28 世界なんか滅んでしまえ
「おっねえっさま~! 今日はとってもお天気の良いデート日和ですね!」
馬車の中。アルティナは左腕に巻き付いて隣に座るタコ――否、スフィアを一瞥して、対面にいる犯人に冷めた視線を送った。
「グレイ様?」
「おっと、名前を呼ばれただけなのに、アルティナの心がヒシヒシと伝わってくるよ」
心の声だからか、『どういうことか説明しやがれ』との、アルティナなら決して口にしない暴言が、グレイの脳内にはしっかりと届いていた。
「まったく……いつもグレイ様は私をダシにされて……」
「あ、違います違います、お姉様。お姉様がダシではなく、グレイ様がダシなんです」
「グレイ様……」
「おっと、アルティナの憐れみがヒシヒシと伝わってくるぞ」
ははは、と笑っているがグレイの目尻には涙が浮いている。
かれこれ五年以上の片想いらしいのだが、出会った頃とまったく進展のない関係性にアルティナの方が同情を覚えてしまう。
「スフィアも、あまりグレイ様を揶揄うのはよしなさいな。このままではグレイ様の婚期が逃げていってしまうわ」
「まだあと十年は余裕があるから大丈夫さ。それになんたって俺は王子様だからね」
いけしゃあしゃあと最強のカードを見せびらかしているこの男は、精神の太さが他人の三倍はあるのだろう。いとこながらに驚くばかりだ。
「大丈夫ですよ、お姉様。こんな調子の王子様、元々もらい手がありそうもありませんから。もしくはお姉様が、がっぷり四つにくっついてしまわれれば良いかと」
「残念ながら、私にはお慕いしている殿方がいますから。ごめんなさいね、グレイ様」
「え、俺振られた? というか、スフィアの俺に対する評価厳しくないか?」
残念ながら、その評価に関しては擁護できない。
すると、クイッと左袖を引かれる。
「あの……お姉様……私、来ても良かったんですか……やっぱり……」
「あなた……」
先ほどまでの自信はどこへ行ったのか。別人かと思うほどの気落ちを見せるスフィア。
いつもはこちらが断ってもグイグイ来るというのに、時折こうして捨てられた子犬みたいに不安を見せてくる。
こういう姿を見ると、彼女が好き勝手に好意を押しつけているだけとは思えなくなるのだ。まるで日頃の彼女の行動が、彼女自身のためではなく、自分のためのようにも思えてしまう。
アルティナはコホンと咳払いをする。
「ま、まあ、スイーツに罪はありませんし。い、一緒に食べて差し上げてもよろしくてよ」
「これだからお姉様大好きです! チョロ――あ、いえ、とてもお可愛らしい!」
子犬がエリマキトカゲに進化した。
「ゲホッ! おやめなさい、苦しい!」
「だって私、本当にお姉様と一緒にデートがしたかったんです! それに以前、お姉様は体調が良くなったら一緒に街へ行こうと、誘ってくださったじゃないですか」
「うっ……そういえば……」
「まさか、ウェスターリ大公家ご令嬢ともあろうお姉様が、お約束を破る……なぁんてことはなさいませんよね?」
「が、学院で毎日会ってるじゃない……」
「アレはアレ。コレはコレです、お姉様。それに制服姿でないお姉様と一緒にこうして、二人きりで街を歩くのが夢だったんです!」
「三人三人。俺もいるからな?」
そうこうしているうちに、馬車は目的の店の前で車輪を止めた。
◆
店が、城下町の中でも貴族が多い地区にあるため、グレイは平民の格好をするわけでもなく、ごく普通に王子のグレイとしている。
――まあ、平民の格好をしていたところで、貴族も多いでしょうしすぐにばれるわね。
窓辺に通された席は、優雅さが滲むカブリオールレッグのテーブルに、ベルベット張りで手触りの良いシェーズロング。使用される食器は全てブランド品であり、確か母のレミシーがお気に入りのところだ。
至る所に薔薇の花が生けてあり、白とモスグリーンとベビーピンクを基調とした、どこからどう見ても富裕層のための店である。
周囲をチラと見回せば、あちらこちらで令嬢やマダム達の上品な笑い声が聞こえる。なかなかに繁盛しているようだ。
運ばれてくる宝石のようなスイーツを口に含み、ほどよい渋みのある紅茶を飲めば、三人はやっと人心地着いて、背もたれに深くもたれかかった。
「新しいスイーツ店の方も良かったけれど、やはりこちらの方も美味しいわね。それに出す紅茶の香りがとても私好みだわ」
恐らく、以前リシュリーとフィオーナと行った店だろう。さすが、ご令嬢。新店のチェックはこまめに行っているのだろう。
名のある令嬢には、派閥というものが自然発生する。取り巻きとも言うが。
派閥ではよくお茶会が開かれ、情報交換が行われているらしい。ブリックも情報が命だと言っていたし、貴族社会の中ではやはり強力な武器になるのだろう。
それこそ、このあいだのサリューナのように、噂ひとつで一人の令嬢をどうとでもできてしまうくらいには。
――ネットとかスマホとかないものね。人の話だけが情報だと思えば、簡単に踊らされるのも分かるわ。
もちろんスフィアはどこの派閥にも属していないし、派閥を持ってもいない。
強いて言うなら、アルティナ派閥の過激派である。
「そういえば、お姉様の想い人ってどなたなんですか?」
「えっ、そ、そんなこと言ったかしら!?」
突然の恋愛話に、アルティナは切っていたケーキを、フォークでぐしゃりと潰していた。動揺する姿のなんと愛らしいことか。
十七歳にもなってこの初々しさは、国が保護すべきものだろう。
「DNAに効くわぁ……」
「またスフィアがわけの分からないことを呟いてい――モガッ!」
グレイの口にはケーキを突っ込んでおいた。
「それでお姉様! どんな方ですの!」
「こ、このあいだの舞踏会で声を掛けてくださったの。それで今は手紙を交わしていて……年上なんだけれど、フェイツ侯爵家の方で」
綺麗な薄紅色の指先でもじもじとしながら、恥ずかしいけど聞いてほしそうにするアルティナは、ケーキ以上の甘やかな気持ちをスフィアに与えてくれる。
どこが良いだの、何を知りたいだの、一生懸命に好きな人の良いところを話すアルティナは、誰が何と言おうと可愛いのだ。
このままずっと相づちを打ちながら一日を終えたいな……などとスフィアが瞼を閉じた瞬間。
「とてもお美しいご令嬢だと、失礼ながら一目惚れしてしまいました」
濃厚な花の香りと共に、見知らぬ男の声が耳に入ってきた。
さて、これは『どちらの令嬢』に向けての言葉だろうか。
「どうか私に、ご一緒できる幸運をいただけませんか? 赤髪のお嬢様」
スフィアはケーキに思い切りフォークを刺し、口へと含む。
ケーキと一緒に世界も半分に割れてしまえ、と願わずにはいられなかった。




