26 春の舞踏回の裏で
「それで、この間の春の舞踏会についてだが……」
話を切り出したのはやはりヘイレンだった。
春の舞踏会というワードに、あの場面を知るローレイやジークハルト、グレイの顔は苦々しいものになる。
「スフィアにちょっかいをかけたカラント=デュラス。一瞬あれが、とも思いましたがさすがにああも抜けた頭で、血の秘密を隠しておけるはずはありませんから、あれは本当にただの偶然ですね」
さらりと毒を混ぜつつ意見するジークハルト。
「春の舞踏会は、各地から大勢の貴族が集まる。もし、血の秘密を知っている貴族がいたのなら、そこで何かしらの反応か……スフィア嬢への接触を試みるだろうと思ったんだが……計算違いか」
「まあ、多くの貴族が集まるといっても、全てではなかったからね。僕もめぼしい貴族と話をしたんだが、核心に迫るような話題を向けた者はいなかったな」
ヘイレンが失策だったかと眉根をひそませれば、ローレイは気にするなと彼の肩を叩く。
父親の気落ちを察知したグリーズが、ローレイと同じように声を軽くして、場の空気も軽くする。
「まあ、どうやってかは分かりませんが、相手は血の秘密を入手できるほどの者。そうそう簡単に尻尾は出さないと言うことでしょう」
「そういえば、グライド殿下は?」
ローレイがアイゼルフォン三兄弟で唯一姿を見せていない、次男のグライドを気に掛けるように視線を扉の外へと向けるが、グリーズが苦笑して手を振る。
「ああ、グライドは血の秘密を知りませんから、この場には呼んでおりませんよ。ただ西方騎士団に所属しておりますので、逐一情報を寄越すようには言っております。王宮まで上がってこないような、西部国境近くの貴族達の噂なんかも持ってきてくれますし、弟にはそのまま西方騎士団にとどまるようにと言っております。貴族の中に不穏な動きをする者アリという理由で」
なるほど、とローレイとジークハルトは静かに頷く。
そして、話題が西方へと及んだことで、各地への話になっていく。
「北方は我がレイランド家がいるから、まあ大丈夫だろう。必要ならば、セバスト達をどこかの屋敷に潜り込ませても良いが……」
「父様、さすがにセバストは困りますよ。こうやって僕たちが屋敷を外している間、彼が警備の要を担ってくれているのですから」
「セバスト……というと、確かレイランド家に長く勤める執事ではなかったか?」
ただの執事に向ける言葉としては、レイランド父子の言いようは全幅の信頼を寄せていると言っても過言ではなかった。
「ああ、ずっと昔から一族でレイランド家に仕えてくれているらしい。レミシーもよく遊んで貰ったそうだ」
家主だというのに伝聞のような言い方をするのは、ローレイが入り婿だからだろう。
ここで初めてグレイが口を開く。
「随分と、使用人への信用が篤いようですね」
驚き半分、心配半分と言った口調だった。
しかし、グレイの心配を読み取ったかのように、ジークハルトは鼻で一笑する。
「セバストだけじゃないさ。基本的に、我が家の使用人達は全て『ランド家』時代からの領民だ。ランドがレイランドとなっても、先祖であるラルス=ランドが秘密裏にお姫様を嫁に迎えようと、秘密を守りずっとランドの血と地を支えてくれた忠臣達だ」
家主はとなりに座るローレイのはずなのに、その口ぶりは彼がレイランドの主のようだった。しかし、ローレイはそれにちっとも表情を変えない。さも、息子がそう振る舞うのが当たり前だと認めているような静けさである。
「そんなところに、新しい赤髪のメイドを入れちゃっても良かったの? ジーク」
「もちろんそれなりに調べはしたさ。春の舞踏会で彼女とスフィアが留守をしている時、セバスト達は屋敷をひっくり返して彼女――マミアリアを調べ尽くしたよ」
「それで」とグリーズが目で尋ねる。
「何も出てこなかった。本当にただの村娘が悪い大人に騙されて娼婦になっただけだった」
少しばかり、皆の間でほっと息が吐かれる空気があった。
「それに、スフィアと似た髪色を彼女は、野放しにするより手元に置いておいたほうが良いと思ったんだよ。あんな噂を流されたらね……」
ローレイの言葉に、「ああ……」と他の四人は記憶に思いを馳せ、クッと笑みを漏らす。
この場に集まった者で、一時期出回った『赤髪の美女が男遊びをしている』と噂を知らない者はいない。当然、誰一人として信じたものもいない。
「まさか彼女自らどうにかしてしまうとは……っ、しかも伯爵の不正まで暴いて」
ヘイレンは腹に腕を絡め、ヒクヒクと丸めた背中を揺らしていた。
情報省や、ヘイレンが個人的に使用している影の者達から報せを受ける度、彼はスフィアの行動に毎度腹を痛めていたものだ。
「あれで僕たちにはばれてないと思っているところが、またね。まあ、そこが我が天使の愛いところなんだけどね」
「反対されやしないかって、おどおどと僕の様子を盗み見る彼女は本当に可愛かった……っ! あ、今思い出しても……っクゥ」
