25 姫の騎士団
「無事に学院に平穏が訪れたなら良かったですね、お嬢様」
「ええ、いつも髪を整えてくださってありがとうございました。マミアリアさん」
「これで、内巻き清楚系のお嬢様は見納めだと思うと、少々名残惜しいですね」
制服から着替え終わったスフィアの髪を、マミアリアが名残惜しそうに撫でていた。
「そういえば、マミアリアさんの文通相手とは、どうなんですか?」
春の舞踏会でちゃっかり連絡先をゲットした、どこかの家の執事だったはず。
「実は」と、マミアリアが顔をにやけさせたその時、部屋のドアがノックされる。
許可を口にすれば現れたのはジークハルトで、彼は顔だけドアから覗かせると言った。
「スウィーティ、今度の休みの日は空けておくんだよ。出掛けるから」
「どちらへ?」
「王宮さ」
◆
ジークハルトがスフィアを王宮へ誘うのは珍しい。
スフィアに家族以外の男が近寄るのを許さない者だ。王宮など人が多く、ましてやスフィアを昔から狙っているグレイがいるというのに、どうしたことだろうか。
――そういえば、春の舞踏会も不思議と勧めてきたのよね。
いったい彼は何を自分に望んでいるのか、と少々警戒していたのだが、馬車の同乗者には父のローレイもいた。
今日の王宮訪問の意味を聞けば、なんのことはない。
その春の舞踏会で、スフィアにはせっかく出席したのに嫌な思いをさせてしまったから、国王で父の親友でもあるヘイレン国王が、スフィアに詫びたいという話だった。
そうして、久しぶりにヘイレン国王の私室を訪ねたのだが――。
「スフィア嬢おおおおおおお!」
相変わらず、熱烈に出迎えられてしまった。膝からスライディングしてくる国王がどこの国にいるだろうか。こちとらもう十五歳だというのに、まるで初めて出会ったときのように抱き締めてくる。
さすがに、もう社交界のマナーをある程度は身につけている。挨拶くらいはまともにせねばと、粘着質の国王を引き剥がしてスフィアはカーテシーで目を伏せる。
「陛下、お目にかかれて光栄ですわ。このように、いつも気に掛けてくださって――」
「――っ無邪気さを卒業したスフィア嬢がレディとしての風格を備えはじめている。まるで愛らしい毛虫さんが蝶へと羽化したようだ……!」
顔を覆って天を仰ぐ国王。こめかみにはツーと透明な何かが流れているのだが、きっと汗だろう。膝スライディングなどしたから疲れたのだろう。
決して随喜の涙などではない。
「私があと二十年若ければ……」
ぼそりと何やら危ないことを呟いている。
そこへ、スフィアとヘイレン国王の間に、ローレイが身を滑り込ませた。
「二十年若ければなんだい、ヘイレン。はは、絶対に君には渡さない。君に渡すくらいなら僕がもらう」
顔は笑っているが、額には青筋が浮いている。
やめて、私を巡って争わないで――と、言える状況だったらどんなに楽か。
老若男女問わず、自分愛されすぎだろう。
まあ、この光景もかつて見たものだし、放っておけば落ち着くのは分かっていた。もはや、スフィアがヘイレン国王と会ったときの様式美みたいなやつだ。
さて、落ち着くまで窓の外でも眺めておこうか、と遠い目で外の景色を眺めるスフィア。
しかし、そこへスフィアとは違い、二人を止めようとする存在が。
「二人とも落ち着いてください。何を大人げないことを仰っているのですか」
ジークハルトだった。
いつも狂気のシスコンぶりを発揮している彼だが、至極まともなことを言っている。やはり、外では侯爵家令息としてまっとうなのだろう。
「スフィアは僕が貰うんですから、そんな無駄な争いは止めてください」
「兄様?」
ジークハルトが参戦したせいで、より泥沼の様相を呈しはじめた室内。
