35 スフィアが歩けば……
マミアリアを追っていた三人の隣に、突然しつらえの良い馬車が止まった。
まるで王族が乗るような華美な装飾がされた馬車は、スフィア達には見慣れたものであったが、ここ王都外周部の平民の街では珍しい。
突如、隣で上がった馬のいななきに驚いて三人が足を止めれば、中から下りてきたのは立派な格好をした青年だ。
逞しい褐色の身体には、白のトーブが映え、左肩から斜めに掛けられたえんじ色のドレープには、金刺繍で絢爛豪華に彩られている。どこからどう見ても、平民の街に相応しいものではないし、恐らくレイドラグ王国の者でもない。
物珍しそうに、大通りを行く者達は皆彼に目を奪われており、彼が辺りへ勝ち気な笑みを返せば、衆人は老若男女問わず彼の色気に赤面した。
対して、スフィアは、ああ、と頭を押さえている。
そんな彼女の前で、男は膝を折り言った。
「あなたこそ、俺が探し求めていた運命の番だ」
――ん゛ん゛っ! 石油王パターン!!
石油王パターンとは、現代恋愛創作物で見られるパターンの一種である。
いきなり目の前に現れたアラビアンチックな大金持ちが、主人公に一目惚れして「気に入った。国へ連れ帰って妻にする」と、迫ってくるお決まりのアレである。問題など、全て石油でジャボジャボと稼いだ金で片付けていく、力業の溺愛だ。
まさか、自分の身に石油王が降りかかってこようとは。
――ちょっと!? 出て来るゲームを間違えてんじゃ……いや、これ乙女ゲーだったわ。
そうだ。自分はまごうことなきヒロインで、あんなイケメンやこんなイケメンから好意を浴びるほどに寄せられる存在。一目惚れされることなど、日常茶飯事である。しかも攻略対象が百人もいる、ボリューミーなやつだ。
「犬も歩けばなんとやらだな」
ぼそりと引きつった顔でガルツが呟くが、まさにその通りである。好意を持った者とのエンカウント率が異常なのである。
「とても美しい赤髪と、それに決して負けない類い稀な美貌は、馬車の中からでもすぐに目を惹いたよ。どうか俺の伴侶になってくれないか」
スフィアが頭を抑えたまま黙っているのにも構わず、男は口説くどころかプロポーズまで口にする。
スフィアは、チラとマミアリアが消えた方へと視線を向けた。
目の前の男を振り切って後を追うか。それとも――。
スフィアは目の前で膝をついている、自分より低くなった男を無感情に見下ろす。
「俺の名は、アーディン=イライハンだ」
――ああ……やっぱり……。
攻略キャラだ。
◆
南接国のフラウ王国。そこで巨大な商会を取り仕切っているのが、アーディン=イライハンである。彼は幼少の頃より商才の片鱗を見せ始め、スフィアと同じ歳には、小さいながらも自らの商会を立ち上げていたという。
彼には、相手が求めるものが分かったらしい。その奇妙な特技によって、一代でフラウ王国屈指の商会へと成り上がり、貴族ではないものの、今やその権力は貴族にも劣らない。
「今回は、レイドラグでの買い付けに来たところだったんだが、ついていたな。こんな、ルビーすらも霞むような宝石を、見つけることができたんだから」
アーディンは、向かいで静かに大通りを見つめるスフィアに秋波を送る。
二人は、大通りに面した喫茶店のテラス席にいた。
さすがに路上で話し込むわけにも、スフィアが馬車に乗るわけもなく、とりあえずどこか落ち着ける場所に移動した。一緒にいたガルツとブリックには、スフィアが少々話をして離れてもらっている。
スフィアは、マミアリアの後を追うことをやめ、アーディンをとった。
「スフィア、何か食べるか? あなたの好きなものは何か教えてくれ。好きなものだけでなく、嫌いなものでも、お気に入りに場所や店でもいい。少しでもあなたのことが知りたいんだ」
熱心に口説くアーディンだが、スフィアはうんともすんとも言わず、先ほどと同じように大通りをゆく人々を淡々と眺めているだけ。
スフィアは、名乗ってから一度もアーディンとまともに会話をしていなかった。
いつもは外面の良く、相手には笑みを絶やさず丁寧な対応をするスフィアだが、今回ばかりはまるで凍てついた薔薇のように、アーディンへは一切の親しみをみせていない。
春の舞踏会でスフィアを馬鹿にしたカラント=デュラスにさえ、令嬢としての仮面を被って接していたというのに。
時折、注文した紅茶に口を付けるだけで、喋ろうとも、視線を向けようともしない。
これには、声を掛けたアーディンも頭を悩ませる。
「なあ、悪かったよ。友人といた時間を奪ってしまって。だが、俺はレイドラグ王国に長く滞在できる時間がない。こうして多少強引にでも、あなたと話したかったんだ」
分かってくれよ、とテーブルに上半身を被せ、スフィアへと顔を近づける。
顔が良くて、巨大商会の頭であるアーディンは当然モテる。フラウ王国でも、よその国でも数多の女性の視線を浴びてきた身だ。貴族と違って身分の壁もないため、平民からも、また商会の利権を狙った貴族からも、縁談話をいくつも持ちかけられる。
だからこそ、スフィアの反応には納得がいかなかった。
「スフィア、どうしたら君の笑顔が見られるんだ。俺は、君がさっき友人達に見せていた顔を向けてほしいんだ」
懇願めいたセリフにですら、スフィアちっとも反応を見せない。女性の機嫌の取り方など一切分からないアーディンは、すっかり閉口してしまう。
仕方ないのか、とついに諦めて、アーディンが店員に金を払おうと懐に手を入れたとき、チャリンと涼しげな音を立てて、懐から落ちたお金が一枚、地面へと転がった。
「……ふっ」
拾おうと手を伸ばしたアーディンは、耳を疑った。
スフィアがはじめて、小さな笑みを漏らしていたのだ。
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