2 播種
ロッカーに鞄を収めていれば、棚の裏側からやって来た令嬢が、喜色の声を上げる。
「やぁーん! 久しぶりね、スフィア!」
夏休みも明け、久しぶりの学院。
そんな中、スフィアを最初に迎えたのは、リシュリーの熱烈な抱擁だった。
「ふふ、そこまで久しぶりじゃないですよ。夏休みの間も何回か会ったじゃないですか」
二人で王都でお茶をすることもあれば、フィオーナを交えた女子会で恋愛話に花を咲かせたり――主にフィオーナのノロケだったのだが――と、比較的リシュリーとは夏休みの間も顔を合わせていた。
「それでもよ。毎日会える学院と比べて長期休暇はやっぱり駄目ねぇ、寂しくなっちゃう」
「あら、そんなことを言って、卒業した後はどうするつもりなんですか」
「そんなの――」
リシュリーはスフィアを抱きしめる腕にいっそう力を込め、スフィアの頭に頬を寄せる。
「――どうとでもするわよ」
相変わらずな愛の重さに、スフィアは思わず苦笑を漏らす。
「リシュリーなら、本当にどうにかしてしまいそうですね」
毎日「スフィアー来たわよー」とか言って、家まで訪ねてきそうだ。
すると、スフィアの頭に頬刷りしていたリシュリーが、「あっ」と何かに気付いたような声を漏らした。
「アルティナ様だわ」
「お姉様っ!?」
続けて聞こえた言葉に、たちまちスフィアの眼光が鋭くなる。そして次の瞬間には、リシュリーの抱擁から素早い身のこなしで抜け出し、一直線にアルティナへと猛進する。
「アルティナお姉様ああああああっ! 明けまして嬉しゅうございますううう!」
「きゃあああッ!」
お決まりの、突進と悲鳴。
長期休暇によりアルティナの防御意識が緩んでいた隙を突いた、見事な抱きつきであった。
「あなたはもう少し周囲の目というものを気になさい! それに、明けまして嬉しいって、何が明けたのよ!?」
「夏休みですが?」
「そんな挨拶聞いたことないわよ。とりあえず離れなさいな、鞄が拾えないわ」
それはいけない、と慌ててスフィアが離れれば、アルティナは抱擁の衝撃で落とした鞄を拾う。
「あ、一緒にロッカーに行ってもいいですか?」
「……駄目って言っても、どうせ付いてくるんでしょう?」
「さっすが、お姉様!」
登校して間もないようで、鞄を手にしたアルティナの周囲には、いつもの学友達はまだいなかった。ここぞとばかりにスフィアはアルティナの腕に絡みつくと、一緒に三年生のロッカーへと向かう。アルティナは払う気力がないのか、それとも諦めているのか、何も言わず大人しく腕を組まれていた。
「会いたかったです、お姉様」
「会いたかったって……夏休みにも会ったじゃない」
「趣が違うんですよ。ドレス姿のお姉様はもちろん最高なんですが、制服姿は天才なんです!」
「よく分からないわ」
それに制服姿など、ゲームでは出てこなかった超弩級のレア姿なのだ。しっかりと網膜に焼き付け堪能しておかねば。
三年生のロッカー部屋は、スフィア達一年生のロッカー部屋の二つ隣にある。
そういえばリシュリーはどこだろうかと、チラと一年生のロッカー部屋の方を窺いながら歩くも彼女の姿はなく、先に行ってしまったのかと思っていれば。
「ごきげんよう、アルティナ様」
「あら、あなたは……ごきげんよう」
リシュリーは、三年生のロッカー部屋の前にいた。
アルティナに向け軽く膝を折って挨拶をするリシュリーを見て、アルティナは「あれが普通なのよ」と、重たい眼差しをスフィアに向けながら、ロッカー部屋へと入っていく。残念ながら、普通など前世に置いてきた。
「リシュリー、どうしてここに? てっきり先に行ったのもだと思ってました」
「まったく……」
