41 錯綜
分かってはいたことだが、夏休みに入るとアルティナと会うことがめっきりと減った。
最低でも二日に一度は会えていたのに、それが全くのゼロとなるとやはり寂しいものがある。
「そんなに気になるのなら、お手紙を出して会いに行かれたらいかがです?」
「それが一度は出したんですが……お返事が来なくて」
アルティナに手紙を出して、返ってこなかったことなど多々ある。しかし、その時はどれも愛をしたためただけの手紙であって、返信を要としたものではなかった。
だが今回は、はっきりと『行ってもいいですか?』と様子伺いをしているのに返信が来ないのだ。こんなこと初めてだ。
「もしかして、お姉様に嫌われたとか……!?」
ハッとして顔を青くするスフィアの肩に、マミアリアの手がポンと置かれる。
「まあまあ。もしかしたらお忙しくされて、返信を忘れてしまっているだけかもしれませんし、もう一度出してみてはいかがです?」
一度、返信を無視される辛さを味わった身としては、二度目はいささか勇気がいるのだが。マミアリアは根拠のない大丈夫を連発してくる。
「……自分が、このあいだのデートで上手くいったからって……」
「あ、あははふふ。お先に失礼します、お嬢様~」
マミアリアは、うふふと言いながら下がっていった。
「まったく……」
しかし、もしかすると本当にただの返信忘れや、何らかの事故で手紙が届いていないのかもしれない。
「そうね。もう一度だけ出してみましょうか」
スフィアは、勇気を出して再びアルティナに手紙をしたためた。
◆
スフィアは目の前に出された紅茶を、まだ一度も口にしていなかった。
紅茶に入れられた氷の半分は溶け、グラスの肌は溶けた氷が滲んだように汗をかいている。
夏の陽射しが眩しい中。彼女が大切に手入れしている薔薇園の片隅にもうけられたガゼボで、スフィアとアルティナはいつものように茶を嗜んでいた。
しかし、二人の間にある空気だけは『いつものように』とは言えない。
「あの……お姉様……もしかしてご迷惑だったでしょうか」
アルティナは、一瞬チラとスフィアに瞳を向けただけで、また手元の紅茶へと視線を落とす。
「そんことはないけれど……」
『けれど』、何かはある――そういった雰囲気だ。しかし、怒っているとも不機嫌とも違うこのような感じは初めてだ。
二度目の手紙には返事が来た。訪ねて良いかという手紙に対し、彼女は構わないと返事をくれたのだ。だから、自分を拒絶しているとはないのだが。
――それに、拒絶だとしても、そうされる理由が思いつかないのよね。
夏休み前までは、良好とも言える関係だった。
スフィアは、グラスに添えられたアルティナの手に自らの手を重ねる。
「お姉様、何でもないという嘘は私には通用しません。私がどれだけお姉様のことを見てきたと思っているのですか……何か……私はお姉様のお心を陰らせることをしてしまったのでしょうか」
「……スフィア」
やっと、アルティナのサファイアブルーの瞳が、スフィアをしっかりと捉える。ただ、眉宇にはやはりまだ微かながら陰りが見える。
真っ赤な口紅が引かれた唇が、薄く開いては躊躇うように閉じてを、幾度か繰り返す。しかし、スフィアは急かすようなことをせず、ただ手を握ってアルティナの声が出るのを待つ。
そうして、カラン、とグラスの中で氷が軽やかな音を奏でたのを合図のようにして、彼女の口が音を伴って開いた。
「あのね……フェイツ侯爵家の令息を知っているかしら……」
「フェイツ……?」
スフィアは記憶を巡らせる。
攻略キャラ辞典を高速で捲る。ない。
貴幼院時代のクラスメイト達の姓を思い出す。ない。
舞踏会などで挨拶を交わした貴族達を思い返す。ない。
――直接は関わったことがない人ってことかしら?
