42 進行する思惑
王都から下った南部に、主家の領地と屋敷はある。
屋敷といっても、地方の豪族程度のものだ。貴族と言い張るには少々寂しい。
数年前から使われるようになったこの屋敷を、自分はあまり好きになれない。
父の代の頃は、まだ主家の領地がここより北東にあり、それなりに栄え屋敷も大きく豪華だったが、ちょっとおいたをして、今はこんな地味な場所に領地替えされてしまった。
「よっ、久しぶりじゃん。会いたくなかったよ」
「あら偶然ね。あたしもよ、ゲス野郎」
軽薄な笑いで迎えた男に、ガンを飛ばす。
ひょろ長い身体の上で、胡散臭い笑みを貼り付けた顔を乗せているこの男のことは、出会った時から嫌いだった。いや、嫌いという感情を持つのすら虫唾が走る。言うなれば本能が拒否しているのだ。生理的に無理というやつかもしれない。
「あたしが出るときくらい、あんたどっか行きなさいよ」
「はあ? なんでオレがお前の言うこと聞かなきゃなんないの。主ならともかく」
「あー出た出た。主、大好き野郎が。気持ち悪いのよ、歪んだ執着見せて」
「はあ! それならお前だって気持ち悪いだろ!? オレは主を幸せにすることしか考えてないけどさあ、お前はスフィアちゃんを自分の人形にしようとしてんじゃん! どっちが歪んでんだよ!」
「あたしのは、それだけ大きな愛なだけですけど!」
「うるさい!!」
男女の言い合いを一喝したのは、第三者の声だった。
「黙れ、馬鹿共が。私からしたらどっちもどっちだ」
声の主は、静かだが凄みを利かせた声を発しつつ、目で男女を威嚇する。
すると、先ほどまで獣のように言い合いをしていた二人は、借りてきた猫のように大人しくなり、それぞれの椅子へと腰を下ろした。
薄暗いこの部屋には、貴族の屋敷とは思えないほど調度品がない。
ここにいる誰もそこに価値を見出していないからか、最低限のものを揃えただけで満足してしまったところがある。おかげで、ベロア張りの椅子を三つといくつかの燭台、それと脇机だけという、至極面白みも生活感もない部屋となっている。
三つの椅子は中央を向くように三角形に置かれており、各々からそれぞれの顔はよく見えた。
「お前らのそれは単なる同族嫌悪だよ。ったく、顔を合わせる度に騒がしくして……自分にむかって唾を吐いてるようなもんだぞ。エノリア、お前はここでは一番の年長者なんだから張り合うな」
「だって主……」
男――エノリアは、頭の上に獣の耳がついていたらシュンと下がっているだろうと思えるほど、あからさまな気落ちを見せる。
「だってじゃない。そして、お前もだ」
主と呼ばれた男は、エノリアの隣で拗ねたように口先を尖らせている女へと、ギロリと視線を移動させる。
「エノリアは動いているぞ。だと言うのに、お前はいったい何をしているんだ」
「分かってるわよ。あたしだって何もしてないわけじゃないわ。何事もタイミングってあるじゃない。今まではそういう時期じゃなかっただけよ」
「へえ? じゃあこれからは役に立ってくれるんだ? 今まではただ学生生活を楽しんでただけだったもんね!」
「平民が気安く貴族様の生活に口挟むんじゃないわよ」
「あぁ!? オレは主のために籍を捨てただけだし、ブスにそこを言われる筋合いはねえんだよ!」
再びエノリアと女が牙を剥きあう。あと一言ずつでも喋れば取っ組みあいでも始めそうな、一触即発具合だ。
「お前らが椅子から尻を離すのと、私の銃がお前らの脳みそをぶちまけるのとでは、どちらが早いか試してみるか? やぶさかじゃないぞ」
そこへ、それ以上やったら殺す、という脅しを主の男が落とせば、二人はまだギリギリと歯がみしつつも、背もたれに身体を預けた。
彼の脅しは脅しではないと、二人はよく知っている。自分たちを含め、そういうことを生業としてきた一族なのだから。
姓も容姿も似通った点はない。
そんな彼らをつなぐものは、二つ。
一つは手首にはめた腕輪。
色こそ違えども、どの腕輪にも同じ文言が彫り込まれている。彫り込まれた文字は古代文字であり、今ではなんと書いてあるのかは分からない。
ただ、一族としての行動指針は全て白い腕輪の当主に委ねられ、他の二人――青色と黄色の腕輪の持ち主達は、彼に従うことが決められている。それが一族内の主従。
「私は、ここでお前達子犬の喧嘩をいつまでも聞く趣味はない。私が聞きたいのは、スフィアのことだけだ」
「主ったら本当、スフィアちゃんにぞっこ~ん」
ひりついた空気も、この軽薄な男にかかれば、あっというまに空気ごと軽薄になる。
まあ、主の怒気よりかは幾分かマシだが。
「本当、あんたって信じらんないわ。本家の為に平民の養子になるんだもの。よく貴族の生活を捨てられたものね。私だったらごめんだわ。木綿のドレスなんて肌が荒れそうだもの」
「でもスフィアちゃんは、木綿のドレスも優雅に着こなしてたって言うじゃん」
「あの子は別格よ。彼女は皮膚一枚からすでに一等のドレスなんだもの。そこら辺の一般人と一緒にしないで。本当彼女を見てると……ぞくぞくしちゃう、ふふっ」
恍惚として頬を染める女を、主の男は瞼を重くして眺めた。
「……どうしてこうも変態ばかりが私の家には集うんだろうな」
「血じゃない?」
「血ね」
「勘弁してほしいもんだ」
先ほど自分で『同族嫌悪』と言っておいて。その同族に自分は含まれていないと思っているのは、いささか傲慢というやつだろう。
三人を繋ぐもののもう一つは、この濃い血である。本来ならとっくに血は薄まり他人といえるはずなのに、流れる本能は皮肉なことに同じなようだ。
エノリアは主の男に。主の男と自分はスフィアに。
この強い執着心こそが一族の血の証。
「さて、では話してもらおうか。一番スフィアに近いお前から……」
向けられた、男の赤い瞳が燭台の明かりに煌めいた。
「なあ、リシュリー」
女――リシュリーは珊瑚色の唇に大きな弧を描いた。
【了】
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幕間を挟んで、五章開始となります。またよろしくお願いいたします。




