18・等価交換~尊い犠牲でした~
「初めまして、ラミ先輩」
「貴女がスフィア? 何か用なの?」
ラミの目の前には、一年生と思われる小さな女の子と、その子に無理矢理連れて来られた感満載の男の子が並んで立っていた。
「何の話か分からないけど、私は貴女達と違って忙しいのよ。用事があるならさっさと済ませてくれないかしら?」
ラミは訳の分からないこの状況に苛立ちを見せていた。
しかし、スフィアは彼女の棘のある言葉を受けても、依然として笑みを保つ。
「では、前置きなしに本題を話しましょう。ラミ先輩、ナザーロ先輩から離れて下さい」
スフィアの言葉にラミの片眉が吊り上がった。
同時に、何やらガタガタッと物陰で音がした気もするが、きっと風でも吹いたのだろう。
「何でそんな事初対面の貴女に言われないといけないわけ!? しかもまだ人の心の機微も分からない、お子ちゃまなんかに!」
「では、ラミ先輩はナザーロ先輩の事を本気で愛してるって言えますか?」
彼女は馬鹿馬鹿しいと鼻で笑うと、顎を上げてスフィアを見下ろす。
「勿論よ! 寡黙で真面目で素敵な人だと思うわ! いずれ気持ちを伝え――」
「……それじゃあ、ナザーロ先輩が公爵家でなくても?」
ラミの言葉がぴしゃりと止まった。次の言葉を出さんと開けていた口からは、吃音だけが発せられる。
スフィアは、目を細め口角をいやらしく上げた。
――さあ、本性を出して貰いましょうか。セ・ン・パ・イ。
「私、レイランド侯爵家の令嬢なんです」
唐突な話題の転換に、ラミは戸惑いと嫌悪を表わした。
「なに、自慢?」
「いえいえ。ただうちは結構領地も広いですし、その分色々な話も聞くんですがね……実はナザーロ先輩のお家、近頃は公爵家の間では孤立しかかってるとかで……」
まるで「気の毒」とでもいう様に、スフィアは手を口に押し当て顔を顰める。
「そ、そんな話……知らないわ」
「そりゃあ、こんな話だからこそ子爵家までは伝わらないんじゃないですか」
「でも! ……いえ、そんな事は……」
「まあ、私は愛があるのなら耐えられると思うんですがね? 社交界で……公爵家間で孤立しても……」
ちらとラミの様子を窺えば、彼女の顔は白くなり、唇を噛んで床の一点を見つめていた。
「ねえ、先輩? 愛していると仰るのなら、どうしてナザーロ先輩に気持ちを未だに伝えていないんです?」
スフィアがラミに向け一歩踏み出す。ラミは思わず同じ間隔だけ一歩退いた。
「当ててあげましょうか? もし、ナザーロ先輩より良い条件の殿方が現れた際すぐに乗り換えられるように、でしょ――例えば、彼みたいな!」
そう言って、スフィアはずっと手を繋いでいた彼を彼女の前に押し出した。
「さあ! どうぞ、御照覧あれ――っ!!」
突然に向かい合う事となったラミとガルツは目を白黒させる。
「彼はガルツ=アントーニオと申しまして、アントーニオ公爵家御令息! 言わずもがな、アントーニオ公爵家の財力はラミ先輩もご存知でしょう!」
「え、えぇ……有名な公爵家の一つだわ」
「では、この御令息……今なら、貴女の手に入ると言ったら?」
「はぁ!? ちょっと待て! おまッぶッ――!!」
状況を理解し始めたガルツが抵抗しようと声を上げるも、その口はスフィアの手によって塞がれてしまう。
目の前のラミの様子を窺えば、彼女には明らかな動揺の色が見えていた。
――もう一押しね。
スフィアは声を潜め、口に手を当て「ここだけの話」とラミを誘う。ラミもその誘惑には抗えなかったのか、腰を屈めスフィアの口元に耳を寄せる。
「まだ一年生で頼りないとは思いますが、その分伸びしろはありますよ。ラミ先輩が手取り足取り教育していけば、好みの青年に育ちます。想像して下さい。真っ白なキャンバスを好きな色で塗りたくれる快感を――」
それは悪魔の囁きだった。
ラミの喉が一度大きく鳴る。
隣で白いキャンバス扱いされたガルツが憤慨の声を上げるも、二人には最早そんな声など聞こえてはいなかった。二人だけの世界には甘美な響きだけが続いていた。
「ナザーロ先輩みたいなのって絶対面白くないですよ。真面目でしょうけど、言い換えれば頑固ですよ? 絶対苦労しますって! それだったら、ちょっとやんちゃだけど、こっちのガルツの方が可愛げもあるってもんですよ」
「……悪くないわね」
