12 たててあげるわ
次に二人が入ったのは、宝飾品店。
グランエイカーほどではないが、路面店というだけあって品揃えは中々である。
アルハバルは飾られていた物の中で、深い赤が美しい小さな石が敷き詰められたバレッタを手にした。
「これは中々……この深紅も美しいしスフィア嬢の髪色そっくりだ。失礼、店主。このルビーはシースリード国産のものか」
指をパチンと弾いて店主を呼ぶアルハバルの姿は、その容姿端麗さから様になってはいる、が。
「いえ、フィゴール国産です」
「…………」
微妙な空気が流れる。
彼の国は西隣のシースリードのさらに西にあり、宝石の産地としてはかなり有名なのだが。
「ちなみに、そちらにはルビーではなく、ガーネットのさざれ石を使用しております」
またもや空気がジリジリと気まずさを帯びた。
そこを、ゴホンと咳払いでアルハバルが仕切り直す。
「す、少し見間違えただけだ。それで、さざれ石とは?」
「それは……」と言いづらそうに苦笑した店主に代わって、反対側で宝飾品を見ていたスフィアがヌッと現れた。
「宝石を研磨や成形した際に出る欠片ですよ、先生。一般的にクズ石と呼ばれるものですわ」
歯に衣着せなさすぎるスフィアの物言いに、店主は気まずそうに口端をヒクつかせ、アルハバルは顔を赤くしてぷるぷると震えている。
「きっとアルハバル先生は、この店の品々は、安価なガーネットでもルビーと見間違うくらいに品質が良いものばかりだ、と仰りたかったんですよね」
「っそ、その通りだよ! さすが、俺が選んだスフィア嬢。俺のことをよく分かってくれているな」
間髪容れずに用意したスフィアの助け船に、アルハバルはすかさず乗り込んだ。その表情はあからさまにほっとしている。
「クズ石のバレッタなんていうのを選ばれたのも、わざとなんですよね。まだデビュタントも迎えていない私には、一粒石は不釣り合いだと……自惚れるなと、先生は訓戒くださったんですのよね?」
「ま、まあ、そういうことに……なる……かな、うん」
ハハッ、とアルハバルの空笑いが、広い店内で虚しく響いた。
店主はどこか胡散臭そうな目でアルハバルを見つめている。
「ま、全くだ。学生にも分かる俺の意図を、ここの店主は読み取れなかったらしい」
「本当ですわ。先生は、貴上院で若くして教鞭を執られている方ですもの。これくらいの事は知っていて当然だというのに、店主の方には、先生の嘘が見抜けなかったようですね。ハッ! もしかして、わざと宝石名などを間違えることで、店主がしっかりと自店の商品を把握しているかを試していらしたのですか!?」
「え、あ……」
「抜き打ちテストを仕掛けてらしたんですね! さすが教師! ご自分の経験を普段の行動にも反映させるだなんて、大人の鏡ですわ!」
「ハ、ハハ……そうだろう! さて、では俺の意図も理解出来ない店に長居は無用だな」
「さすが先生!」
よく分からない合いの手を入れながら、二人はまた別の店へと向かうのであった。
背後から注がれる、店主の湿った眼差しを無視して。
「それにしてもスフィア嬢は、立てるべき人間が誰かというのをよく分かっている。立派な令嬢だ」
「やだ、先生にそんなに褒められては困ってしまいますう」
ポッと火照った頬を手で隠し、スフィアはくねくねと肩を揺らす。
「君の存在は前々から知ってはいたが、ここ最近は威勢良く男子生徒を弄んでいると聞いてね。大人の男として、俺がスフィア嬢を導いてやらなければと思ったんだよ」
「まあ、先生ったら……」
――本当、傲慢なことで。
ものの数時間で、カドーレが言っていた『調子の良いところがある』という言葉の意味を理解出来た。
スフィアは最初、調子が良いとは口達者だということだと思ったが、そうではなく、アルハバルは、自分をよく見せる言葉には簡単にのるということだった。
――自分が他人に指摘されるのを恥じだと思ってるのね。呆れるわ。
別に、型落ちドレスを選ぼうが、ガーネットをルビーと間違えようが、さざれ石を知らなかろうが、知らなかったことを素直に認めれば好感も持てるというのに。
彼はなんだかんだぐだぐだ理由をつけて、間違いを認めない。
――まあ、私が逃げやすいように道を作ってあげてるからでしょうけど。
しかも、そこでスフィアに「助かったよ」と後で耳打ちするくらいあるのなら、まだ可愛かったものを。この男は「立てるべき人間が誰なのかよく分かっている」と、偉そうに、まるで「自分は立てられて当然の存在」だと言ったのだ。
傲慢も傲慢である。
――彼のゲームストーリーでは、こんなに自己中じゃなかったのに。
出会う時期もズレているし、元々あった気質が悪い方へ成長してしまったのかもしれない。
ここまで見てきた感じだと、彼は自分の得意分野に関しての知識はあるが、それ以外については並かそれ以下だろう。大方、下に見ている女の文化など興味すら持っていない。
――そんなに立てられたいのなら、思う存分立ててあげるわ。
嫌というほどに。
それからも、二人は色々な店を覗いては、スフィアがアルハバルを褒めるという流れが続いた。
花屋の前では、店先にあった眩しい色の薔薇を一本、キザな花言葉を添えてスフィアに贈ったアルハバル。
