10 年上の男について
顔を見ただけで彼が攻略キャラだと分かったのは、彼の容姿によるものが大きい。
本来ゲームが始まるのは、デビュタント後――スフィアが十八歳になってからだ。そのため、画面の中で見てきた者達の容姿は皆、二十歳前後のものばかりで、本来学生である十代の姿など、スフィアには知るよしもないのだ。
そのような中でも、スフィアは幾度となくゲームをやりこんで獲得した記憶力で、名前と面影で攻略キャラかどうか判断してきた。
しかし今回のアルハバルは、既に成長を止めた年である。ゲームの中の姿とほぼ変わりない。
それに、その容姿がまた他より目立つのだ。
頭の高い位置で結われたアッシュブロンドの髪は背中まであり、男にしては珍しく、片耳に赤い派手なタッセルピアスをしている。
「光栄だな、俺の名前を知ってくれているなんて。俺の授業はとっていなかったはずだが?」
スフィアの腰を支えていたアルハバルの手の力が増す。グッと一層引き寄せられると一緒に、スフィアの眉間の皺が増える。
「もう一度言います。アルハバル先生、離してください」
「さすがは貴幼院で『棘の薔薇姫』と言われただけはあるな。この程度では、おちてはくれないか」
スフィアは鼻から薄い溜息をつくと、するりと妖しく彼の胸に手を這わせた。つま先立ち、アルハバルの耳元に口を寄せる。
「――というより、人目がある場所で、教師と生徒がこのようなことはいけませんわ。ね、先生?」
スフィアがチラと目の動きだけで、背後のリシュリーのことを示せば、彼もなるほど、と満足げに口端をつり上げ、ようやくスフィアを解放した。
「では、スフィア嬢。好い時を選んで、また改めて声を掛けよう」
腰を折り、そっと耳打ちしたアルハバルは、スフィアの返事も聞かずに颯爽と立ち去った。
恐らく彼の中では、スフィアの言葉は「人目のないところでならいい」と誤変換されているのだろう。
――まあ、どのみちやることは変わりないからいいけど。
「ちょっと、あれが本当に先生なの!?」
さて、どうやって引導を渡してやろうかと考えていると、リシュリーが鼻息荒く声を上げた。
「ニア=アルハバル先生ですよ。確か経済学の」
「経済ぃ!? じゃあ知らなくて当然だけど、どうしてスフィアが知ってたの?」
経済学は、将来宮廷官として働こうとする者がとるような授業であり、自ずと男子生徒が多くなる。稀に、後継者として領地経営に携わることになる令嬢も受けたりするが、微々たるものである。
だから、リシュリーの疑問は至極当然だった。
多くの先生が在籍する貴上院では、授業を選択しなければ会えないまま卒業ということもある。
「特徴的な先生ですから。たまたま印象に残っていただけです。それに、確かカドーレが授業をとっていたはずですから」
ギュッとリシュリーの腕が、背後から肩口に回される。
「……本当にそれだけ? 覚えてたってことはちょっとは興味あったんじゃないの?」
「あら、リシュリー。私が誰かと付き合うと思います?」
「思わないわね」
つい先ほどまで拗ねて尖っていたリシュリーの口が、一瞬で元に戻った。するりと腕が外される。
「じゃあ、スフィア。もしかして、先生にもいつも通りってことかしら」
「当然ですよ」
「あたしに手伝えることは、あるかしら」
どことなく楽しそうなリシュリー。笑顔が悪いことを企んでいるときのものだ。
「ありがとうございます、リシュリー。でもこのくらい、私ひとりで大丈夫ですから」
そういうスフィアも、リシュリーへと向けた顔は不敵なものだった。
◆
「まさか、本当に誘いに応じてくれるとは思わなかったな」
王都の通りを歩きながら、アルハバルは隣で並んで歩くスフィアに笑みを向けた。
「先生ったら、私が嘘を吐くような生徒だと思ったんですか?」
スフィアがムゥと片頬を膨らませれば、アルハバルは切れ長な目元をふっと和らげる。
「いやいや、そんな嘘だとは思わないが……君はどんな男も相手にしないことで有名だから。ほら、棘の薔薇姫なんて呼ばれた生徒は君くらいのもんだし」
「それですが……よく貴幼院でのあだ名のことをご存知でしたね。同年でも、他の貴幼院出身の方達は知らないというのに」
「貴上院に入るとき、各院から入学生徒について内申書が送られてくるから、そこにな」
「そう、なんですね?」
何故、一個人の異名が内申書に書かれているのか。誰だ、書いた教師は。絶対に面白がって書いただろう。
「ところで、本当に王都で良かったんですか。生徒と先生が二人きりで歩いていたとなると、問題にはなりませんか?」
「そこは問題ない。生徒と先生で許嫁関係というものもあるし、さすがに学院ではあれだが、学院外ではそこまで問題にはならないさ。むしろ――」
一旦言葉を切ったアルハバルは、腰をかがめてスフィアの赤髪を掬い取ると、口づけを落とした。
「俺は、そういう噂が立ってくれればと思うがね」
「あら、既成事実を作ろうとされるだなんて……存外先生ったら、女性を扱うのが苦手なんです?」
スフィアは跳ねるように一歩先を行き、くるりと身を翻す。アルハバルの手の中にあった赤髪はするりと逃げ、持ち主の元へと戻っていく。
意味深な笑みを浮かべたスフィアを見て、アルハバルは一瞬だけヒクッと口端を引きつらせた。肩を竦め、掌を上向けてやれやれとばかりに首を横に振る。
「はは、そう思わせてしまったのは俺の落ち度だな。……しかし、今のは良くないなスフィア嬢。年下でしかも女が、年上の男を侮るような発言をしては」
「あら、すみません先生。そういえば、先生ってお若いようですがおいくつなんですか」
「二十五だが、年上は嫌いか?」
「いいえ、そんな事はありませんよ。年上の方はその分だけ知識も人生経験も豊富で、尊敬すべきところが多いですから。懐の大きな方って好ましく思いますよ」
スフィアは『一般的な年長者』を褒めただけだったが、どうやらアルハバルは、スフィアの示す者の中に自分も含まれていると思ったようだ。満更でない表情で、一歩先にいるスフィアを迎えに行く。
「だったら、俺みたいなのは特にかな。これでも上級貴上院で若くして教鞭を執っているんだ。そんじょそこらの男達に負ける気はしないな」
アルハバルの手がスフィアを肩を抱き、くるりと反転させた。彼はスフィアの肩に置いた手を離すことなく、引き寄せるようにして一緒に歩き出す。
「今日はたっぷりと大人の男の魅力を教えてやるよ」
「それはとっても楽しみです」
下から見上げるようにして目を細めた笑うスフィアに、アルハバルは内心で舌なめずりした。




