23 譲ってあげるわ、その椅子は
今日も今日とてアイリスは、スフィアがサリューナの好きな人を横取りしていたという証言を得るため、友人達と共に学院をねり歩く。
「あ、あの……もうそろそろ、聞いて回るのも止めにしないかなぁ……なんて」
一緒に訪ね歩いていたひとりが、突然そんなことを言い出した。
「何を言っているの!? それではサリューナは学院に戻って来られないわ」
アイリスの言葉に他の友人二人も「そうだそうだ」と強く頷いている。
「あ……そ、そうよね」
「まあ、お姉様方。どのようにされたのです? ザビル先輩を訪ねるんですよね。早くしないと昼休みが終わってしまいますよ」
足を止めてしまったアイリス一行に、後ろからスフィアが声を掛ける。
「さあさあ、早く行きませんと」
綺麗な笑みを浮かべ、せっつくように目線で先を示すスフィアに、アイリスは違和感を感じた。
「……まるであなたが行きたがっているみたいね、スフィア嬢」
さも、「さっさと行って私の無実を証明してこい」とでも言うように。
どこからこの自信は来ているのだろうか。確かに、先日のロイはスフィアが声を掛けていたわけではなかった。口裏をロイと合わせてなければの話だが。
「まさか、ザビル様とも前もって口裏を合わせているのではない?」
「まさかぁ! ロイ先輩とも口裏なんて合わせてませんし、ザビル先輩も当然ですよ。それに、授業中以外は私、お姉様方と一緒にいるんでそんな暇ないですし。訪ねる相手も、毎回お姉様方がその場で決めてるじゃないですか」
「それも……そうね。それじゃあ、お望み通り早くザビル様のところへ行きましょう、皆さん」
アイリスが先陣をきって歩き出すと、友人達もそれにならって足を踏み出した。
ただ――。
「お姉様」
「え?」
スフィアの手は、先日とはまた違う女子生徒の肩を掴んでいた。
「楽しい学院生活を、送りたくありませんか?」
「え……」
スフィアがごにょっと耳打ちした言葉に、やはり彼女もゴクリと固唾を呑むのであった。
それからも何人か男子生徒を訪ねたのだが、どれもアイリスが期待するような言葉は聞かれなかった。
いつもの食堂。卓を囲んで四人で座る。スフィアは授業が長引いているのか、まだ現れない。
おかしい――アイリスはそう思った。
サリューナの話と周囲とが少々食い違ってきていることが、ではない。
スフィアが遅れていること、でもない。
「ね、ねえ皆さん、近頃どうしたの? なんだか、その……覇気がないというか、諦めているというか」
「そ、そうかしら? 別に普通よ、ねえ?」
「ええ、そうね。あたし達は何も変わってないわよ?」
「それに覇気だなんて、そうそう毎日あるものでもなし」
あれだけ一緒に憤慨していた友人達がどうしてか、妙によそよそしいのだ。
「それなら……いいけれど。あ、ねえ、今日はどなたにお話を聞きに行こうかしら? そろそろスフィア嬢もボロを出す頃だと思うのだけれど。えっと確か、他にサリューナが好きだった方は――」
アイリスが、指を折りながら男子生徒の名前を呟いていたその時――。
「ねえ……もう、いいんでなくて?」
友人の一人が呟きを遮った。驚きで目を丸くするアイリス。
「これだけ調べても、アルティナ様どころか、スフィアに色仕掛けされたって話が出てこないんだし。う、疑いたくはないけど、サリューナがその……」
申し訳なさそうに視線を下げた友人。彼女が何を言おうとしているのか察し、アイリスはカッと頭に血を上らせた。
「彼女が私達に嘘を吐いていたって言うの!?」
「ちっ、違うわよ。そこまでじゃ……」
「そこまででなかったら何!?」
思わずアイリスは、ガタンと膝の裏で椅子を弾き飛ばし、立ち上がった。一気に食堂にいた生徒達の視線を集める。
何事だと静まりかえった食堂。そこへ、玲瓏たる声音が響き渡った。
「サリューナお姉様の勘違いだったかも……そうお姉様方は言いたいんですよ。ね? お姉様方」
スフィアだった。
余裕に満ちた表情でコツンコツンと踵をならしながら、円卓の空いた席に腰を下ろす。ひと月前まで、そこの席にはサリューナが座っていた。しかし今は、元々そうであったかのように、スフィアが座るのを友人達は皆受け入れていた。
あれだけ怒っていた友人達は今や、「遅かったわね、スフィア」やら「何食べるの」やらと、ごく普通に笑顔を交えて会話している。
「おかしい!」とアイリスは胸の中でほぞを噛んだ。
すると、そこへ別の卓から女子生徒がやって来る。
「ねえ、スフィア。今日は講義をするのかしら」
彼女は、かつて一緒にスフィアへ冷たい視線を送っていた令嬢であった。
サリューナを守るため、アイリスは他の知り合いの令嬢にもこの件について話していた。だから、サリューナと関わりのある二年生女子は、スフィアに対して冷たい目を向けるようになっていた――はずなのだが。
「皆、早くあなたの話を聞きたがっているのよ、スフィア」
どこからどう見てもフレンドリーである。
「そうですね。では二日後の放課後に、いつもの教室でいたしましょうか」