「知っているかい? 薔薇の花言葉は『愛しています』さ」
「さすがです、先生! 本来、黄色の薔薇ですと、花言葉は『嫉妬』という意味になって、女性への贈り物としては嫌厭されがちですのに、相手が花言葉を知らないという一縷の望みにかけて、ご自身の知り得る知識を押し通すだなんて……とても男らしいです!」
「……そ、そうだろう?」
次の、茶葉を扱う店では――。
「俺はこう見えて、紅茶にはうるさくてね。家で出される紅茶は、子供の頃から変えてないんだ。ちょうど良い、スフィア嬢も飲んでみるといい。店主、パンサス港から入った茶葉で一番新しいものを」
「申し訳ありません、お客様。パンサス港での茶葉取引は、数年前より停止されておりまして……」
「え、じゃあ家の茶葉は――」
「知りませんでしたわ! アルハバル先生ったら、先ほどの服飾品店でもそうでしたが、古き良きを大切になさるお方なのですね。ああ……きっと過去の良き思い出が今でも味覚にこびりついて、何を飲まれようとその味になってしまうのですね。何を飲んでも好きな味になるだなんて羨ましいものですわぁ」
「…………だろう?」
通りを歩いているときに、アルハバルがふと空を見上げれば――。
「すごいです、先生! もしかして今、雲の動きを確認されたのですか!? もしや、今までも適当に歩いているだけに見えて、実は風の向きや温度や湿度から、最適なルートをはじき出されていたとか……! 経済学者とはそのようなことまで計算できますのね!」
「…………ん」
そして食事中に袖についたソースまで――。
「センスが素晴らしいですわ、もうっ! 袖のデザインが物寂しいなと思っていたら、そのようにさりげなくワンポイントを入れられるのですね! やられましたわぁ。日常からお洒落を取り入れるとは、さすが私とは人生経験の厚みが違うと言いますか」
「……………………」
「ソースすらも、アルハバル先生の前ではご自身を飾る小道具に過ぎないとは! 才智ある大人の男性とはこういう方を言うのですねぇ」
「も…………ぇ…………っ」
アルハバルは顔を俯け、蚊の鳴くような声を漏らしていた。手にしたナイフとフォークが小刻みに揺れている。
「え? どうかなさいましたか、先生?」
「も……もうやめてぇ……っ」
持っていたナイフとフォークをガシャンと取り落とし、アルハバルは顔を覆った。ぐすんぐすんと、手の隙間からは力のない声が漏れている。
大人の男にしては実に情けない姿なのだが、スフィアが手を緩めることはない。
「まあまあ、アルハバル先生ったら。このような小娘にご謙遜なさらなくてもよろしいんですよ。いつものように、堂々と、ハキハキと、相手を舐め腐って見下ろすかの如く振る舞ってください。あっもしかして、先ほどナイフとフォークを落とされたは、声を出すことなく店員を――」
「っもう、いやだああああああああ!!!!!」
椅子を倒し、脱兎の如く逃げ出したアルハバルを、スフィアは「まあまあ」と微笑んで見送っていた。
すると、相手の男が店を逃げていったのを見た店員が、心配そうに駆け寄ってくる。
「あ、あの……お客様、お連れ様はどちらへ……」
「さあ?」
明らかに年下と分かる少女を残して、大人の男だけが立ち去ってしまった状況に、店員は顔を引きつらせていた。まあ、普通ではあり得ない状況だろうし。
しかし、スフィアはまるで焦った様子もなく、優雅に食事を再開させる。
「あ、お会計はレイランド侯爵家に二人分請求しておいてくださいね」
『え、女の子のほうが払うの?』といった心の声がダダ漏れの表情で、店員は了解はしたものの、アルハバルの消えた方を見て顔を引きつらせていた。
「『男を立てるさしすせそ』って本当に使えるのね~」
などと、小さく切ったふかし芋を咀嚼しながら、クスクスと笑う。
彼への対処法は、俗に言う『褒め殺し』である。
言葉通り、『褒め』で人は殺せるのだ。
恐らく、数日後には『アルハバル先生と呼ばれる男が少女を置いて食い逃げした』と王都では広まっているだろう。色々なところで「アルハバル先生」と連呼して、褒め殺してきたのだ。きっと噂を聞いて、他の店主達の『アレか!』とより噂の拡散を手伝ってくれるだろう。
「年齢や性別なんかで、人を計っちゃ駄目よねえ? 先生」
良い勉強になっただろう。
◆
案の定、噂はあっという間に広がり、学院でも『あの噂のアルハバル先生って、うちのアルハバル先生じゃね』と囁かれるようになった。
「スフィア、先生に何をしたんですか。以前は闘牛のようにギラついたところがあったのに、今や年老いた乳牛ですよ。声までしおれて、なんというか人が変わったみたいです」
「少々人格矯正を施したまでですよ」
「絶対、少々じゃないわよね」
「特大のトラウマを施したんでしょうね」
「ホホホ、世のため人のためですよ」
スフィアの、その世のため人のためというボランティアにより、アルハバルは校内でスフィアを見ると、「ひっ」と鳴いてそそくさと逃げるようになった。
――――常に上から何様教師・ニア=アルハバル 改変完了
褒め言葉のさしすせそ(またの名を、適当な相槌)
さ:さすが!
し:しらなかった
す:すご~い
せ:センス良い~
そ:そうなんだあ




