8 ライノフの密談
「ねえ、いい加減、集まる時間を見直さない? 毎度毎度夜に招集掛けられて、あたしの玉のような肌が荒れたらどうするのよ」
「誰もお前の肌になんか興味ないから安心しろよ、ブス」
「黙んなさいよ、劣等生物」
薄暗い部屋の中で、エノリアとリシュリーの間で青白い火花がバチバチと弾ける。
その火花を、盛大な溜息で消した男がひとり。
「お前達は顔を合わせる度にそれだな。やり合うんなら勝手にやってくれても構わないが、私の見えないところでやれ。醜いものは視界に入れたくないからな」
赤褐色の髪は後方になでつけられ、露わになった顔貌には髪色と同じ色の瞳が、鋭い目の中でギラついている。左頬には薄紅色になった傷跡が入り、彼の紳士的な顔立ちに陰惨とした雰囲気を与えていた。
彼――レニは、若くしてライノフ家の家督を継いだ男である。
しかし、正確に言えば引き継いだという表現は正しくなく、有り体に言えば、彼は前当主であった父親の失態をあげつらい、責任と称して無理矢理父親から家督を奪い取ったのだ。用意周到に、あらかじめ他の一族の当主達にも根回しして。
頬の傷は、その際に激高した父親の鞭によってできたものだ。
レニはこれ幸いと、感情にまかせて息子の顔に傷をつけるという父親の蛮行を、親族たちの前で悲痛に訴えた。結果、父親は危険人物とみなされて領地の片田舎に押し込められ、レニは新当主となった。
これが昨年――レニが若干十九歳の時の出来事である。
ライノフ家の前領地であったパンサス。そこで前当主であった父親は海賊を雇い入れ、荷駄の横領や煙草葉の密貿易で懐を肥やしていった。事は全て上手くいっていた。多少怪しいだのと噂を立てられようが、証拠を掴まれることは絶対にないと自分含めて誰もが思っていた。
しかし、その『絶対』はふらりと現れた、たかだか九歳の少女に打ち砕かれることとなった。
少女の名は、スフィア=レイランド。
宝石すら霞ませるほどの鮮やかな赤髪と、緑色の瞳。類い稀なる美貌は、まだ少女と言える年でも遺憾なく魅力が発揮されており、当時から将来を有望視されていた。
「私は、お前達に痴話喧嘩を見せに来いと言った覚えはないんだがな」
「はあ!? こいつと夫婦扱いだなんて、おぞましすぎること言わないでよ!」
「そりゃ、こっちの台詞だよ! お前と夫婦になるくらいなら豚と結婚するね! 主も、なんでそんなこと言うの、ひどいよ~」
噛みつく矛先が自分に向いたことに、レニは鬱陶しそうに舌打ちをする。
「口答えするな。私が欲しいのはスフィアの情報だけだ。これ以上無駄な会話をさせるんであれば、今すぐ腕輪を剥奪してやってもいいんだぞ」
たちまち、エノリアとリシュリーは静かになる。
腕輪の剥奪とはつまり、一族の会議に出る資格を失うということ。それは、当主資格を奪われるよりも一族の間では恥ずべきことであり、二人は大人しく口をつぐむしかなかった。
場が静かになったことで、ようやく本題に入れるとレニの目が、まずリシュリーへと向けられる。
「あたしの方は滞りなくよ。カドーレにも手伝ってもらってるから、今のところあたしは悟られることなくスフィアの傍にいれるし」
「カドーレ……ああ、ブリュンヒルト家の犬か」
「もう、主ったら。確かにピクシー家はそうだけど、カドーレは別にそんなんじゃないわよ。とっても優秀なんだから」
カドーレを庇うようなリシュリーの言い方を、レニは鼻で一笑した。
「ちゃんと手綱を握れているのならなんだって良いさ。それより本当に学園内のことは任せて良いのか。手が足りないようなら、エノリアを教師として入れるが」
「やだやだ、そんなの入れないで。入れられたほうが邪魔よ」