スフィアは、窓の外だけを見つめることにした。
「――いやぁ、すまない。久しぶりにスフィア嬢に会ったもんで、嬉しさが爆発してしまった。もう話もまとまったし、今日スフィア嬢を呼んだ本題へと移ろうか」
アレが、どうまとまったのだ。むしろまとまってはいけない話のような気がしたが。
しかし、下手につついて再燃させてしまうのも困る。よって聞こえなかったふりをして無視である。
ヘイレンが手を打ち鳴らして、部屋の外へ声を掛ければティーカートを押してメイドが入ってくる。カートの上には様々なスイーツが所狭しと並んでおり、三段重ねのスイーツスタンドからは果物やケーキが今にもこぼれ落ちそうだった。
これにはスフィアも、顔を煌めかせずにはいれない。
「わぁっ! すっごく美味しそうです」
「良かった。先の春の舞踏会では、スフィア嬢に嫌な思いをさせてしまったからね。甘い物が好きだと聞いて、せめてもの償いだ。向こうの部屋にも用意させているから、すきなだけ食べておいで」
「あの件でしたら、皆さんが助けてくださったので大丈夫でしたのに……でも、嬉しく思います。遠慮なくいただきますね、陛下」
そうしてスフィアはメイドと共に、ヘイレン国王の部屋を後にした。
◆
スフィアが部屋を出て行ってしばらくすると、まるでタイミングを見計らったかのように、よく似た二人の男達が入ってくる。
「どうだい、彼女は部屋に入っていったかい?」
ヘイレンの言葉に、黒髪の方の男――グリーズが頷いた。
「ご安心ください。ちゃんとサロンへと入っていきましたよ」
「どうせなら私も、スフィアと一緒にティータイムと洒落込みたかったのですが……こんなむさ苦しい面々と茶を飲むのではなく」
アイゼルフォン兄弟だった。
グレイはスフィアの消えた方を、扉の間から名残惜しそうに見ている。
「ハハ! 言うようになったな、王子様。だが――」
「ぐえっ!」
扉の外をなおも覗いていたグレイの首に、ジークハルトの腕が豪快に巻き付く。
「僕の関知しうる範囲において、彼女と二人きりになりたいのなら、まずこの僕を昏倒させてから行くことだな」
「またジークハルト卿は無理難題を……」
倒す、ではなく昏倒させるという言葉から、並々ならぬ執念を感じる。意識があれば這ってでも邪魔をしてくるに違いない。
「僕より弱い男に妹は任せられないからな」
「ジークのシスコンぶりは何年経っても変わらないねえ」
グリーズがいつも通りののほほんとした様子で、隣のジークハルトを笑っているが、そのおおらかさはどこから発生しているのか。むしろここまでおおらかだからこそ、ジークハルトとも長く付き合えているのかもしれない。自分なら二日で吐血している。
「兄上、そんな他人事のように笑ってないで……これじゃあ、スフィア嬢は誰とも結婚できませんよ」
「あ? 僕の妹が誰とも結婚できないだと? ふざけるな妻にしたい令嬢永久一位だぞ」
「ええ~……どうしろと……」
すると、子供達の騒がしくなりそうな気配を察知したヘイレンが「じゃあ」と、場の主導権を取り戻す。
「揃ったことだし、隣へ行こうか」
顎先でヘイレンが私室と続きになった隣室を示す。
そこはかつて、スフィアが初めてアルティナと出会った小部屋。
壁一面に本が並び、窓はなく、入り口はヘイレンの私室からのひとつだけ。
円卓のひとつにヘイレンがまず腰を下ろすと、グリーズ、グレイ、ローレイ、ジークハルトの順で着席した。
五人の顔は、先ほどまでスフィアに見せていたような甘いものはなく、冗談めかした賑やかさなどもない。
「さて、我らが姫様をどうやって守るか話し合うとしよう」
切り出したヘイレンの言葉に、四人は重々しく頷いた。




