9 やれやれだわ
制服が半袖から長袖に替わり、頬を撫でる風に首を竦めるような季節になった。
秋口にあった切っても捨てても次々に沸いてくる告白騒動は、今のところかつてほどの勢いはなく、入学当初の、スフィアにとっては『普通』と言える程度までには落ち着いていた。
ただし、一度付いた不信感というのは拭いがたく、冬空のどんよりとした空気をそのまま学院内でも味わうこととなっている。
――こればっかりは仕方ないのよね。
サリューナの時と似たような状況だが、根本がまるで違うのだ。
サリューナの時は、彼女一人が被害を訴えていた。だから、彼女さえどうにかしてしまえば、複数の被害を訴えられていようと事は簡単に済んだのだ。
しかし今回は、複数人が単一の被害を訴えているのだ。これだと一件の誤解を解いたくらいでは意味がない。
――夏が明けてからいきなりだったのよね……あまりにタイミングが揃いすぎてるって言うか……どこかに裏がありそうな……。
ともすれば、強烈にモテているという風にも読める。
――だとすると、やっぱり世界の予定調和の力が働いているのかしら?
ヒロインたるものモテろ、ということだろうか。
そんなことを考えながら、スフィアは目の前で告白の返事を待つ同学年の男子生徒に「付き合いませんさようなら。もう一度言ってきたら元カノさんに言いつけますからね」と無感情無慈悲に一刀両断する。
男子生徒は「君だったから彼女と別れたのに!」と意味が分からないことをほざきながら、「ヒィン!」と馬のような泣き声を上げながら消えていった。
「……はぁ、やっぱり元カノがいたんじゃない……」
溜息を吐き、告白に相応しい場所――校舎裏の壁にトンと背中をつける。
適当に言ったら案の定だった。もはや驚きもしない。
すると、校舎の陰からクスクスと笑い声が聞こえてきた。次の瞬間、ひょっこりと角から顔を覗かせたのはリシュリーである。
「どんどんと扱いが雑になってきてるわね」
「こう多くちゃ、気も滅入るってもんですよ」
「かわいそうなスフィア。美しく生まれた故の業ね」
「業……ですか……」
誰もが認める美しさを持っていることは自覚している。
しかし、それによってこれほどに面倒なことばかり起こるのなら、もう少し控えめな美しさで良かったのにと思わないでもない。
――詩織ももしかして、こんな思いをしていたのかしら。
ふと思い出したのは、前世での元友人。
彼女は学校一の美女と名高く、彼氏やら告白やらが途切れたことなどなかった。
――いえ……ないわね。
詩織は告白を面倒なことと思ったことなどないだろう。根っからのヒロイン気質なのだから。好きな人に好かれることよりも、自分を好きになってくれる者がより多くいることを望むのが彼女だ。
きっと彼女がスフィアだったらば、世界は何事もなくシナリオ通りに進んでいただろう。
――なんの因果か、悪役令嬢側にされた私がヒロインだなんて。
世界も見る目がないものだ。
それにしても、もう十数年も経ったというのに、未だに思い出すとは。
――それだけ、前世に囚われているってことかしら……。
しかし、それも仕方のないこと。今世の生きる目的が、前世に根ざしているのだから。
「スフィア、どうしたの? 急に黙っちゃって……」
リシュリーの声にハッとして、スフィアは慌てて手を胸の前で振る。
「いえ、あの……ちょっと疲れちゃいまして……」
腰を曲げて顔を覗き込んでくるリシュリーに、はは、と力ない笑みで返せば、彼女は心配そうに眉をひそめていた。
「大丈夫?」
「ええ、もう半分は慣れましたし、それにあと少しで冬休みですから。休み明けにはきっと、この変な風潮も過ぎ去っていることと思いますから」
大方、彼女持ち貴族の間で告白ゲームでも流行っているのだろう。所詮は貴族の子供と言っても、やはり中身はどこの世界でも大差ないということか。
自嘲に片口を歪めれば、地面を映していた視界を、ふわりと白が覆った。
「スフィア、大丈夫よ。あなたの傍には、絶対にあたしがいるから。だから、そんな顔しないで」
スフィアはリシュリーに抱きしめられていた。彼女のほうが背が高いため、スフィアは彼女の肩に顔を埋める格好になる。石鹸の香りだろうか、爽やかな良い香りが心地よい。
「誰が離れていっても、あたしだけは絶対離れないから……」
「ありがとうございます、リシュリー」
「大好きよ、スフィア」
スフィアはそっとリシュリーの背に手を回した。
彼女がいてくれて今までと変わりなく接してくれるから、今もこうして平然と学院に通えているのも事実である。
自分は、全てを失ったあとの孤独の痛みを知っている。
知っているからこそ、誰かがいるというありがたさがよく分かるのだ。
「美女同士が慰め合う姿というのも、実に美しいもんだな」
せっかく荒んでいた心も落ち着いてきたというのに、再び心をざわつかせるような第三者の声が、二人の間に介入してきた。
その思いはスフィアだけでなくリシュリーも同じだったようで、二人は身体を離すと声をかけてきた者――男の方へと目を向ける。
怠惰に目を重くしたスフィアの視線と、邪魔するなとばかりに苛立ちを露わにした鋭いリシュリーの視線。
男は美女二人からの厳しい視線もものともせず、次の瞬間、「だが」と近寄り、スフィアの手を引っ張った。
「美女を慰めるのが格好良い紳士だと、より美しいってもんだ」
まるで、ダンスのワンシーンのように男は、クルリと華麗に身を翻してスフィアの腰を抱く。
スフィア、『ああ、今度は簡単に済みそうにないな』と口の中で舌打ちをした。
簡単なものが多数と、難しいのもがひとつというのは、どちらがマシだろうか。
「噂はかねがね。そんな目で見ては駄目だと教わらなかったか? 仮にも学院の教師に」
「手をお離しください……アルハバル先生」
結論、どっちも嫌だ。
スフィアは、キッと睨み付けた――攻略対象である『ニア=アルハバル』を。




