7 アルティナの心
エノリアが届いたばかりの野菜をキッチンへと運び入れていれば、ティーセットを前にして佇む一人の女性が。
「あれ、リィアさん? どうしたんですか、難しい顔なんかして」
エノリアは、キッチンで口をへの字に歪ませ、腕を抱えているアルティナの侍女――リィアの姿に首を傾げた。
「それが、お嬢様のお茶に困っているのよ、エノリア」
「いつものキンモクセイのじゃ駄目なんですか?」
ひょろ長い背を丸めて、エノリアがリィアの手元を覗き込む。台の上には、今し方エノリアの言った、キンモクセイの香り付けがしてある茶葉だけでなく、多種多様なお茶缶がずらりと並んでいた。
「それが、どうにもお嬢様の様子が変でね。悩んでいるような……」
「また、好きな方のことでも考えられているのでは? 今度はどこのご令息です?」
アルティナの惚れっぽい性格は、ウェスターリ家では周知の事実である。
しかし、リィアは違うと首を横に振った。
「そんな感じじゃないのよ。恋っていう感じじゃなくて、心配? しているような……上手く言えないけれど」
「はぁ……もしかしたら、学院で何か気がかりなことでもあるんじゃないですか」
「学院ねぇ。今まで学院のことで、お嬢様がこんな風になったことはなかったんだけど。せめてお屋敷では、気持ちよく過ごしてほしいのよ」
「ああ。それでいつもとは趣向を変えて気分転換してもらおうと、茶葉で悩んでたんですね」
「その通りよ。さっぱりしたミントティーにするか……でも、リラックスしていただくならベルガモットティーだし、この間お嬢様が良い香りって言われたアップルティーにミルクを入れてもいいし……あぁ、でもでも――」
リィアは両手で側頭部を抱え、「あああああ」と実に悩みに満ちた声を上げていた。
するとそこへ、ヒールの甲高い音が響く。
「リィア。お茶を淹れてくるって、どれだけ大量に淹れているのよ。すっかり喉がカラカラよ」
アルティナがキッチンに現れた。
「あ、お嬢様! すみません、ちょっと茶葉選びに迷ってしまいまして」
「いつものキンモクセイでいいわよ――って、エノリアもいたのね」
カツカツとヒール音を鳴らしながら、キッチンへと入ってきたアルティナは、リィアの隣に立つ使用人がエノリアと気付いて目を丸くする。
「珍しいわね、あなたがキッチンにいるだなんて」
「野菜を運んでいたところだったんです。そこでリィアさんと遭遇しまして……お嬢様の茶葉選びで悩んでいるようで、一緒に悩んでいたんです」
「まあ、リィアったら。今日は何をそんなに悩んでいるの?」
「いえ、その……お嬢様が塞ぎ込まれているように感じましたので、少しでもお心が軽くなる茶葉は何かと……」
リィアのたじろいだ喋り方と様子を窺うような視線を、アルティナは苦笑で受け止めた。
「心配させちゃったわね。ありがとう、二人とも」
「いえ、お嬢様の侍女として当然ですから」
「使用人として当たり前のことです」
アルティナは、置いてあったお茶缶をひとつずつ手に取っては、蓋を開け、中身を確かめていく。
「……ちょっとスフィアがね」
「レイランド侯爵令嬢様……ですよね。彼女がどうされましたか?」
茶葉の香りを確認しては台に置くという動きを、アルティナは人形のように淡々とこなしていく。
「あの子が、彼女持ちの男子生徒ばかりを狙っているって、学院でちょっとした問題になっていてね……私の友人の中にも彼氏を奪われたっていう子がいて。スフィアは危険だから近付かないほうがいいって、言われちゃったの」
アルティナは全てのお茶缶を確認し終えると、並んだ缶の表面を端から爪でなぞっていく。カラララララと軽快な音がして、真ん中あたりのお茶缶で指が止まる。缶の中身は、ベルガモットティーの茶葉だ。
「……私はスフィアがそんなことするような子じゃないって思うの。でも、友人達は騙されてるだけだって……」
リィアが缶を受け取ろうとするが、アルティナは手ずからティースプーンで茶葉を掬い、温めておいたティーポットへと入れていく。
「お嬢様の侍女として言わせていただきますと、その件に関しましては、関わってほしくないと思います。どちら側に付くとしても、お嬢様にとって良いことは何一つありませんから」
リィアは火にかけていたポットを持ってきて、残りの作業を交代する。リィアがティーポットにお湯を注ぎはじめると、エノリアは気を利かせてカップを温めていたお湯を捨てにいく。
ティーポットの中で蒸らされた茶葉が開き、良いあんばいになった時、ちょうどエノリアが温まったカップを手に戻ってきた。
「エノリアはどう思うかしら」
「私はただの平民ですし、お嬢様のような世界に触れたこともない身ですが……私個人の意見ということでしたら、今回の件は、レイランド侯爵令嬢様の意図しないことだったのではないかと」
声には出ていなかったが、明らかにアルティナはほっと息を吐いていた。
「男女の仲というものは、一言で言い表せるほど単純なものではないと思いますから」
「あら、エノリアったら。まるで男女の機微に詳しい百戦錬磨みたいな物言いね。恋愛経験なら、あなたよりお嬢様のほうが豊富なのよ」
「ちょっと、リィア……」
何故かリィアのほうが胸を張って、アルティナの恋愛遍歴を誇っていた。
「ただ私は、お嬢様が信じたいものを信じられればよろしいかと。それが一番お嬢様の心が穏やかでいられることかと思ったまでですから」
リィアがトレーの上にカップとティーポットを並べ、抱えようとしたところで横からひょいとエノリアの手がトレーを奪う。
「男の私がいるのに、女性には持たせられませんよ」
アルティナとリィアはきょとんとして顔を見合わせると、クスッと肩を揺らした。
「まあっ、うちの使用人はできた殿方だこと」
「本当ですね、お嬢様。さすが、ウェスターリ家の使用人と言ったところですね」
「あら、リィアったら。それって自分のことも言ってるのかしら?」
「当然です。なんと言っても、私はお嬢様の侍女ですから」
「まあ」とすっかりいつもの笑顔が戻ってきたアルティナ。クスクスと機嫌良く笑いながら部屋へと戻る彼女の後を、リィアとエノリアは安堵に頬を緩めながら追った。