では、アルティナはなぜ自分にそんなことを聞いてくるのか。少なくともアルティナには関係している人物ということだろう。
――アルティナお姉様に関係すると言えば……。
そこで、スフィアは比較的新しい記憶の中から、『フェイツ』という響きを見つけた。
「あっ! もしかして、お姉様が文のやりとりをしてらした……」
そうだ。アルティナとグレイと王都でお茶をしたときに、確か彼女はそんな響きの名の男と文通していると言っていたはずだ。満更ではない様子で、アルティナがそのフェイツ侯爵令息に想いを寄せているのは一目瞭然だった。
「ねえ、スフィアは彼と会ったことはある?」
「いいえ、お姿も知りませんが」
「本当? 声を掛けられたことも?」
「はい。お手紙をいただいたこともありませんし、家でも聞いたことはありませんので、恐らくレイランド家と何か繋がりがあるということもないと思います。お姉様が以前仰っていたから、どうにか思い出せただけで……その令息の方のお名前も存じ上げませんし」
「そう……そうよね」
はっきりとした声音で言えば、アルティナは安堵したように、ほっと胸をなで下ろしていた。
「やだ、私ったら……ちょっと悲しいことがあって、ナイーブになっていたみたい。ごめんなさいね、スフィア」
「いえ、お姉様が大丈夫なのであれば良かったです」
いつものアルティナらしい雰囲気に戻り、スフィアもひとまずは息を吐いた。
――悲しいことってのが気になるけど……。
しかし、彼女が聞いてくれと言わない限り、こちらからその話題を尋ねないほうが良いだろう。誰しも悲しいことを二度は思い出したくないはずだ。
「お姉様が笑っていてくださるなら、私はそれで満足ですよ」
やっと胸のつかえも下り、出された紅茶を飲む余裕をもできた。
氷の大半が溶け、かなり薄くはなっていたが、彼女とこうして和やかな空気の中で雑談できる喜びがあれば、味などどうでもいい。
「まったく……あなたのその謎の好意ってどこから来るのかしらね」
「お姉様ったら、いっつもそこを気になさいますけど、好きだから好きなんですよ」
――あなたは私の憧れだったんですから……昔から。
「なんだかほだされた感じがあるのよねぇ」
「ほだされてくれてありがとうございますね、お姉様」
「まあっ」
視線を交わし、二人でクスクスと微笑みあう。
デビュタントまであと三年。これからも、もっと関係を深めていければ、断罪など起きないかもしれない。
――っていうか、今のこの状況でも起きようがないんだけど。
どうやってこのアルティナが、『ブススフィア!』などと叫んで、階段から落としたり意地悪をしたりするのだろうか。想像もできないのだが。
「そういえば、お姉様のデビュタントはもう来年ですね」
「そうね。早い子はもうドレスの仕立てを予約したって言っていたし、私もこの休みで仕立ててもらいにいくの」
「それは見たいです! お姉様の社交界デビュー姿! あ、式典が終わった後の夕方からは、デビュタント家以外の一般貴族も参加できるんですよね!?」
「ええ、いつもの舞踏会みたいになると思うけど」
「絶対に行きますから!! 待っていてくださいね!!!」
「圧が凄いのよ」
テーブルに乗るようにして顔をズズイッと近づけたスフィアを、アルティナの手がパシッと止める。たちまち、しゅんと眉を下げるスフィア。
「おねぇざまの~いげずぅ~」
このつれなさがアルティナの魅力でもあるのだが、そろそろ一度で良いから受け入れてほしいとも思う。
すると、苦笑していたアルティナが、「でも……」と間を置いて言葉を続ける。
「スフィアもお祝いしに来てくれるのなら、嬉しいわ」
「~~~~っお! っ姉様……それは反則ですってぇ……」
血色の良くなった顔で照れくさそうに笑うアルティナは、最高に可愛かった。
この笑顔を絶対に曇らせてなるものかと思う。
――お姉様を悲しませる者は、何人たりとも許さないわ。
再度、そう強く心に誓ったスフィアであった。
◆
スフィアが帰った後、ガゼボの片付けをしにいくエノリアを見つけ、アルティナは呼び止める。
「エノリア、やっぱりスフィアは関係なかったわよ。あなたが聞いた噂話はデマだったようね」
「左様ですか。以前王都に行ったとき『フェイツ侯爵家ご令息は、レイランド家のご令嬢と良い関係になっている』と、他の貴族の方が話しているのを聞いたものですから……差し出がましいとは思いましたが、もしお嬢様がスフィア様に裏切られていたと後で知るよりかはと……」
「その忠誠心はありがたいけれど、貴族の噂なんて尾ひれがつくものだから、あまり鵜呑みにしては駄目よ。でないと、今度はあなたが罰せられてしまうわ。それに、あの子がそんなことするはずないもの」
「そうですね、失礼いたしました。ご心配ありがとうございます、お嬢様」
「彼とはご縁がなかっただけ。それだけよ」
「お嬢様でしたら、きっとまた良い殿方とご縁がありますよ」
アルティナは、ふっと笑んだだけで、自室へと戻っていった。