「オレもそこには同意~。毎日、主の好きなスフィアちゃんが近くにいるってなったら、うっかり味見とかしちゃいそうだもん」
リシュリーを向いていたレニの目が、矢を射るより早くエノリアを射殺す。痛みさえ感じてしまいそうな鋭い視線を受け、エノリアは「ほら」と渋るように笑った。
「ね。オレはまだ主に殺されたくねーし」
エノリアの発言が本気でないと分かり、レニは目から殺気を消して自らの左頬にある線を指でなぞった。
「私から全てを奪った女だ。であれば、彼女を奪っても良いのは私だけだろう」
スフィアは、全てを自分から奪っていった。
家の財産も、領地も、優等生という評価も、自分の楽勝だと思っていた未来も。
落胆したこともあった。
憎悪したこともあった。
得体の知れない恐怖を感じたこともあった。
彼女との縁が切れ、安堵したこともあった。
しかし、すっかりただの跡となってしまった傷が、彼女を思い出す度に疼くのだ。
「この傷は、スフィアが私につけたものだ。ならば、やはり彼女に傷を付けるのを許されたのは私だけだ」
傷跡を何度もなぞりながら、恍惚とした笑みを口元に浮かべるレニを見て、リシュリーとエノリアは顔を見合わせ肩をすくめた。
彼は自分たちを変態だのなんだのと言うが、彼こそ本物の変態だと二人は目配せで頷きあう。この件に関しては珍しく、二人はいつも意見を一致させている。
「私ならば、無理矢理彼女をさらうこともできたが……それを、自分に任せてくれと言って止めたんだ、リシュリー」
「ええ、分かってるわよ。そんなに待たせるつもりはないから」
それに、そんなにもう待てなさそうだものね、とリシュリーはレニを見て、口の中で呟いた。
「ならば良い……エノリアはどうだ」
エノリアは男にしては長めの髪を、指先にクルクルと絡めながら「大丈夫大丈夫」と、気の抜けた声を出す。
「ていうか、オレも結局はリシュリーの介助みたいなもんだから。どうするかある程度聞いてるし、臨機応変にやるよ」
「まあ、お前は命令通り動かされるより、ある程度放し飼いにしていたほうが上手く動くからな」
「なぁに、主。オレを放し飼いにする気? ちゃんと手綱握っててくれないと逃げちゃうよ、オレ」
「お前は、手綱がちぎれても勝手に戻ってくるだろうが」
あら、とエノリアはどこか嬉しそうに目を細めていた。
「ただ、動きも少ないし、ちょっと暇なことが多いからオレはオレで勝手に遊んでるよ。いいよな、リシュリー」
「気取られない程度にならね。あんたの遊びで計画邪魔されちゃ堪ったもんじゃないし」
「はいはい、安心しろって。むしろ、お前の役に立てると思うよ」
「へえ、それは楽しみだわ。役に立ったらご褒美を上げるわね。犬の餌でも」
ガタッ、とエノリアが膝の裏で椅子を蹴って立ち上がるのを見て、レニは頭を抑えた。眉間の深い皺からは「またか」という気持ちが、ありありと表れている。
「滞りなく進んでいるんだったらいい。ほら、さっさと帰れ。お前達の玉の肌が荒れたら大変だ」
騒がしくされる前に、レニは微塵も思っていない言葉を口にし、手払いの動きで二人に解散を伝えた。二人もこれ以上は同じ空間にいたくないと、先を争うようにしてばたばたと部屋を出て行った。最後の最後まで騒がしい者達だ。
部屋にひとりになったレニは、再び傷跡に指を滑らせる。
酒に酔った父親から、彼女の身に王家直系の血が流れていると聞いて、運命だと思った。
この秘密を知る者が自分だったことに。そして、自分と彼女との間には、因縁という縁があるということに。
「スフィア……その身も血も全て私のものだ」
愛憎は紙一重だ。




