32 家捜ししましょう!
「これはこれはご子息様」
裾を広げ膝を軽く折るベレッタに、ジークハルトは苦笑を向ける。
「ジークハルトで良いですよ、ベレッタ嬢。口調も普段通りで……あなたの方が年上ですし」
「どうしてレディの歳を知っているか聞くのはヤボかい?」
一歩一歩と階段を下りてくるジークハルトの足音が、ホールに響き渡る。
「あなたにはパンサスでも、セヴィオでも妹が随分とお世話になったようで」
「そういえば侯爵様もそうだったけど、セヴィオの件もご存知で?」
「スフィアは、信頼できる大人と一緒としか言いませんでしたが、付き添った者からあなたのことは聞き及んでいましたからね。感謝いたします。おかげで穏便に噂も収まったようですし」
確かスフィアからは、セヴィオに来るに当たって、家族には学友との卒業旅行で遊びに行ってくるとしか言わなかったと聞いたが。
「なるほど、さすがは姫のご家族なだけはある。全て知っていたわけね」
ジークハルトは意味深な浅い笑みを浮かべた。
最後の階段を下りきったジークハルトは、ベレッタから二歩の距離を空けて歩みを止める。
ベレッタの知っている貴族には二種類がある。
ロクシアンのように、せいぜい悪いことと言っても女遊びや酒くらいの貴族の範囲を逸脱しない貴族。そして、自分の欲望こそが至上だと、他者への被害など気にも留めない暗闇に乗じる貴族。それこそ人死にすら厭わない者達だ。
しかし、今この目の前にいる毛色の良いサラブレッドは、どちらにも当てはまらないように思えた。普通に考えれば前者であるはずなのだが、僅かに後者の匂いも纏っている。北方守護家故だからだろうか。
しかし、兄妹であるスフィアからは後者の匂いは感じられない。ということは、彼のこの他者を退けさせるような雰囲気は、天性のものなのかも知れない。
「それで、ベレッタ嬢。王都での家捜しと伺いましたが、王都へはどのような理由で?」
どのような、と掌を上向きにして差し出された手に、思わずベレッタは僅かに踵を後退させた。
「ああ、そのように警戒なさらないで。安心してください、あなたのことは『大丈夫』と判断しましたので」
「不思議なことに、銃を持った男達から逃げ出せたときよりほっとしているよ」
ベレッタはようやく身体から緊張を抜き、退がりかけていた足を元の位置に戻す。
「それは良かった。それで、色々と何かお手伝いできるかもしれませんし、王都で宿ではなく家を探す理由を聞いても?」
ベレッタは逡巡を見せつつも、大きく妖艶な口をゆっくりと開いた。
「あたしは、ある一族の動向をずっと追っているんだけど……」
「ある一族?」とジークハルトが首を傾げるも、ベレッタは答えずに話を続ける。
「後ろ暗いことばかりやってきた一族さ。別にそいつらが何をしようと、あたしには関係ない。だが、それであの子が外れた道を歩かされるのなら、絶対に守ると誓ったんだよ」
全てが抽象的でベレッタにしか分からない話し方だったが、ジークハルトは問うことをやめ、静かに聞き入る。
「今までは何もなかった。いや、何もないわけじゃないんだろうが、少なくともあの子には何もなかった。だが、どうやら一族ではいつの間にか世代交代していたようでね。気付いたときには、上手く姿を眩ませたあとだった」
無意識にベレッタの右手は左腕を抱き締めていた。
「新たな一族頭が、ある少女に並々ならぬ思いを抱いていて、そこにあの子が巻き込まれそうなんだよ。一族を見張れなくなった今、より近い場所で見守る必要が出てきたんだ。二人を守るためにも」
「……その二人とは」
「ひとりはあたしの弟で、もう一人は……」
ベレッタの猫のような金色の目が、ジークハルトの瞳を射抜く。
「姫だよ」
ジークハルトの顔色が変わった。
たちまち暗闇の匂いが濃くなり、ベレッタは彼がなぜ不思議な匂いを纏っているのか理解する。