「やった! 皆にも伝えておくわ。楽しみにしてるわね」
嬉しそうに声を弾ませ、彼女は食堂を出て行ってしまった。
アイリスは食堂を見回した。もう皆はこちらを気にしてはいなかった。
そう、誰一人として。
おかしい――つい半月前までは、スフィアに対し悪意を向けていた視線が他にもあったというのに。今は誰一人として、スフィアにそのような視線を送るものはいないのだ。
何が起こっているのか。
「ね、ねえ、スフィア。講義って……なんのことかしら?」
「私のことが気になりますか? アイリス先輩」
アイリスはグッと言葉を詰まらせた。
「冗談ですよ。ちょっと恋に悩める皆さんにお話を聞かせているだけですよ。ね、先輩方」
スフィアは視線で、円卓についたアイリス以外の女子生徒を示した。
それの意味するところを、アイリスは瞬時に察知する。
「まさか、あなた達は知っていたの!?」
いつの間に。そんな話、チラッとも聞いたことがないのだが。
三人は気まずそうにそれぞれ顔を見合わせ、そして肩を小さくしてアイリスに「黙っていてごめんなさい」と言った。
「というより、実は私達――」
「やあ、リリ」
一人が何かを言いかけたとき、聞き覚えのある男子生徒の声が飛んできた。
「ロイ様!」
声に反応して、友人の一人であるリリが、トレーを持って歩いているロイに手を振った。その顔は、頬を赤らめたとても嬉しそうなもので……。
「ま、まさか、あなた達……つつつつ付き合っているの!?」
「じ、実は……あの後から付き合うことになって……」
もじもじと面映ゆそうに肯定したリリ。
「そ、そんなぁ……」
アイリスは頭を抱えた。
まさかサリューナが好きだと言っていた男と付き合うとは、この友人は何を考えているのか。これではスフィアと同類ではないか。
しかし、衝撃はこれだけに終わらなかった。
「あのね、アイリス。実は私もザビル様と……」
「え」
「実は私も……」
「ええ!?」
他の二人も、以前聞きに行った男子生徒と付き合っていたのだ。
「どうなっているのよ、あなた達!」
これではサリューナに顔向けできないどころか、彼女の帰ってくる場所を奪っているのではないか。
「まあまあ、アイリスお姉様。落ち着いてくださいな」
声を荒げるアイリスを、スフィアがなだめる。
「実は私、本日はアイリスお姉様に、ヴェリナード様からのお手紙を預かってきたんですの」
「ヴェリナード先輩!? ど、どうして彼が!?」
「あら? お姉様ってヴェリナード様のことが好きだった……いえ、未だに好きですよね?」
アイリスはあわあわと慌てふためき、次の瞬間にはボンッと顔から火を噴く。
「ヴェリナード様が王宮で働いていると、少々小耳に挟みまして。知り合いの王宮関係者に頼んで話を通してもらったんです。『私の知り合いに、ヴェリナード先輩に思いを寄せている後輩がいます』と」
「――っそそそれで、ヴェリナード先輩はなんと!」
円卓に乗り上げる勢いで、アイリスはスフィアに向かって上体を傾がせた。
「卒業した後でも想ってくれているとは嬉しい。ぜひ文を交わしたい――と」
懐から差し出した封筒をアイリスに渡せば、「まあっ……!」と、アイリスは花が咲くようにパアと表情を輝かせた。
しかし、思い出したようにすぐに表情を曇らせる。
「でも……か、彼はサリューナの好きな……」
その言葉で、アイリスだけでなく他の三人の表情も曇る。
罪悪感というか、友人の好きな人と付き合ってしまった後ろめたさがあるのだろう。
思わずスフィアは、「ハッ」と鼻で笑ってしまった。
いたいけな令嬢の口から出たとは思えぬ笑いに、アイリス達は目を丸くして一様にスフィアを凝視する。
「お姉様方ったら、本当にそのような馬鹿げた話を信じていらしたんですか?」
ちゃんちゃらおかしい。
「サリューナお姉様がやられていたことは、全てお姉様方への牽制ですよ?」
「牽制? そんな……」
信じられないとでも言うような口ぶりだった。
四人全員、なんともおしとやかな脳内環境だ。花が咲き乱れているに違いない。
――まあ、だからこそ、今までサリューナみたいな腹黒と付き合えたんでしょうし。
「同じグループの交友関係なんかほぼ一緒ですし、その中で良いなと想う人が被ることなんてよくある話です」
「そ、そうよ。ただ偶然ってだけで――」
「ですが」とスフィアが言葉を遮る。
「さすがに、四人のお姉様方の想い人と綺麗に被ることってあると思いますか? それって本当に……偶然、でしょうかねえ?」
四人は一斉に視線を俯けた。
――考えなさい。もっと深く、もっと疑って。彼女がいないうちに考えなさい。
彼女達は皆同じ境遇。サリューナが自分の好きな人を好きになったから、想いを口にできなかった者達だ。サリューナは優しくて気立てが良くて……と彼女達の中で、善の象徴となっていたから、表だって批難できなかった。
もし、その象徴が崩れたら。
今まで、たくさん飲み込んできた思いを止めるストッパーがなくなれば?
