33 のんびり~とはいきません
「カドーレ……? どうかしましたか」
彼は瞬きを思い出したかのように、パチパチと瞬きを数回繰り返すと、いつもの平板な調子へと戻る。
「あ、いえ。見慣れない女性と一緒にいるので、驚いてしまいました」
カドーレの視線は、スフィアの隣にいるベレッタに向けられていた。
スフィアが視線を追ってベレッタを見上げると、今度はベレッタの様子がおかしかった。まるで先ほどまでのカドーレと同じように、動きを止め目を丸くしている。
カドーレの時と同じように呼びかけると、やはり同じようにハッとして我に返っていた。
「あ、いや、ごめんね。知り合いにちょっと……似てて。はじめまして……ベレッタよ」
「はじめ……まして……カドーレです」
自己紹介を終えたというのに、まだぎこちなさが二人の間にはあった。二人とも人見知りをするタイプだっただろうか。特にベレッタなど「やあ、姫のお友達かい! よろしくね」と肩くらい叩いてそうなのに。
――まあ、確かに。ガルツやブリックと比べたら、カドーレは真面目な印象があるし、そういうのを受け入れられなさそうだもののね。
などとひとりで納得していると、カドーレは手にした袋を抱えなおし、くるりとスフィア達に背を向けた。
「すみません。リシュリーに頼まれた買い物が残っているので、僕はここで」
学外でも、リシュリーとカドーレの関係性は変わらないらしい。
「また学院で」と、遠ざかっていくカドーレを手を振って見送ったスフィアと、彼の背中が見えなくなるまで静かに見送るベレッタであった。
◆
翌日、学院のロッカー前で授業の準備をしていると、カドーレがやって来た。
昨日ぶり、などと言った挨拶を交わすも、やはり昨日と同じくどこか、彼の様子がおかしい。辺りを窺うように視線をキョロキョロとさせ、いつもより近い距離で話しかけてきた。
「スフィア、すみませんが、あの女性の連絡先など知っていますか?」
「あの……ああ、ベレッタ姐さんですか。知ってますが、どうしてです?」
すると、カドーレは少し面映ゆそうに頬を掻きながら、目を伏せる。
「あの……綺麗な女性だなと思いまして……手紙などを……」
「まあっ! お年頃!」
「どんな感想なんですか、それ……」
――あら? でもカドーレってリシュリーのことが好きじゃなかったかしら?
しかし、彼自身がはっきりと好きだと言ったわけではないし、もしかしたら勘違いだったのかもしれない。
「ベレッタ姐さんですが、今は私の家にいるんですが、近々王都に引っ越しますので、新しい住所を聞いて後日お教えしますね。その際、姐さんにカドーレのことを伝えても?」
「ええ、伝えてもらっても大丈夫ですが……今、スフィアの家にいるんですか?」
「ええ、家捜しのために一昨日から。本当はもう少しいてほしかったのですが、思ったよりも早く家が見つかりましたので。今日も必要な荷物を揃えているでしょうし、数日したら引っ越すと言っていましたよ」
カドーレは「王都」とぼそりと呟くと、そのまま思案するように腕を組んでしまった。しかし、スフィアが声を掛けるよりも早く、カドーレは思考を終える。
「そうなんですね。では彼女の了解がもらえたら、そちらの住所を教えてください」
「もう春は過ぎたというのに、こんな近くに春が来るだなんて。カドーレも隅に置けませんねえ」
「揶揄うのはやめてくださいよ」
「うふふ、他人の春ほど楽しいことはないですからね。でも、カドーレったら……姐さんのような、グラマラスなお姉様系が好きだったんですねえ。なるほどなるほどぉ」
「そのニヤけた顔、やめてください」
意外だが、アリな気もする。
いつも端然としていて、貴幼院の生徒会時代も、ひっそりと裏から物事を支えるという感じだったカドーレ。同じ歳にしてははしゃいだところもなく、リシュリーの執事のような役割も担っているおかげで、他よりも大人びて見える。
そんな彼が、より大人の女性を求めるのも分かる気がする。
「リシュリーには秘密にしておきますね」
こそっと耳打ちすれば、「それは助かります」とカドーレは、満更でもない様子だった。
◆
ベレッタの引っ越しを終え、カドーレへ彼女の連絡先も渡し終え、再びレイランド家にのほほんとした日常が戻ってきた。
ベレッタがいたのはほんの数日だったが、彼女はあっという間にレイランド家の者達と仲良くなっていた。学院から帰ってきたら、レミシーとお茶をしているのなんて毎度のことで、時にはマミアリアと何やらコソコソと裏庭に出て行ったり、ジークハルトやローレイとも晩酌を共にしていたりもした。
恐るべし、限界突破陽の者。
『何かあったら、あたしかお兄さんに遠慮なく頼りな』
と、彼女は去り際に言ってきた。なぜ兄にまで言及するのかと不思議に思ったが。
『随分とイイ男だからさ』
とウインクを添えて言われれば、もしやとの疑念が生まれる。
『……兄様も立派な殿方だったんですね』
『何かは分からないが、とんでもなく遺憾な勘違いをされているような気がするよ、スウィーティ』
『夜な夜な晩酌は楽しかったでしょうとも』
『あらぬ疑いを掛けられている気がするんだ、スウィーティ』
彼も二十五歳と良い年だし、そこは大人同士に任せるとしよう、とスフィアはひとり納得した。
万が一、ベレッタならば義姉になってくれても大歓迎である。
『兄様、教会式と人前式どちらがいいですかね?』
『スウィーティ?』
兄から解放される日も近いのかもしれない。
さて、確かにのほほんとした日常がレイランド家には戻ってきたのだが、あるひとりの者にとっては、とてものほほんとできるような状況ではなかった。
「たっ! たたたたた大変です、お嬢様!」
高速でノックを繰り返し、入室の言葉からコンマ秒で入ってきた侍女――マミアリアは、顔を真っ赤にしてスフィアに抱きついた。
「どうしたんですか、そんなに慌てて!?」
「どどどどどうしましょう!」
ひしっ、としがみつくマミアリアを離し、落ち着けと肩を撫でる。彼女の震える両手には、真っ白な封筒が握られている。
「デ……」
「で?」
「デートに誘われてしまいましたあ!」
「まあっ!」
どうやら、どこもかしこも春を忘れられないようだ。
◆
「――で、なんで俺達まで召喚されてんだよ?」
「まあ、こんなことだろうと思ったけどさ……僕たちそんなに暇じゃないんだよ」
盛夏を迎えた清々しい王都の街の陰で、男二人は赤髪の少女を目の前にして、深い深いため息を吐いていた。




