3 ラブレターが運んできたもの
貴上院と貴幼院の違いには、通う生徒の意識の違いがある。
卒業したらデビュタントという、大人の世界をすぐそこに感じるからこその差だろう。去年まで貴幼院生だった者達も貴上院に上がった途端、すっかりと大人びてしまう。
うっすらと背後に見える家格、将来の有望性、容姿の優劣。純粋な交友関係や恋愛関係を築くには難しい年頃である。
しかし、その中でもやはり変わらないものもあるわけで――。
「やっだ、相変わらずスフィアは凄いわね」
「貴幼院の時に噂では聞いていましたが、本当に束で貰うものなんですね……ラブレターって」
ロッカーに突っ込まれていたラブレターの数々を、スフィアは無表情でまとめていく。
「ここ最近でまた増えてきましてね……」
クラス制ではない貴上院では、広い校内を常に移動している相手を捕まえるのは至難である。そうなると個人に唯一与えられた移動しない場所――ロッカーに全てが集中するのだ。
かくいうスフィアも、ラブレターを入れるために、近頃になってアルティナのロッカーを突き止めたばかりである。
「それにしても、皆身の程知らずも良いところねえ」
ひょい、とリシュリーがスフィアの手の中から、手紙を一枚抜き取った。興味深そうに封筒をクルクルと裏返し、ふっと笑う。
「こらっ、リシュリー返してください」
「あら、この紙くず達は燃やしてあげないの?」
「さすがに、貴上院ではそんなことしませんよ」
「なぁんだ、ざんね~ん」
リシュリーは言葉さながらに眉を下げて悲しそうな表情を作ると、大人しくスフィアの手の中に手紙を戻した。
どうやらリシュリーは、貴幼院での中庭ラブレター焼き芋事件を知っているようだ。隣でカドーレが「あれは中々」と呟いていたので、恐らく彼も知っているのだろう。もしかすると二人とも、あの見学者の群れの中にいたのかもしれない。
「じゃあどうするの、それは。断りの手紙書いて渡すっていうのも、この学院じゃ大変よ」
「確かにそうですね。差出人のロッカーなど分かりませんし、かといって校内を巡って全員を探すというのも無理というものですからね」
「そうなんですよねえ。返事を書いても渡す方法がありませんからね。なので、無視してます」
スフィアは、困ったとばかりに頬に手を添え、ほうとため息を吐いた。
リシュリーとカドーレは「無視!?」と、スフィアの対応に驚きを示したが、すぐに「でも、それしか方法はないか」と理解を示す。
「まっ、仕方ないわよね。向こうが本気なら何がなんでも接触してくるでしょうし、このくらいの年になれば、家を通じての申し込みだってできるんだもの。こっちから優しくしてあげる義理はないわね」
「実際、本気であればそのくらいはするでしょうしね。わざわざ私を見つけて、直接で告白してきた方も、今までにはいましたし」
「あら、その返答は?」
「もちろん全て『ごめんなさい』ですよ」
「それで引き下がってくれるの?」
「ええ、今のところは。さすが上位学院なだけあって、皆さん騒いで醜態をさらすのと、素直に引き下がって私の綺麗な思い出の一つになるのとでは、どちらが得かよく分かってらして助かりますよ」
それと、告白してきた相手が、軒並み攻略対象以外だったというのもある。粘られても二、三言程度だ。
「ふふ、随分とずるいふり方をするのね、スフィアったら。好きな人の綺麗な思い出の一部になれる、なんて聞いたらそりゃ皆引き下がるわよねえ」
「そこは僕も同意します。スフィアは、退路すらも相手に選ばせますからね。男であれば、自ら選んだ選択を覆すなんて、プライドが邪魔してできませんし」
同意を求めるようにリシュリーが隣のカドーレに目を向ければ、カドーレも大きく頷いていた。
「時にはずるさも必要なんですよ」
しかも、この程度のずるであれば可愛いものだ。
――このまま、攻略キャラよ出てこないでちょうだい!
アルティナの卒業までは、穏便に平和だけを享受して、学院生活を送りたいものである。
そして、その日の放課後。
「スフィア嬢、手紙は読んでくれたかい」
帰り支度を済ませ、校門へと向かっていれば、背後から男の声が掛かった。男の台詞からするに、大方、ロッカーに手紙を忍ばせていた者の誰かだろう。
他の生徒達が帰っていく中、通路の真ん中で足を止めた二人は目立つ。皆、チラチラとスフィア達を気にする素振りを見せながら通り過ぎていく。
――よくこんな場所で、堂々とそんな話ができるものね。
勇者の素質があるのか、自分が振られるとは思っていないのか。確かに顔は綺麗だが、顔の美しさなど、日常的に美形に囲まれて生活し、散々美形に言い寄られてきたスフィアにとっては、大したアドバンテージにもならない。
「どちら様でしょうか?」
「リーベル=アッガーと言う。二年だ」
案の定、攻略キャラではない。であれば、いつも通りに対応するだけ。
「すみませんが、今のところ、私は誰ともお付き合いするつもりはないんです」
「あぁ……やはりアントーニオ公爵令息と別れて、とても傷ついているんだね。大丈夫。恋の痛みを消すのは新しい恋だよ」
何が大丈夫なのか。お前が大丈夫か。
勝手にどんどんと話を進められるが、聞いていると、どうやら彼の中で自分はガルツに振られた傷心な令嬢ということになっているらしい。
――ああ、最近ラブレターが増えてきたのって、もしかして、周りにこんなことを思われていたからかしら。
まあ、大抵恋人同士で別れを切り出すのは男のほうが多いし、単純に『別れた』と聞けばそう思うのも自然なのかもしれない。
別に、ふったふられたは個人的にはどちらでも良いのだが、それによって『傷心』というステータスを勝手に付けられるのは困る。
「僕も最近彼女と別れたばかりなんだ。同じ傷を持つ二人なら、互いの傷を癒やしあえると思うんだ」
それは癒やし合いではなく、傷のなめ合いなのでは。
鞄を持っていない方の手をギュッと両手で握られ、熱視線を向けてくる。
「いえ、あの……ですから、私はリーベル先輩とは付き合うつもりは全くなくてですね。分かってくださらないのであれば、ここで大声でお断りの言葉を言っても――」
いいんですよ、という言葉は、突如やってきた頬への衝撃で、口から出て来ることはなかった。
パァン、と肌が肌を強く打つ音が一帯に響いた。
「どういうことなのか説明なさいっ!」
余韻をかき消す癇癪な女の声で、スフィアは自分が頬を打たれたのだと知った。




