11 どうしたスフィア
さてさて、ニア=アルハバルという男についてだが。
彼はアルハバル伯爵家の三男であり、スフィアの通う貴上院で教鞭を執る立派な社会人である。
彼の性格は、カドーレを通じて調査済みだ。
調子の良いところがあり、しかし、上級貴上院で若くして教師となっているという自負が、授業からもありありと分かるような性格だという。
つまりは、口達者でプライドが高い男と言うことだろう。確かに、今までの発言からも傲慢さは滲み出ていた。
加えて、スフィアとは十も年が離れているこの状況、彼は大人の男らしく振る舞おうとしているはずだ。
そんなことを考えながら歩いていると、不意にアルハバルの足が止まり、肩を抱かれていたスフィアの足も自動的に引き留められる。
どうしたのかと彼を見れば、彼の視線は横のショーウィンドウに向けられていた。
「服飾品店ですか?」
ガラスの向こうには様々なドレスが飾ってあり、通りを歩く者達の目を奪っては楽しませている。
「スフィア嬢に似合うものがあるかもしれないから、入ってみようか」
一瞬の逡巡を見せたスフィアだったが、すぐに満面の笑みを描き、「いいですね」とアルハバルの手を引っ張って、そそくさと店に入っていった。
店内は広々としており、中央にはプレタポルテのドレスが、円を描くようにしてずらりと並んでいる。
「こんにちは、少し見せてもらうよ」
「いらっしゃいませ。こちら中央のものは全て、今季の新作でございます。もちろん、こちらのドレスを型として、オーダーメイドもたまわっておりますので、気になるものがございましたらお声がけください」
アルハバルの声で奥からやって来た品の良い店主が、恭しく腰を折った。
新作というだけあり、並べられているものは昨年のものとは確かに意匠が異なっている。
社交界では、服装の流行は女の心より移ろいやすい。
もちろん正装では定番の型を着ることが多いが、友人と王都に出るときや、お茶会などでは、流行をふんだんに取り入れたドレスのほうが好まれたりする。
スフィアは流行のドレスだからと特に気にしたことはないのだが、まあ、着ていけば一種の話題になって、話に困らないという利点はある。
スフィアとアルハバルは、それぞれドレスの間を縫うようにして眺め歩く。
今度新しいドレスを作ってもらう時の参考にしよう、とドレスの形を目に焼き付けていると、「スフィア嬢」と店内の端の方から名前を呼ばれた。
目を向ければ、アルハバルが一着のドレスを嬉しそうに掲げているではないか。
「これなんかよく似合いそうだ! 君が着たらさぞかし目立つことだろう」
「お、お客様、そちらはお嬢様には少々……こっ、こちらの中から選ばれてはいかがでしょうか」
やにわに、店主がアルハバルに焦ったような声を掛け、中央を手で示す。
たちまちアルハバルの顔が、ムッと慍色に色づいた。
「俺が彼女に似合うと選んだものにケチを付けるのか、ここの店は」
「い、いいえ、滅相も!」
店主は慌てて首を横に振ったが、「しかし……」と口ごもりながらも引きさがる気配はない。彼がどう伝えたものかと悩んでいるのが、眉間の皺と引きつった苦笑から伝わってくる。
「確かにお嬢様にお似合いでしょう。しかし、今でしたらこちらのほうが……」
店主は中央にあるドレスを手で示す。
「余計な世話だ。今し方会ったばかりの君より、俺のほうが彼女のことを分かっている」
「そ、そうですよね……ははっ……」
店主が、チラチラとスフィアの方に助けてくれとばかりの視線を飛ばしていた。
スフィアも店主の視線の意味――『君なら、あそこに置かれているドレスの意味は分かるだろう』という声を正確に読み取り頷く。
そして――。
「まあっ、さすが先生ですわ!」
無視した。
スフィアはキラキラと目を輝かせ声を弾ませる。対して店主は、予想とはズレたスフィアの言動に目を剥いている。
「そうだろう、そうだろ――」
スフィアの喜びように、自慢げに鼻の下をこするアルハバル。
「確かに、昨年の流行型のドレスを着ていけば目立つこと間違いなしですわ!」
「え」
スフィアの言葉に、ピシッとアルハバルの動きが止まった。
店の端に置かれているドレスというのは、流行遅れのものだったりする。
その分安く、上級貴族よりも流行がワンテンポ遅く広まる下級貴族の令嬢や、豪商の娘などが買ったりするものである。当然、上級貴族であるスフィアは、そこに置かれたドレスの意味は知っていても、手に取ったことなど一度もない。
「なるほど。もしかして先生は、上級貴族の消費社会に警鐘をうながそうと……流行によってデザインがどんどんと消費される中、古いデザインをもう一度着ることで、このように売れ残ったドレスに再び光をあて、限りある物資を無駄にすることなく経済を回そうという意図があるのですね、流石です先生」
スフィアは分析官のような真面目な顔して、アルハバルを褒めちぎった。
どうやったら型落ちドレスが経済に繋がるのか謎理論ではあるが、最初はショックを受けていたアルハバルも、褒められて悪い気はしないようで、一度はしぼんだ胸が堂々と張られていく。
「ま、まあそうだな。流行でないからと無駄にしてはならないからな。それに皆が今年の流行を着る中、あえて違う型を着たほうがスフィア嬢も目立つと思ったまでだ」
「きゃあ! 尊敬です、先生!」
完全に二人の世界に入ってしまったスフィア達を、店主だけは理屈が分からないと首を傾げて、深海並みの溝を眉間に刻んでいた。
「しかし、よく見たらこのドレスの色はスフィア嬢には似合わないな。興が削がれたし、他のものを見に行こうか、スフィア嬢」
「はい、喜んで先生!」
そうして二人は、言葉を失った店主をそのままに店を出た。