あとは簡単だ。
「もしかして……わざ、と……」
ほら。
スフィアの片口が深くつり上がった。
スフィアは、静かに席を立つと、彼女達の思考を邪魔しないように背を向けて去る。
円卓には不穏な空気が渦巻いていた。これでもう大丈夫だ。
「サリューナったら、詰めが甘いのよ」
子分だけに任せるからこうなるのだ。
「それに子分を使うんなら、もっとしっかりと躾けなきゃ」
こんな簡単に掌を返されないように。
本当のところ、サリューナが狙って彼女達の好きな人と被せたのかは分からない。
ただ、そう思わせるように仕向けるのなんか、スフィアにとっては朝飯前だった。彼女達の欲しいものを与えたあとに、もっともな意見を吹き込む。当然いやらしさなんか見せない。ただ純粋にあなたを思ってという顔をして話すだけ。
特に最初に抱いていた印象が最悪だった分、少し清楚な髪にして視覚をおさえ、それで彼女達のほしいものを差し出せば、あら簡単。とっても良い人に見えるという。
言うなれば、映画版ジャイアンの法則である。
それでも、もしこの場にサリューナがいたらまた話は違っただろうが。
しかし、彼女は悲劇のヒロインぶって舞台を自ら降りたのだ。どうせ、自分が監督にでもなったつもりだったのだろう。
彼女は、アイリス達友人に汚いことはやらせて、自分は綺麗ですって顔で、全て片付いた後で登場する予定だったにちがいない。
「あなたたち五人の中だったら、それで通用したかもしれないわね」
五人の中だったら。
あいにく、彼女が舞台に上げてしまったのは、この世界の『ヒロイン』と『悪役令嬢』。ただのモブ令嬢に勝ち目があるはずがないのだ。
「ヒロインの座は譲ってあげられないけど、もう一つの椅子なら喜んで譲ってあげるわ」
悪役令嬢の椅子ならば。
きっと、サリューナが学院に戻ってくる頃には、『牽制して、友人の好きな人を全て奪いとった女』という噂が広まっていることだろう。しかも『先輩と後輩への嫉妬で、ありもしない噂で罪をなすりつけて』とも。
それはまさに、悪役令嬢。
「私に喧嘩を売るだけにしておけば良かったのよ。それを……アルティナお姉様にまで喧嘩を売ったんだから絶対に許しはしないわ。あの方は、あんたみたいな卑怯な輩が、低俗な噂如きで穢して良い方じゃないのよ」
命があるだけマシだと思ってほしいものだ。
「さて、彼女が学院に戻ってくるまで、もおっと彼女の腹黒さを広めとかなきゃ!」
スフィアは、スキップで食堂を後にした。
「ありがとうございます、カドーレ。そして、リシュリーも」
ロッカー室で、スフィアは嬉しそうに二人に頭をさげた。
「その顔、目的は達成できたようですね。役立ったのならよかったです」
「スフィアの悪事の手伝いができて、こっちこそ感謝よお」
実は、アイリス達と一緒に動いているとき、リシュリー達には別のことを頼んで動いてもらっていた。
「噂を信じていた先輩達の好きな人を調べてほしいって、どういうことかと思ったわよ」
「おかげで今や、私は彼女達の絶対の存在です!」
「それで、どうやってあのアイリス先輩達を味方にしたの? 好きな人が分かったところで、相手の気持ちがあることだし、あんな上手く全員くっつかないでしょう?」
「それはですね――」
スフィアの言葉を聞いて、リシュリーは目を輝かせ、カドーレは「女性って怖い」とこぼしていた。
サリューナ編は、あと一話あります。
次回、ネタばらし&帰ってきたサリューナ。
しっかりと、ネタばらしとざまぁはしないとですね。




