その理由』について勘違いされて困る」と苦笑していた。
――どうしたらいいの……っ。
友人達は、スフィアを危ないという。
自分に近寄ってくるのも、裏があるからだと。彼女は嘘を吐いていると。
しかし、深紅色の理由を聞けば、はにかみながら「妹みたいに見られたいから」と言う彼女の言葉は嘘なのだろうか。
似合ってると褒めたら、頬を赤くして、本当に嬉しそうに「ありがとうございます」と言うそれも嘘だと言うのか。
――どこまで信じたら良いの……っ。
信じられない自分自身が不愉快だった。
だから、もうはっきりさせようかと思い、学院で噂になっていたアルハバルとのことを尋ねようとした。
学院の外でデートしていたって嘘よね――と。
しかし、ちょうどスフィアと声が重なってしまい、先に彼女の用件から聞くことにする。
しかし、先を譲ったことを、アルティナはすぐに後悔した。
「以前、お姉様が良い感じだと言ってらしたフェイツ……様でしたか? その方との進展はどうなんですか」
――っどうして、そんなことを聞くの?
今度はエノリアの声が耳の奥で響いた。
『フェイツ侯爵家ご令息は、レイランド家のご令嬢と良い関係になっていると――』
そんなはずはない。
そんなはずは……。
「あっ! では、新たに誰か気になっている殿方がいらっしゃるとか!」
――どうして、そんなことが気になるの?
彼女を信じたいのに。
脳裏に次々と響く友人達の声。
『好きな人を奪うんですよ! 気をつけてください!』
『教えたらきっと狙ってきますから、教えてはいけませんよ』
――そんなはず……ないわ。
アルティナは、スッと静かに深呼吸をして、いったんざわめく心を落ち着ける。
「今、専属で私のダンス講師をしてくださっている、シネル先生よ」
――大丈夫。だって彼女は、私にこんな無邪気な笑みを向けてくれるんだもの。
それにしても、こんなに会話に気力を使うことがあっただろうか。色々と考えすぎて頭が痛くなってきた。
スフィアがダンスをどうするかと聞いてくるが、とても踊る気力はない。
無駄な誘いを受けないように二階へ避難しておこうと思ったら、突然、先ほど挨拶を交わし終わったはずの友人達がやってきて、あっという間に囲まれてしまった。そのまま手を引かれ、スフィアから離される。
――あ、また……。
学院でも何度も繰り返された同じ景色。
しかし、彼女とこのまま一緒にいても疑念がわくだけ。それならば、まだ離れていたほうがましだ。
そう思ったのに――。
「しつこいわよ!」
尖った友人の声が聞こえ、何事かと振り向けば。
「……スフィア」
そう呼んだつもりだったのに、声は出なかった。
彼女が、目を大きく見開いて、ゆっくりと、落ちていく。
――手を……!
しかし、こんな時に限ってドレスが邪魔をする。
もう駄目だと目を逸らしかけたとき、視界の端にこちらへと飛び込んでくる灰色の影が見えた。
「大丈夫か、スフィア!」
影――グレイがスフィアを受け止めていた。安堵したのも一瞬、彼の自分と同じ色の瞳がこちらに向けられる。はっきりと怒っているのが分かる険しさだった。
「あ……危なかったですね。私ったら慌てていて、つい足を滑らせてしまって……」
――どうして……。
「本当、私って駄目ですねえ……あはは」
――どうして彼女は何も言わないの……。
彼女はチラッとこちらに会釈しただけで、咎めることもなく、嘆くこともなく、静かにホールへと消えてしまった。
――ねえ……私は、何を信じたら良いの……。
◆
ホールで始まったダンスを、二階から眺める。が、目には映っていても、脳はまるで状況を理解しない。
「ねえ、さっきの見ました!? これ見よがしに殿下に助けられて! 殿下すら自分のものと見せつけたいのかしら!」
「まあ、幼いくせに毒婦だこと。わたくしの許嫁が彼女の毒牙に掛からないよう、注意しておきませんと」
友人達が口々に彼女のことを悪く言う。それでも自分は何も言えない。
今の自分には何も分からないから。
「そういえば、レイランド夫人って社交界にまったく出てこないじゃない? それって、昔、陛下と侯爵様とで二股をしていて気まずいかららしいわよ」
「やだぁ、じゃあ男癖の悪さは母親譲りってわけ!? いくら北方守護家でもちょっとそれは……ねえ?」
――ねえ、何が真実で、どれが本当のあなたなの?




