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【書籍化】ごめんあそばせ、殿方様!~100人のイケメンとのフラグはすべて折らせていただきます~  作者: 巻村 螢
第五章 それでも愛しています

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16 そんなことさせるものですか



『落ちては駄目』


 それが、まずスフィアの頭によぎったことだった。

 視界に映る景色はひどく緩慢で、アルティナの瞬きすら感知できる。

 肩に受けた衝撃は思いのほか強く、階段を上っていた不安定な体勢を崩すには充分だった。

 既に片足は完全に階段から離れ、もう片足も靴裏が階段の角に触れているだけで、ここから体勢を立て直すのは無理だと分かる。

 ゲームの中では、悪役令嬢であるアルティナが嫉妬に駆られて、ヒロインであるスフィアを階段から突き落とした。

 しかし――。


 ――お姉様じゃない。


 スフィアの肩を突き飛ばしたのは、アルティナの隣にいた令嬢だ。

 だが、ここでこのまま落ちたら、きっとアルティナが突き落としたことになってしまう。世界はなんとしてでも、彼女と自分に役割を全うさせようとしているのだから。


 ――そんなことさせるもんですか……っ!




 落ちてもすぐに立ち上がれ。


 大したことないように振る舞え。


 骨が折れても、なんでもないように装え!!



「……っ!」


 スフィアはグッと歯を食いしばり、きたる痛みに備えて身体を強張らせた。

 しかし、身体を襲ったのは痛みではなく、温かく柔らかな衝撃。


「大丈夫か、スフィア!」

「グ……グレイ……さ、ま?」


 すんでの所で、グレイがスフィアを抱き留めていた。

 驚きに目をぱちぱちと瞬かせるスフィア。スフィアにはっきり意識があることが分かると、グレイは、はぁと深く長嘆し、次にキッと階上を睨み付ける。


「誰が――っんぐ!」


 しかし、下から伸びてきたスフィアの手によって、言いたいこと半ばでグレイの口は閉じられる。

 スフィアを見つめるグレイの顔は『何をするんだ』と言っていた。しかし、スフィアはその視線には答えず、まるで何事もなかったかのように、グレイの腕の中から立ち上がる。


「あ……危なかったですね。私ったら慌てていて、つい足を滑らせてしまって……」


 深紅のドレスの裾を手ではらい、何ともないとばかりに、自らの足で残りの階段を下りていく。


「本当、私って駄目ですねえ……あはは」

「いや、スフィア――」

「グレイ様、助けてくださってありがとうございました」


 振り返り、訝しげな顔をしている彼に満面の笑みで礼を述べる。


 ――……大丈夫。


 ちゃんと見えた。

 アルティナは自分を助けようとしてくれていた。

 マーメイドラインのドレスは、いつものドレスと違って足の動きがはっきりと見える。彼女は確かに、振り向いて自分が落ちそうになっているのに気付いたとき、こちらに踏み出そうとしていた。ただ彼女を囲んでいた他の令嬢達が邪魔で、身動きがとれなかっただけだ。

 それさえ分かれば充分だ。


 階段の最後の一段をおりると辺りを見回した。

 ホールにいた者達は皆、固唾を呑んで事の成り行きを見守っていたようだ。あれだけ騒がしかったのに、嘘のように静まりかえっている。

 スフィアは、裾を広げ深々としたカーテシーと共に頭を下げた。


「皆様も、私の不注意で場を騒がせてしまい、申し訳ありませんでした」


 顔を上げ、スフィアがにっこりと笑えば、そこでようやく張り詰めていた場の空気も緩む。


 ――これでいい。


 スフィアは階段の上を振り仰いだ。

 たじろいでいる令嬢達の奥で、アルティナが初めて見る顔でこちらを見ていた。泣きそうな、痛そうな、戸惑っているような。彼女の美しい青い瞳が小刻みに揺れていた。

 今すぐに彼女に大丈夫だと伝えたい。

 しかし、それは叶わない。


 ――今は、彼女の傍に行っては駄目よ。


 彼女の名を呼ぶことすら許されない。呼べば、衆人の今日の記憶に彼女の名前も記されてしまう。階段から令嬢が落ちたときに、アルティナ嬢も傍にいたな――と。

 彼女を悪役令嬢にするきっかけは、少しも与えてはならない。

 だからスフィアは、ただ無言で小さく会釈するだけに留め、静かにホールの人混みの中へと入っていった。



 

        ◆




 階段から落ちたのはスフィアの不注意であり、怪我もなく無事だと分かると、ホールのさざめきも徐々に戻り、彼女がホールの中へ戻るれば、、完全に元の賑やかさを取り戻していた。

 所々で「驚きましたな」「良かった良かった」とスフィアの事と思われる会話も聞こえていたが、それ以上を言及するような声はなかった。


 しかし、ホールの端にいた二人は違った。

 強張った顔で、すっかり令嬢達もいなくなった階段の方を見つめる。

 目撃できたのはただの偶然だった。

 昔から何をしでかすか分からない彼女を、目で追うのが癖になっていた。

 だから、はっきりとその瞬間も見えていた。


「なあ、おい……これはちょっと……っ」

「うん……。ちょっとどころか結構まずいかも……僕たちが思っていた以上に……」


 階段を上るスフィアを、令嬢の一人が、密かに肘で突き飛ばした瞬間を。

 二人の脳裏に、先ほどのスフィアとの会話が蘇る。

 そして、二人とも後悔した。


「まさか、ここまでだったなんて……っ」

「俺、今以上にスフィアと離れたことを後悔したことはねえよ」


 綺麗にセットされていた髪を、ガルツはぐしゃぐしゃに乱す。己の不甲斐なさに、脳が煮えたぎり、そうせずにはいられなかった。同じく隣のブリックも、神経質そうに親指の爪を噛む。


「――っそうだ、スフィアは!?」


 慌ててホールを見回したが、あの特徴的な赤髪は見当たらなかった。


「もう……帰っちゃったのかな……」

「だったら良いが」


 突き落とされたというショックは決して小さくないだろう。しかも、彼女が大好きだと言う相手の連れから。辛くないはずがない。

 そんな中で、あれだけ平然と振る舞って見せたのだ。

 きっと、もう笑う気力も残っていないに違いない。


「どうか学院ではこんなことは起きないでくれよ」

「カドーレとリシュリーが守ってくれたら良いんだけど」

「そう願うしかねえな」


 二人は無言で、誰もいない階段を見つめた。



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― 新着の感想 ―
[一言] 取り巻き連中、、、噂を信じて余計なことを、、、 アルティナお姉様の幼馴染を疑うなよ信じろよスフィアが嫌な奴だったらとっくに縁を切ってるにきまってるだろ! スフィアは悪くないのに、、、 (口が…
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