6 違和感
「――っおかしいわ!」
スフィアは、帰ってきたばかりで手に持っていた鞄を、机に打ち付けて勢いよく置いた。バンッと、机にダメージがあるような爆ぜた音がしたが構うものか。
苛立ちで物に当たるのは最低だとは理解しているが、それでもこの状況には正直我慢ならないほどに苛立っている。
「何があったって言うの、急に……!?」
スフィアは、ピナに打たれた頬の痛みを思い出し歯を食いしばった。
あれから一週間以上は経ったというのに、先ほど打たれたかのような痛みが蘇ってくる。それくらい、あの件と似たようなことが、ここ最近では続いていた。
『スフィア嬢、付き合ってくれませんか!』
こんな台詞を日々聞く事態に陥っているのだ。
この、告白の定番とも言える台詞を聞く日々が続いているのだが、攻略キャラのように、一人がしつこく何度も告白してくるというわけでもない。今まで告白してきた男子生徒達は皆、攻略キャラではなかったし、ひとまずは安心していたのだが、毎日毎日告白を受ける羽目になったら流石にうんざりするというもの。
「貴幼院時代にも、一時期告白が連続したこともあったけど……これはそんな感じじゃないのよね」
手紙ならよく貰う。ただ、直接の告白というものはやはりそこまで多くはなかった。その中で、告白が連続した時というのは、ガルツと付き合い始めた時だ。
あの時は皆やけっぱちで、当たって砕けろとばかりに告白してきていた。『誰とも付き合わないって言ってたのに、付き合ってるじゃーん!』という、ツッコミにも似た告白ばかりだった。振られても彼氏がいたからという建前で自分を慰められるから、というのも大きかったように思う。
しかし、今回はこれとはまるで状況が違う。
むしろスフィアはガルツとは別れているし、相変わらず、誰とも付き合わないというスタンスで通している。
それなのに、同学年だけでなく、先輩達からの告白も止まらないのだ。
しかも、これだけならば『これから寒くなるし、人肌恋しくなる季節だものね』と笑って流せていたのだが、告白してくる者達の共通点に気付いてからは、薄気味悪くて仕方がなかった。
「全員彼女持ちだなんて、どう考えても異常よね……」
正確に言うと、『直近で彼女と別れた男達』だ。
まるで、リーベルを真似したかのような行動である。
「今のところ、叩かれたのは最初のピナ先輩からだけなんだけど……」
元彼女に詰め寄られることは大幅に増えた。いったい、皆どんな別れ方をしているのか。
「攻略キャラじゃない人達に、ここまで手こずらされるなんてね」
そのおかげで、スフィアは毎日落ち着かない、苛立つ日々を送ることになっているのだ。
「リシュリーにも迷惑かけちゃってるし」
ほぼ一緒にいるため、興奮してスフィアに飛びかかろうとする元彼女達を抑えるのが、彼女の役目になりつつあった。
ピナの時のようにかばい立てしてくれたアイリスや、その他の、例の講義で仲良くなった二年生の先輩達も、最初はスフィアに申し訳なさそうにしていたのだが、ここ最近では、目が合うと気まずそうに逸らすようになっている。
「サリューナの時は、友人を守るっていう一致団結した攻撃的な空気だったけど、今は嫉妬と軽蔑と猜疑とめちゃめちゃね。正直、あまり良くない状況だわ」
特に、アルティナに対してが。
「お姉様は、私を信じてくれているようだけど、問題はその周囲なのよね」
スフィアがアルティナに話しかけようとすると、いつも周囲にいる彼女の学友達が、さっと視線を遮るように間に挟まって、あっという間にアルティナを連れ去ってしまうのだ。
大方、良くない噂があるから、近付かないほうが良いとでも、アルティナには言っているのだろう。文句を言ってきた女子の中には三年生もいたのだし。
連れ去られていく時、アルティナは困った顔でチラチラとこちらを気にする素振りを見せるのだが、さすがにそこを引き留める勇気はスフィアにはない。
彼女が孤立しないことも、悪役令嬢化を防ぐ手段なのだ。
「私がお姉様からご友人を奪うわけにはいかないわ」
