4 女の敵は女
その音は、スフィアだけでなく下校途中だった生徒達の時間すらも止めた。リーベルに握られていた手は、千切るように離され、間に見知らぬ女子生徒が挟まっている。
目の前には、今にも火が噴き出さんばかりに目を真っ赤にした女子生徒が、親の敵を見るようにスフィアを睨み付けていた。
しかし女子生徒は、呆然として何も口にできないでいるスフィアに舌打ちすると、くるりと背を向け、今度はリーベルの胸ぐらを激しく掴む。
「どういうことよ、リーベル! こんな堂々と二股掛けるだなんて!」
「ち、違うんだ、ピナ」
スフィアを口説いていた時の半分しかない声量。リーベルはピナと呼んだ女子生徒に対し、明らかな及び腰だった。
「何が違うのよ!? 今さっきその女の手を握っていたじゃない!」
「だって君とは別れるって言っただろう……」
「あなたが一方的にね!」
スフィアは目の前で繰り広げられる痴情のもつれを、どこか別の世界のことのように眺めていた。ただ、打たれた左頬がジンジンとした痺れた痛みを訴えれば、自分の同じ世界にいるのだと自覚する。
次第に止まっていた脳も動き始める。
どうやらリーベルにはピナという彼女がいて、しかし彼はスフィアに告白するにあたって彼女に別れを告げ、了解を得られないままここに来たということか。
誠実なようで、身勝手というかなんというか。
左頬に触れてみると、そこは指先よりも熱くなっており、きっと赤く腫れているのだろう。
「ちょっと!? 何やってのんよ、ピナ!」
そこへ、慌てた様子で駆け寄ってきたのは見覚えのある二年生だった。
以前、サリューナのごたごたの時に、最後までサリューナを信じていたアイリスだ。しかしあの件以降、スフィアとは顔を合わせれば挨拶を交わす仲にまでなっている。
彼女はスフィアの頬を見て、申し訳なさそうに眉をひそめた。
「ごめんなさいね、スフィア。ちょっとこの子、今、混乱しているみたいで」
「謝ることはないわよ、アイリス! この子、あたしの彼を盗ろうとしたんだから!」
「誤解です、先輩。私は――っ痛」
口を動かすとビリッとした痛みが走り、言葉を最後までは言えなかった。
「ハンッ! どうせお得意の男を落とす方法でも使ったんでしょ!」
「落ち着きなさいって、ピナ」
アイリスがピナの肩を掴みなだめようと試みるが、成果はなくピナは腕を振り払うと、キッとリーベルを睨み上げる。
「リーベル、この件は立派な不義としてお父様にも報告させてもらうわよ」
「そんな……っ!」
たちまちリーベルの顔が蒼白になった。
「もういいでしょ、ピナ。ほら行くわよっ」
まだ言い足りないとばかりに気色ばんでいるピナを、アイリスが引きずるようにして無理矢理校内へと連れ帰っていった。それをよたよたとした足取りで追うリーベル。彼は振り向き、一度スフィアを目端に捉えたが、すぐに気まずそうに視線を切り、同じように校内へと消えていった。
場に残されたのはスフィアただ一人。
「……なんなの、これ……」
まるで嵐に巻き込まれた心地だった。
別に、悲しみや怒りがわいたわけでもないのだが、あまりの展開に正直まだ脳が上手く処理しきれていなかった。
足を止めていた下校途中だった生徒達は、たどたどしくも再び足を動かし取り過ぎていく。その中で校内から血相を変えて走ってくる女子生徒がいた。
「――スフィア!?」
リシュリーだった。
彼女はスフィアの左頬が赤くなっていることと、周囲の奇異なものを見るような視線で、おおよその事態を理解したのだろう。スフィアの手を取ると、一目散に校舎へと戻っていった。
校舎内には入らず、裏庭へと連れてこられる。
花壇側にあった水道で濡らし絞ったハンカチを頬に当てられる。
「……ありがとうございます、リシュリー」
熱を持った頬に、濡れたハンカチの冷たさが心地よかった。
「どうしてこんなことになったの?」
ことのあらましを教えれば、彼女は大きな溜息をつきながら首を横に振っていた。
「とんだとばっちりね」
「あっという間すぎて、誤解を解く暇もなかったです」
「モテすぎるのも考えものってことかしら……にしても、話を聞けばスフィアは全く悪くないのに……やっぱり嫉妬は女に向くものなのかしらね」
「そうですね……年頃としても複雑な部分がありますし」
ピナという女子生徒は、父親に言いつけると言っていた。二人が両家公認の仲だったということは、ほぼ婚約まで交わしていた可能性が高い。そこをポッと出の後輩に奪われては確かに堪ったものではないだろう。
にしても、男を殴るのではなく、最初からこちらを殴ってくるとは。
女の敵は女というのは、どこの世界でも一緒のようだ。
「貴幼院ではこんなことなかったのにね」
「これが貴幼院と貴上院の違いでしょうね」
まあ、今回はたまたま彼女持ちの男子生徒が迫ってきたため、このような事態に陥ったのだが。
「大丈夫? あまり気にしちゃダメよ、スフィア」
リシュリーの心配をありがたく感じ、その日は帰路についた。
◆
スフィアを見た御者も言葉を失って驚いてはいたが、家に入るとその比ではない驚きがスフィアを襲った。




