14 かけがえのない腐れ縁
新年会が催されている王宮へ向かう馬車の中。スフィアの表情は新年を祝うと言うには少々暗かった。
「お嬢様、顔色が……ご気分でも優れないのですか――って、こんなに手が冷たくなって!」
向かいに座るマミアリアが、スフィアの曇った顔を訝しげに思い、膝に置かれたスフィアの手を握った。しかし、予想以上にスフィアの手は冷えており、マミアリアは驚きにパッと手を離してしまう。
スフィアはドレスの上から毛皮のケープを羽織っているのに、まるで外で長い時間立っていたかのような冷たさだった。
「大変! もう一枚ショールを出しましょう!」
慌ててマミアリアは座席下の物入れからショールを取り出そうとする。
しかし、それをスフィアが止めた。
「マミアリアさん、大丈夫ですから。寒いってわけではありませんし、たまたま指先が冷えただけです」
「そう……ですか?」
マミアリアは眉根に皺を寄せながらも、主人が必要としないならばと立ちかけた腰を再び下ろす。
「それに、もうすぐ王宮ですから」
そう言ってスフィアは微笑した。
――それに、この冷たさは空気が寒いからじゃないもの。
微笑したスフィアを見て、マミアリアは少しだけ安堵し頷いた。
「きっと、お嬢様にしては珍しいお色のドレスですし、緊張してるのかもしれませんね」
「ええ、そうかも」
「大丈夫ですよ、旦那様もジークハルト様もよく似合うって仰っていたじゃないですか」
「まあ……あの二人は何を着ても同じ事を言うというか……それしか言わないと言うか」
きっと、ふんどしを履いても絶賛する。
そんな彼らは、先に行くもう一台の馬車に乗っている。どうか春の舞踏会の時のように、力を借りるような状況にならないことを祈る。
「楽しみですね、お嬢様!」
「マミアリアさんもエノリアさんと会えるといいですね」
「なっ!?」
ボンッと赤くなった顔を見て、スフィアは楽しそうに笑った。
◆
大勢の貴族達がひしめくホールの中から、スフィアがまず見つけ出したのは――。
「わあっ、誰かと思ったよ!」
「へえ、いつもと雰囲気違うけど、その色も似合ってんな」
「あけましておめでとうございます。ガルツ、ブリック」
やはりこの二人だった。
「というか、いつもお二人はホールの隅にいますよね」
おかげですぐに見つかる。
「伯爵家と公爵家の令息なんですし、ホールの真ん中で社交しなくて良いんですか?」
ガルツとブリックは顔を見合わせると、お互い苦笑して肩をすくめた。
「三年後には嫌でもすることになるんだし、今はまだあの中に交ざりたくねえな。あと、令嬢方に囲まれたくねえし」
「僕も今はまだいいかな。学生の身だと、何を言っても生意気って思われちゃうだろうし、肩書きを得てからやるよ。あと、ガルツは噴水で溺れてきて」
「お前……まだこじらせてんのかよ……」
口端をヒクつかせたガルツが横目にブリックを見るが、ブリックはしれっとしたものだ。
「そんなに彼女が欲しいんでしたら、それこそ自分から声を掛ければ良いのに」
「僕にそんな度胸があると思う!? 顔が赤くなって『あひっ、うふっ』って奇声を上げてドン引かれるのが関の山だよ!」
彼の己に対する解像度の高いこと。
「ったく、どこに自信を見出してんだよ」
「絶世の美女である私を前にして、こんなに話せているんですから大丈夫と思いますけどねえ」
「ブリック、少しはこいつを見習え。人生が楽しくなるぞ」
「ええ~そんな高笑いが似合う人生嫌だよ~」
「オホホホホ! なんですって?」
これだけ堂々と言いたいことを言えるのなら、そこらの令嬢など蟻も一緒だと思うが。
「うえぇ、ガルツ! 君の元カノが威嚇してくるよう!」
「やめろ……わざわざ傷をえぐる言い方すんじゃねえ」
ひぃん、と泣き真似をしながらガルツの背中に隠れるブリック。盾にされたガルツの目は、全ての光を拒絶していた。
すると、スフィアは『元カノ』という言葉で最近の苦労を思い出し、眉をしかめる。
その、普段からは見慣れないスフィアの反応に、二人はめざとく気付きわけを尋ねた。
スフィアは「実は――」とここ最近であった貴上院での不可思議な出来事を話したのだった。
一連の騒動を聞き終えた二人は、腕を組んで小さく頷いた。
「なるほどなあ……まあ、ある程度は想定内だな」
「だから言ったでしょ、スフィア。貴上院では気をつけなって」
「え、これって普通の出来事なんですか?」
二人のあっさりとした反応に、スフィアのほうが目を瞬かせる。ガルツにいたっては想定内とまで言っているのだ。ということは、スフィアが置かれているこの状況は、珍しいものではないということだろうか。
「普通じゃないが、お前にとっちゃこれが普通の世界だな」
「そういうもの……ですかね?」
スフィアが首を傾げれば、ガルツの背に隠れていたブリックがひょっこりと顔を出す。
「そういうもんなんだよ。出る杭が打たれるのが貴族社会だもん。打たれたくないなら突き抜ければ良いんだけど、そうすると今度は集団で足を引っ張りに来るんだよね。今までは足を引っ張りに来る集団ができなかっただけ。普通はコレだよ」
そういうものなのか。ということはやはり、偶然告白が重なって、元カノ達が一致団結してしまっただけなのかもしれない。
「嫌な社会もあったもんですね」
――頭が打てなければ足を引っ張るとか……貴族は暇なのかしら。まったく。
「まあ、この冬休み明けには落ち着いてんだろ」
「そうですね。告白されただけで、付き合ったわけでもありませんし」
スフィアの言葉を聞いて、ガルツは密かにほっと息を吐いていた。それは背後にいたブリックにだけ伝わり、彼は小さく『懲りないな』と微笑んだ。
「にしても、やっとスフィアも貴族社会の怖さを知ってくれて安心したよ。これからは相手を困らせるようなことは控えるんだよ」
「まあっ、私は別に皆さんを困らせたいわけじゃなんですよ?」
心外だとばかりに頬を膨らませたスフィアの言葉を聞いて、ガルツとブリックに衝撃が走る。
「嘘……だろ……!?」
「自分の発言には責任もとうよ、スフィア!?」
「……どういう意味ですか」
なんだその反応は。
スフィアが瞼を重くした次の瞬間、ガルツにガシッと両肩を掴まれた。
「――っお前は! 人を! 混沌に! 陥れる! ために! 生まれてきたんだろ!」
「断定しないでください。母は何を産んだんですか」
「悪魔だよっ!」
「命の危機を感じた時にするような切羽詰まった顔をしないでくださいよ」
本当に命の危機にさらしてやろうか。
しかし、二人のまったく変わらない反応が、この時ばかりは嬉しかったのも事実で。
ふっ、とスフィアは口元をほころばせると、肩に置かれていたガルツの手をペッペッと払い落とす。
「それじゃあ、お二人に新年の挨拶も済ませましたし、私は本命のところへ行ってきましょうかね」
「あーはいはい、アルティナお姉様ね」
払い落とされた手をひらつかせながら、ガルツが「まったく」と口端をつり上げた。
「いってらっしゃい、スフィア。きっとそのドレスを喜んでくれるよ」
「ええ、行ってきます!」
二人の柔らかな笑みに見送られ、スフィアは裾を翻しながら人だかりの中へと駆けていった。