その隣では、ローレイとジークハルトが、スフィアの何かを思い出して「堪らん!」とばかりに肩を抱き合っている。スフィアがレイランド家でどのような立ち位置に居るのかよく分かる場面である。
「ジークハルト卿ずるい! 私もレイランド家の息子になる!」
「悪いけど君みたいな可愛くない息子はいらないかな」
「父上?」と、息子達からヘイレンへ冷めた視線が飛ぶが、当のヘイレンはお構いなしにローレイと言い合っていた。
グレイは、「なるほど」と卓を見回し頷いた。
自分がスフィアの血の秘密を知る以前から、こうして定期的に情報共有がなされていたのだろう。もしかすると、昔からよくローレイがヘイレンを訪ねてきていたのも、これが理由だったのかもしれない。
「それにしても、これだけ情報を集めているのに、相手が見えてこないというのは、どういうことでしょうか……」
口をついて出たグレイの疑問に、たちまち騒がしかった空気も緊張を帯びる。
「……恐らくだが、スフィア嬢を狙っている者は単独ではない」
「ああ、これだけ上手く隠せているとなると、ある程度規律をもった集団の可能性がある」
ヘイレンの言葉をローレイが補強する。
「父上達は、どうやって、血の秘密が漏れているということを知ったのですか?」
「それは」とヘイレンが口を開こうとしたとき、扉がノックされた。
「失礼いたします。陛下、ブリュンヒルト統括相がお話があるとのことです」
扉を開けずに告げられた侍従からの用件に、ヘイレンは「すぐに行こう」と腰を上げ部屋を出て行った。
「お忙しいところ失礼いたします、陛下」
私室の前室には、煌びやかな肩章をつけたブリュンヒルト統括相が待っていた。騎士団統括相と言っても、現場を直接指揮する者ではないため、軍人色は薄い。
「構わぬ、どうした統括相」
「騎士団の人員配備についてですが、近頃西方騎士団にばかり人が集まっていまして、少々分散させたほうがよろしいかと」
統轄相が差し出した書類に、ヘイレンは素早く目を通し「確かに」唸る。
「北方か南方に振ろうかと思うのですが」
「北方はいい。あそこは統制がしっかりとれているから、新たに入れて隙を生みたくない」
「でしたら南方に」
「いや……中央に回してくれ」
ヘイレンは書類の中央という文字を指でピンと弾いた。
「近衛兵ということではなく、王都とその近辺に満遍なく増員を」
統括相は意見を挟むことなく、「かしこまりました」とすぐに書類を引っ込める。その際、ヘイレンは統括相の手首に、いつも見たものがないことに気付いた。
「あの黄色い腕輪はどうした?」
ああ、と統括相は手首を見つめる。
「娘に譲りました。あれは主家の主に仕える者がする腕輪だったのですが、主家が代替わりしまして、であればうちもということで」
「では、統括相は家督を娘に?」
「いえ、家督とは別ですから。私は依然として陛下にお仕えさせていただきますよ」
「頼もしい限りだ」とヘイレンは統括相の肩を叩くと、私室へと戻ろうと踵を返した。
「そういえば、娘は今来られているレイランド侯爵のご令嬢と、仲良くさせていただいておりまして」
「ああ、そういえば同じ年だったか。はは、世間は狭いものだ」
そこでヘイレンは「ん?」天上へと視線を放る。
「私は君に侯爵が来てると言ったか?」
「先ほど廊下でお見かけしまして。では失礼いたします、陛下」
軍人色は薄いと言ってもそこは騎士団統括相。軸をぶらすことなく見事な足さばきで踵を返すと、風のように去って行った。
◆
「さすがにこれ以上は食べられないわ」
ケフッ、と腹を撫でながら息を吐いたスフィアの前には、見事に空になった皿が並んでいる。一見すると、全ての皿を空にしただけに見えるが、実はこれ、五巡目である。
空になるやいなや、メイドが即座に新しいスイーツの載った皿に置き換えていくため、まあ減らない減らない。
「わんこそば食べてるみたいだったわ」
三巡目からしんどくなり、最後は、五巡目の皿が空いた瞬間、笑顔で新しいものと交換しようとするメイドの手を止めるのに必死だった。
「お父様達はまだ来ないようだし、すこしお散歩でもして待ってましょ」
スフィアは、片付けをしているメイド達に言付けると、庭へと下りていった。
昔から来ているこの場所は、スフィアにとっては勝手知ったる場所でもあった。
下へと下りるとそのまま中庭へと出る。
ヘイレン国王の私室近くということもあり、王宮の表にあるような整えられた、万民のための庭というより、こぢんまりとした草花が好き勝手咲く庭だ。当然人気も少なく、スフィアにとってはお気に入りの場所でもあった。
「はぁ……今度は四巡目で止めてもらわなくちゃ――って、あら。あれは?」
当てもなく、ふらふらと庭の中を歩いていると、遠くに見覚えのある人影が見えた。
なぜこんなところに、と思い声を掛けようとした瞬間。
「――んぎゃ!?」
突如、スフィアは木々の合間に引き込まれてしまった。