「ベレッタ嬢……どうか、その命知らずの名を教えてくださいますか?」
笑みを湛える表情は変わりないが、皮の下では血液が煮えたぎっているのだろう。
「単独じゃない。奴等は遠い遠い昔から一族で今もそうだが、奴等がそうだと知る者は恐らくいない。でも、きっと主家の名前なら聞いたことがあるかもね。一族の名前は――」
ベレッタの口から出てきた名前に、ジークハルトは「なるほど」と口端をひくつかせた。
◆
翌日、家探しのために王都を訪ねたスフィアとベレッタ。
色々と探し回ってようやく、ちょうど良い家を見つけた。
「いやあ、助かったよ姫、ありがとう。あたしひとりじゃ、諦めてたことろだよ」
「私は何も。でも、我が家がお役に立てたのなら良かったです」
「本当、レイランド家には足向けて寝られないね」
あっさりと探せたように見えるが、実は本当に苦労した末だった。
まず、宿屋と違って、貸借できる家というのが王都では本当に少ない。あっても大抵は先住人がいる。
「地方だとここまで苦労しないんだがねえ。やっぱり王都は高いし人気もあるねえ」
王都は中央部とその外周部で、生活圏が異なる。
中央部には貴族の邸宅や別荘、貴族御用達の店店が並び、聞こえてくる声も淑やかなものが多い。ここだと、まず貸家というのがほぼない。あっても、貴族向けのどでかい屋敷一軒売りなどだ。とうてい、平民が手出しできるようなものではない。
では、外周部の平民や商人達が住まう地区はというと。
中央部に比べて実に活気溢れ、道の両側には市の店が軒を連ねる。王都は王都でも平民の街であり、家賃も当然中央部からは遙かに下がる。充分にベレッタの予算でも手が届きそうな貸家も出て来るのだが、問題は『保証人』が必要だったと言うこと。
ベレッタが言うには、今までの地方では保証人など必要なく、どうやら王都ならではの規則のようだ。やはり、王都ということもあり、誰でも彼でも住めるというわけではないのだろう。
「兄様から保証人承諾書を持たされていて良かったです」
「いや、本当助かったよ。それでも、まあ……苦労はしたがね」
家を出る際、ジークハルトに紙を一枚持たされた。必要だろうからと。その時は気にも留めなかったが、保証人が必要と知り「まさか」と紙を見たら、保証人承諾書だった。
これで家が借りられる、と喜んだのも束の間、今度は『レイランド侯爵家』が保証人になるだなんて怪しい、偽物だと騒ぎになったのだ。
『貴族様の名を使うだなんてふてぇ野郎だ!』と言われたのは、記憶に新しい。
「まあ、あたしみたいな商売女に、北方守護様が保証人につくなんて普通あやしいわさ。貴族の家紋印なんて、平民が見分け付くものじゃないし」
「まさか、家紋印より私のこの髪色の方が有効だとは」
結果、騒ぎで集まってきた中に、『レイランド侯爵家には赤髪の令嬢がいる』というのを知っていた者が居たため、承諾書は本物と認められ無事に家を借りることができたのだ。
二人は広場の噴水に腰掛け、ふうと疲れた溜息を吐いた。
「さて、家捜しも終わったし、すこしうろついてから帰ろうか」
「そうですね。こういった市場での食べ歩きって大好きです」
「おやおや、食いしん坊なお姫様だね」
やはり貴族御用達のスイーツ店もいいが、こうして市場で色々なものをつまみ歩くのも楽しい。
――そうだ、今度アルティナお姉様を連れてこようかしら。
きっと、「えぇ……手で食べるの?」とか引きつった顔をしそうだ。見てみたい。
「あれ、スフィア?」
そんな妄想を滾らせていると、不意によく知った声で名を呼ばれた。
「ふぁい?」と、今し方買ったラスベリータルトを咀嚼しながら振り向けば、眼鏡を掛けた少年が立っていた。
「あら、カドーレ。こんにちは」
カドーレの眼鏡の奥に見える目は、かつてないほどに見開かれていた。
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