スフィアは、少しは冷静になった頭を、感情を追い出すように軽く横に振った。
「……今回はサリューナの時と違って、お姉様の方にはこの波は行ってないようだし、そこだけは安心だわ」
何故、皆自分に告白してくるのか。
金髪碧眼の女神が、最上級生のお姉様という美味しいポジションで待機しているというのに。自分なら破天荒な赤髪などに行かず、令嬢の鏡であり女神のアルティナに猪突猛進するというのに。
「まっ、満足に別れられないような男じゃ、お姉様には相応しくないし仕方ないわね」
アルティナに抱きつけに行けないのは寂しいが、どうせこの告白の波も長くは続かないと思う。
大方、裏で誰が『赤髪の令嬢』をものにできるかの賭けでもやっているのだろう。
「それに、学校で会えなければ、直接お姉様を訪ねれば良いんだし。そうと決まれば、手紙でも書きましょ」
しかし、スフィアは机の引き出しを開けて、「あちゃあ」と間延びした声を漏らした。
引き出しの中のある予定だった便箋が空になっていた。
そこへちょうど、ノックと一緒に、ドアの外からマミアリアの声がかかる。
「ちょうど良かったです、マミアリアさん。便箋がなくなってしまったので、買ってきてもらえませんか」
言葉を入室許可の合図ととったマミアリアが、そろりとドアから顔を覗かせた。
「かしこまりました、お嬢様。ちょうど私もペンのインクが切れていたので、一緒に買ってきますね」
あら、とスフィアの口角がにんまりと上がる。
「例の彼と、文通のしすぎじゃないんですかぁ~?」
にやにやとして揶揄いがちに言えば、マミアリアはポッと頬を赤くして視線を下げた。どうやらビンゴだったようだ。しかも様子を見るに、随分と順調にいっているようだ。
「よかったですね、マミアリアさん」
「はい! お嬢様に春の舞踏会に連れて行ってもらってよかったです」
去年の彼女からは考えられない、清々しい笑みだった。
「それはそうと、便箋の柄はいかがいたしましょう。どなた宛てに使用されます?」
「アルティナお姉様に」
「えっと、彼女は確か……ウェスターリ大公家のご令嬢様ですね――って、そうです!」
アルティナの名前から立派に家名を引き出せたマミアリアに、しっかりと貴族について勉強しているようね、と感心したのも束の間、彼女は手を叩いて大きな声を出した。
「実は、私の文通相手の彼も、ウェスターリ大公家の使用人だったんですよ!」
「ええ!? お姉様のところの!?」
誰だろうか。アルティナの家は大公家というだけあって、レイランド家と比べものにならないほど、老若男女に富んだ使用人がいる。
「そうなんです。いつも住所で出していたので、まさか大公家だとは気付かず……。貴族家の名前も知らない田舎者だって思われたくなくて、聞くタイミングを逃していたんですが、この間それぞれの仕える主人の話になりまして……それでアルティナ様のお名前が出たものですから」
なるほどね、とスフィアは納得した。
手紙は、一般的には住所を書いて出すが、貴族宛てであれば名前だけでも送ることができる。スフィアはいつもアルティナの名前宛てで出していたから、マミアリアも気付かなかったのだろう。
「ちなみにその使用人のお名前を聞いても?」
「エノリア様です」
――ああ……彼ね。トレドだったらどうしようかと思ったわ。
さすがに、主人の下士官と文通していたとなれば可哀想だ。
――それにしても、エノリアね……。一度くらいしか見てないし、背が高かったくらいの印象しかないわね。
彼は確か平民の出だったと思うのだが、マミアリアはそれでいいのだろうか。貴族の子息を狙っていたはずだが。
しかし、そこを聞くのは野暮だろう。
「上手くいくことを願ってますね」
「ありがとうございます! お嬢様」
だって、彼女はこんなにも幸せそうな顔をしているのだから。
スフィアが薔薇柄の便箋を指定すると、マミアリアは早速に屋敷を出たようだった。
昨日は更新お休みしてしまい、すみませんでした。
また更新していきます。




