◆グレイとレイランド兄妹
少しスフィアと話したいと思い、訪ねたレイランド家。あらかじめ連絡を入れると逃げられる可能性があったから、いきなり来てみたのだが。通されたサロンで迎えてくれたのは、スフィアではなく、その兄で……。
「あの、スフィア嬢は?」
「残念だったな。僕の愛しの天使は留守だ。さっさと帰れ」
確かに、確認せずに来た自分が悪いのは百も承知だが、ただ悪口を受けに来ただけかと思うと気が滅入る。というより、腹が立つような気もする。
「あら、珍しい来客ですね、兄様。家の中で猟銃はぶっ放さないでくださいね」
「今日も可愛いねスウィーティ」
「兄様自重」
サロンの前を赤髪の美女がさら~っと通り過ぎていった。
「………………え?」
ジークハルト卿に驚きの目を向けると、彼は緩みきった顔で赤髪が消えていった方へと手を振っている。
「……あの……今、スフィア嬢を見ましたが……?」
「ああ、僕も見たな。相変わらず女神が顕現したのかと思う神々しさだったな」
「え……留守と……」
「ああ、留守だな」
彼は、しれっとして水の入ったグラスに口を付けていた。
彼と自分との間にあるテーブルに置かれているのは、紅茶ではなく水。
来客に対して茶ではなく水を出したのだ、この目の前の男は。
さっさと帰れというあけすけな意思が、ガンガン伝わってくる。仮にも俺は王子なのに!
「……なるほどなるほど」
腹が立つような気がするんじゃなくて、はっきりと腹が立つ。
「どうあってもジークハルト卿は、私をスフィア嬢には会わせたくないと……」
「スフィアは留守だ。悪いな」
「ちっとも悪いだなんて思ってませんよね!」
「アハハハハハッ!」
許嫁という立場を手放し、一人の男としてその他大勢と一緒のラインまでさがったんだ。約束のデビュタントまで、あと三年もない。そろそろ、この最強の鉄壁であり最大の難関である堅物の妹溺愛者を、どうにかしなければならない。
「わかりましたよ」
グラスの水を一気に飲み干し、カンッとテーブルに置くと一緒に立ち上がる。
「ジークハルト卿、勝負しましょう!」
「ほう……」
にやり、と彼の片口が上がった。
「銃でも剣でも。彼女に堂々と求婚するためにも、いつまでも侮られたままではいられませんので!」
「言ったな? ……王子様が」
「いい加減、その子供扱いも止めていただきたいところでしてね。私ももう今年で二十一になりますし」
彼は鼻で一笑すると、「いいだろう」とゆっくりと腰を上げる。
「分からせてやるよ……身の程ってやつを」
やってしまったかも、と少しだけ後悔した。
◆
「ギャアアアアアアアッッッ!」と、窓の外から、首を絞められた鶏のような悲鳴が聞こえる。
「あら、兄様ったら……自重と言ったのに」
大方、とても高貴な鶏と戯れているのだろう。まあ、気にしないに越したことはない。
しばらく、パンッパンッという銃声と悲鳴が聞こえていたのだが、フッと静かになった。
「あら、絶命でもしたのかしら」
そう思って、私室の窓を開けようと近付いた瞬間――
「ぎゃっ!?」
血相を変えた美青年が、窓にべたっと張り付いた。
「び、びっくりした……グレイ様!?」
「頼む開けて入れて助けて」
外側から鍵を指さす彼は、命からがらといった感じだ。さすがに見殺しにするのも可哀想だから、窓を開けて部屋の中に入れてやった。
「ここ二階なんですが……どうやって上ってきたんです」
「命の危機を感じれば、豚でも木に登るもんだよ」
なんか絶妙に違う気がするが、まあ状況は察した。
彼のいつもの装いは、ところどころ土に汚れ、すり切れたりしている。話を聞けば、どうやら私への求婚を認めさせるために、兄様に勝負を挑んだのだとか。積極的な自殺以外の何物でもなかろう。
「だって、まず彼をどうにかしないと、スフィアにはたどり着けないだろ」
「あら、まだ諦めてなかったんですね」
我が物顔で私のソファに座っている彼を目を重くして見れば、ヤレヤレと鼻で息を吐かれる。腹立たしい。
「いい加減スフィアは、俺の気持ちをもっと信用すべきと思うんだ。この程度で諦めるなら、とっくの昔に諦めてるって」
確かに。
「でも、命をかけるほどの価値は私にはないと思うんですが……」
「そんなことはないさ! 男たる者、好きな女性のために、命の一つや二つなげうたなくてなんとする!」
「万が一私と結婚したら、アレが義兄になるんですよ?」
「……それは…………うん」
先ほどまでの威勢はどこへやら。彼の視線は明後日の方へと飛んでいった。
毎日がきっとサスペンス。
でも、こうやって言ってはいるけど、私もグレイ様が諦める未来なんて想像できないのよね。彼のしつこさについては、出会ってからの日々で充分に分かっている。もう、一種のそういう芸みたいになってるし。
「でもやっぱり、私は自分が結婚してる姿も想像できないんですよね……」
頭の中は、常にアルティナの幸せについてのみ思考されている。自分のことは二の次なのだ。
「アルティナお姉様が幸せになったのを見届けて……自分の恋人とか考えるのはそれからですかね」
「だったら、アルティナに沢山の縁談を持って行こうか!」
「駄目です。アルティナお姉様には、ご自身で選ばれた殿方と一緒になってほしいんですから。でないと、恋にうつつを抜かしてるお姉様が見られない!」
彼女の、好きな人のことを語るときの姿の可愛らしさと言ったら……。この世のどんな宝石よりも尊いし、全人類に見てほしい。可愛すぎて泣けた涙でアマゾン川が形成されるだろう。
「グレイ様、お姉様の国宝登録はまだですか?」
「また思考回路に障害をきたしてるな、君」
失礼な。通常思考が、ちょっぴり特定人物に偏りすぎているだけだ。
「それはそうと、私とガルツのことには言及しないんですね」
確か、彼の目の前でドボン宣言をしたから知ってるはずなのに。
「だったら次は自分を彼氏に」とか言ってくるかと思いきや、一切触れてこず、こちらのほうが不気味だ。
「言っただろ。俺は一時の幸せより、最後に全て手に入れる方を選ぶって。つまり俺の最終目標は、君と付き合うことじゃなくて結婚することだからね」
本来なら、これはプロポーズであり、世の令嬢達ならば歓喜に舞い踊っている場面であろうが、全く感情が動かされない。言われすぎて慣れてしまったというのもある。
というより、やっぱり自分のそういったことに関しては、全く想像できないからかしらね。
もしくは――。
「でしたら、やはりアレは避けて通れませんね」
窓の外を顎で示せば、狂戦士化した兄の咆哮が聞こえてくる。
「グレェェェェェェイ!!!」
「あ、兄様こちらです~」
「やめてえええええええええ!」
あの兄の負ける姿が想像できないのが、一番の要因だと思う。