やれやれ、とリシュリーは顔を横に振りながら、スフィアの頭にポンッ、と手に持っていたものを乗せた。
「授業の準備もしないで飛び出していったから待ってたのよ」
乗せられたものを手に取って見ると、授業で必要な教科書類だった。
「ありがとうございます、リシュリー! それにしても、よく私がこっちに来るって分かりましたね」
「スフィアの行動パターンなんてすっかりお見通しよ。あ、そうそう。さっきちょうどカドーレも来てたわよ」
「あ、じゃあ挨拶だけしてきます。すぐに戻るので、ここで待っててください」
スフィアは、「では」と一年生のロッカー部屋に向かうかと思いきや、何故か正面にある三年生のロッカー部屋へと踏み入った。キョロキョロと視線を巡らし、お目当ての人物を探す。
「よし。お姉様のロッカー場所把握」
「あなた……それが知りたかったのね……」
「お姉様のことなら、どんな些細なことでも知りたいですから。髪の毛の本数とか」
「やめなさい、怖い」
アルティナに引きつった顔を向けられたが構わない。これでラブレター入れ放題だ。
スフィアは満足そうに頷くと、今度は間違いなく一年生のロッカー部屋へと駆けていった。
「相変わらず忙しない子ね」
ロッカー部屋から出てきたアルティナが、リシュリーの隣でスフィアが去った方を見てため息を吐く。
「でも、あの賑やかさがスフィアの良いところなんですよね」
「まあ……静かだとそれはそれで気になるものね」
口先を尖らせ、不承不承といった感じに、ふんと息を吐くアルティナだが、リシュリーにはそれが照れ隠しに見えた。
「それにしても本当、スフィアったらアルティナ様のことが好きですよね」
「まったく好かれる理由が謎なのだけれどね」
肩をすくめるアルティナに、リシュリーはクスッと小さな笑みを漏らす。
「なんだか、アルティナ様に彼氏ができても、スフィアはお構いなしに割り込んでいきそうです」
「確かに……」
アルティナが目の下を引きつらせたのを横目に、リシュリーは手に持った教科書を手すさびにパラパラと捲る。
「……あの子、貴幼院の頃からずっと、アルティナお姉様アルティナお姉様ってうるさくて……そのうちアルティナ様が好きすぎて、アルティナ様と同じものまで好きになっちゃいそうだなって思うんですよ」
「同じもの? そんなことあるかしら」
「好きな人の好きなものって、好きになりません?」
アルティナは首を傾げ、思案に視線を足元へと落とす。
「……そうね。言われてみれば、彼の持っているものとか善く見えたりするわね」
「それもありますね。でも、他にも好きになるものってあるんですよ」
「他に?」と、またアルティナは首を傾げた。
「あたしも彼女の気持ちはよく分かるんです。とっても大好きな人がいますから」
「あらっ、リシュリー嬢も恋をしているのかしら」
好きな人という言葉に、アルティナが興味を示す。彼女を取り巻く雰囲気が、幾分かわくわくと跳ねたものになる。素直な彼女の反応に、リシュリーの頬も緩む。
「ええ。好きすぎてつい、その人の好きな人まで善く見えちゃったり」
「え……」
戸惑いの言葉をアルティナが口にしかけた時、スフィアが手を振りながら駆け足で戻ってきた。
「お待たせしました――って、アルティナお姉様まで私を待っていてくださったんですか!? やだ、スフィア感激! もう大好きっ!」
ハシッ、と口を押さえ感涙に目を潤ませるスフィア。
「はいはい、それじゃあ授業に行くわよ、スフィア」
「もう少しお姉様とあああああああ……」
リシュリーは問答無用とばかりにスフィアの手を引くと、「それでは」とアルティナに会釈してその場を後にした。アルティナが表情を僅かに曇らせていたことには気付かずに。