「ラミ先輩はもうすぐ卒業でしょう? そうするとアントーニオ家に繋がる機会はもう巡ってこないですよ。今この場だけなんですけどねぇ――」
「どうします?」とスフィアの目がラミに訴える。
ラミは大きく息を吸うと、身体を起こして肺に溜った全てを細く長く吐き出した。
そしてスフィアとラミは互いに見つめ合う。
次の瞬間、互いの手は頼もしい音を立てて強く握り締められた。
「交渉成立――ですね」
「ええ。有意義な時間だったわ」
そこには、数多の戦いを共に掻い潜った戦友に対しての清々しさの様なものがあった。
そうしてガルツはラミに引きずられていった。
ガルツが何やら叫んでいたが、スフィアの耳には何も聞こえはしなかった。
◆
時と場所を同じくして、スフィアとラミの話し合いが行われている最中、屋上の物陰にはロクシアンとナザーロが身を潜めていた。
「……友達売ったぞ、あの子」
「……手練れの卸業者みたいな綺麗な取引だったね」
実は昼休み――スフィアとの別れ際に、ロクシアンは一緒にナザーロも連れて来るように言われていた。そして二人が屋上へ来てみれば、スフィアから「物陰に隠れて、何があろうと出てこないように」と指示された。
「お前が出ていこうとした時は焦ったけど――」
「途中からは出て行く気も失せたよ。何だあれ……流れ弾ってレベルじゃないくらい、俺へのダメージ酷くないか?」
ナザーロは立ち上がる気力もないのか、座り込んで膝を抱えていた。
「それで? ……お前はラミ嬢とはどうするつもりなんだ。まんざらじゃなかっただろう?」
ロクシアンが足元で丸くなっているナザーロにその意思を問えば、ナザーロは膝に埋めた頭を左右に振った。
その反応にロクシアンは胸を撫で下ろし、肺に溜まった空気を全て空へ返した。
「っていうか、お前ん家、公爵家でぼっちなんだ?」
「なわけあるか。昨日だってあの男の子の父親――アントーニオ公爵が来てたさ」
――だとすると、全てあの子の嘘か。
ロクシアンはナザーロには悪いと思いつつも、こみ上げる笑いに密かに腹を抱えた。
「先ー輩っ! すみません、長い間隠れてもらって」
陽気な声と共に赤い髪の姫が無邪気な笑顔を覗かせる。
――こんな顔しといて、恐ろしいねぇ。
ロクシアンは、指で足元にうずくまるナザーロを示し、小声で「助かったよ」とスフィアに礼を述べた。スフィアも良かったと大きく頷く。
しかし、彼女の今日の仕事はこれだけでは終わらない。
ナザーロに合わせるように、スフィアも彼の正面で膝を折った。
「ナザーロ先輩。どうでしたか、女性ってものは?」
至極楽しそうに尋ねるスフィアの声に、ナザーロは緩慢な動きで膝から顔を上げた。その顔は、たかだか十分でげっそりと生気を失っていた。
「……ラミ嬢や……君の様な女性とは……二度と関わりたくないものだな」
スフィアは心の中で、拳を高らかに振り上げた。
◆
女性不信に陥ったナザーロの萎んだ背中を見送ると、屋上にはスフィアとロクシアンだけが残った。
「いやぁ、やっぱり君に頼んで良かった!」
「前にも聞きましたけど、どうして先輩はわざわざ私に声を掛けたんですか?」
するとロクシアンは、屋上の下に広がる裏庭を顎で示した。
「僕さ、人の多い所嫌いでさ。時々ここに来て一人で昼食をとるんだよね」
スフィアも彼に倣い、柵の隙間から裏庭を覗いてみる。
そして気付いた。校舎内からは木々が邪魔になって見えない裏庭――落とし穴があった位置――も、ここ屋上からはとても良く見える事を。
「あの時は実にスムーズな誘導だったね」
そう言って楽しそうに笑うロクシアン。
しっかりと見られていたらしい。
しかしスフィアは慌てる事なく、唐突にロクシアンの口に人差し指を立てた。
その指は、秘密を知られた事に焦って取り繕おうとしたものでない事は、彼女の表情が物語っている。
スフィアは真っ直ぐにロクシアンを見つめると顔を近づけ、「内緒ですよ」と囁いた。
「女は秘密がある方が魅力的に見えるでしょう?」
そう言ってスフィアは、昨日の様な蠱惑的な笑みをロクシアンに残して屋上を後にした。
「あーあ……卒業なのが惜しいね……」
残されたロクシアンは柵の麓で腰を落とし、頭をかき混ぜながら笑った。
――――先輩・ナザーロ=イヴァンコフ シナリオ改変完了
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