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【書籍化】ごめんあそばせ、殿方様!~100人のイケメンとのフラグはすべて折らせていただきます~  作者: 巻村 螢
第四章 推しとハッピースクールライフ!

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29 まさか、見えるんですか……

「申し遅れました。僕はトニア=ヘルセンと言います」



 ――せっかくお姉様が気持ちよくノロケてくださってるのに! 嫉妬で悪役令嬢化したらどうしてくれるのよ!!


 彼女の場合、元のゲームストーリーでは『好きな人を奪われて悪役令嬢化』という流れであり、少しの嫉妬も油断ならない。だから彼女の前では、決してモテを見せないようにしてきた。そのための先回り除草作戦である。

 それを、よりにもよってアルティナの前でよくも。分かっているのか、世が世ならば死んでいたところだ。ここが江戸時代ならば、切り捨て御免で刀を振るっていた自信がある。


 ――江戸時代じゃなくて命拾いしたわね、この、不埒者!


 まず江戸時代にアルティナはいない、という細かい点については無視するものとする。気持ちの問題である。

 スフィアは閉じた瞼を片方だけ薄ら開くと、テーブルの隣で跪いている男を、細やかに観察した。

 見たところ、自分の名前も知らないし、グレイやアルティナにも気付いていないと言うことは、社交界に出るような貴族ではないのだろう。


 ――ふぅん……大方、どこかのボンボンってところかしら。


 次にスフィアは、隣のアルティナと向かいにグレイの様子を窺う。

 アルティナは、特に大したこともないように、ケーキを口に運んでいる。自分のことでないなら、口出ししないというスタンスなのだろう。あーんしてほしい。

 グレイは、手に持ったカップを円を描くように揺らし続けているが、その水面を見つめる笑みは薄ら寒い。

 二人とも下手なことはできないのだ。

 王子と大公家令嬢。周囲には令嬢や婦人達の視線がある。

 トニア=ヘルセン――攻略キャラ辞典を捲っても出てこない。つまり、世界の強制力は大して強くない。


 ――だったら、私は……。



「お姉様ぁ、私のケーキもどうぞ一口お召し上がりくださぁい」

「へ? ス、スフィア?」

「ほら、あーんしてくださいませ。そしてお返しに私にあーん仕返してください!」


 アルティナは、スフィアの行動にきょとんと目を瞬かせている。アルティナだけではない。グレイもカップを揺らす手が止まり、花を手にした男も目を丸くしていた。


「どうされました、お姉様? ほら、あーんですよ」

「どうしたって、あなた……せめて何かしらの返事は――」

「え? 返事ってなんのことです?」


 訝しげに眉を顰め、分からないと首を傾げたスフィアに、アルティナも首を傾げる。


「グレイ様、何か私に話しかけましたか?」

「え、いや……俺は何も……」


 スフィアの不思議な態度に、グレイもアルティナ動揺に困惑の表情を浮かべる。二人の視線はチラチラとスフィアが背を向けている男――トニアに向けられていた。

 当のトニアも状況が分からないと、花を差し出したままの体勢で固まっている。


「あの、赤髪のお嬢様……」

「はいお姉様っ、あーんですよ。その美しい口を大きく開けてくださいね~」


 トニアが再度話しかけようとするも、スフィアはケーキをアルティナに差し出すばかり。あまりの状況に、アルティナも思わず言われるがまま口を開けて、ケーキを受け入れてしまう。


「スフィア……その……聞こえてるよな?」


 無視し続けるスフィアにグレイが戸惑いながら声を掛けるも、やはりスフィアは首を捻るばかり。


「先ほどからお二人ともどうされたんですか? 急にソワソワされて」

「いや、俺から言うのもなんだが、君へアプローチしている男に気付いているよな?」

「はい? アプローチしている男……グレイ様のことですか?」


 グレイとアルティナは互いに目配せをする。

『これはスフィアがおかしくなったのか、それとも自分たちのほうがおかしくなってしまったのか』と。

 二人がそう思うのも無理はない。


 スフィアの態度は、男の存在そのものを認識していないかのような振る舞いだった。わざとらしく言葉を遮ったり、視線を無視をしているわけではない。ごくごく当たり前に三人の会話を楽しみ、店員を探すときも男の存在を視界に入れているのに、瞳が一瞬たりとも揺らぐことなく素通りするのだ。

 次第に、膝を折っていた男も焦り始めたのか、乱暴にテーブルに手をついた。

 ガシャンッと食器が煩く揺れる。


「きゃっ!」


 さすがにこれにはスフィアも気付いた。安堵の空気がグレイとアルティナ、そしてトニアの間に流れる。

 しかし、それも一瞬。


「お、お姉様……っ、今、勝手に食器が動きましたわ……っ」


 身体を震わせ、アルティナの肩にしがみつくスフィアの顔は蒼白だ。


「勝手ってあなた……だって、今そこの殿方が……」

「先ほどからお姉様もグレイ様も、いったい何なんです!? まるで私達以外に誰かそこにいるみたいに仰って」


「え」と、スフィア以外の三人は息を呑んだ。


「ふ、二人とも変な顔をなさって……まさかお二人とも、ナニカ見えてらっしゃるんですか……?」


 身をすぼませ、震え声でアルティナとグレイの間で、視線を右往左往させるスフィア。その様子は二人から見れば、とても嘘を吐いているように見えない。

『ナニカ』という言い方に、グレイとアルティナの背筋に冷たいものが伝い落ちる。


「もしかして……『トーラ公の亡霊』が……!? そんな……っ私、てっきり噂話だと」

「ト、トーラ公の亡霊って、な、何かしら」


 声を裏返らせつつも、アルティナが平静を装って尋ねれば、スフィアは戸惑いながら口を開いた。


「その昔、南方にトーラ公という殿方がいらっしゃったらしいんです」



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