21 それぞれの深謀遠慮
サリューナはここ最近の友人達の働きに感謝していた。
――本当、馬鹿みたいに信じてくれちゃって。単純よねえ。
学院を休んでいるため、あの女達の戸惑う顔が見られないのは残念だが、話を聞くところによると、二人とも実に不安げな様子を見せているらしい。
「皆、サリューナが可哀想だって心配してるわよ。というか、そんなことをされていただなんて、早く私達に相談してくれれば良かったのに」
「ありがとう、アイリス。でも、皆には迷惑を掛けたくなかったから……」
「そんなこと気にしないで! 友人が理不尽な嫌がらせを受けているほうが嫌だもの!」
同じ学院に通う友人のアイリス。今日は、見舞いだとわざわざ近況を知らせに来てくれていた。
「こんな友人をもてて、私は幸せだわ」
「そんな……あなたこそ優しい人じゃない。いつも相談に乗ってくれたり、気遣ってくれたりして。だから、今度は私達があなたを守るわね」
「心強いわ。でも……まだ学院に行く勇気が出なくて」
「ええ、無理する必要はないわ。それまでに、二度とあなたに手出しできないようにしておくから! まったく……他人の好きな人ばかりを狙うだなんて、節操なしもいいところだわ。しかも、あのアルティナ様までだなんて、ちょっと幻滅してしまうわよね」
サリューナは笑いそうになるのを、顔を俯け隠した。
「そんなことを言わないで。彼女達もきっと……わざとじゃ……」
「……サリューナ」
都合の良いことに、アイリスはサリューナが泣いているのだと思ったようで、同情の声を漏らしてくれた。
「もう少し……気持ちの整理がついたら、学院に行くわね」
上げた顔に、精一杯の笑みを貼りつけたサリューナ。眉尻を下げ、しかし口には弱々しくとも弧を描く。健気だと思われる表情の作り方を、サリューナはよく知っていた。そして、彼女の思惑通りにアイリスは顔を悲しそうにしかめ、「またね」と帰っていった。
きっと明日から、また一段と彼女達――スフィアとアルティナ――を取り巻く空気は厳しくなっていくことだろう。
実に優しくて可愛らしい、なんと単純な友だろうか。
「まあ、それもこれも私の今までの努力の成果だけど」
サリューナは、その容姿の美しさから、貴幼院時代にはそれなりにモテていた。「困ったわ」と一言こぼせば、すぐに男達が飛んでくる程度には。
幼い頃から両親や幼馴染みに可愛い可愛いと言われて育ち、事実自分でもそう思っていたところ、貴幼院での生活がサリューナの自尊心をさらに肥え太らせた。
金色の艶のある真っ直ぐな髪。垂れた目の色はアイスブルー。
彼女がひとつ微笑めば、はかなげな雰囲気に周囲は我先にと手を差し出す。
少なくとも今まではそうであったし、これからもそうであるべきだった。
しかし、入った学院が悪かった。
一つ年上に同じ色の髪と目を持つ、大公家令嬢がいた。
雰囲気こそ違うものの、『似ている』と言われるには充分だった。しかも相手のほうが家格は上ときている。
当時、彼女は二年生にして学院の中心的存在だった。
その存在を歯痒く思いもしたが、彼女は先に卒業していく身。下手にアルティナの悪口など言って反感を買う方がまずい。
そう思って、サリューナは一年我慢した。その間、できるだけ清楚かつ穏やかに振る舞い、かつてのような男遊びも控えた。
おかげで周りの友人達は、自分を微笑みの聖女くらいに思っている。
見せた優しさも笑みも全て、計算だというのに。
自分より誰かが目立つのが許せなかった。
自分のほしかったものが、自分ではない誰かを選ぶのが憎らしかった。
実際、サリューナが好きになった者の中には、アルティナが好きだと言って断った男もいたのだから、あながち流した噂も間違っちゃいない。
そして、ようやくあと一年我慢すれば……というところまできたというのに、今度は絶世の美女と社交界でも噂される赤髪の令嬢が入ってきたのだ。
アルティナが卒業しても、学院にはスフィアが残る。
スフィアの家格は同じ侯爵家。
しかし、悔しいことに自分より彼女の方が目立つのは、誰が見ても間違いなかった。上位貴族家の令嬢だというのに、ちっとも飾ったところがなく天真爛漫。よくアルティナと二人で談笑している姿は、学院では『眼福画』と名物になりつつある。
「邪魔なのよ……」
何のために猫を被って我慢してきたのか。
その努力が一瞬で水泡に帰した。
二人纏めて消えて貰わなければ、この苛立ちは消えない。
◆
風呂上がりの手入れを終え、スフィアの赤髪をマミアリアが丁寧にブラシでといていく。
「お嬢様、ご機嫌ですね。何か学院で良いことでもありましたか」
鼻歌を歌っているスフィアに、マミアリアはやはり大人びた言動をしていても、まだまだ愛らしい少女だな、と相好を崩す。
「あら、分かっちゃいました?」
「分かっちゃいましたよ、ばっちり。もしかして、恋――」
「久々に手加減無用で折れるんで、楽しみなんです」
「…………折れ……」
新たな恋人もしくは好きな人でもできたのかと思ったが、そのような甘いものではなないことだけは分かった。湯上がりで血色の良くなった頬をニコニコと緩めている彼女は、間違いなく可愛いのだが、彼女の言葉は、具体的内容は分からないにしても、絶対的に可愛くなかった。
「ええ、ええ。分かっておりましたとも。あたしの考えが甘うございました」
なんてったって彼女は、田舎とはいえ、いち領主の犯罪を見抜いてお縄につかせた少女なのだから。
「それで、今度はどこの殿方を振るつもりなんですか。また舞踏会でもあるんです?」
「違うんです。男性ではなく、今回は女性なんですよ」
「ははぁ~、さすが我が主人は男女問わずおモテになる」
マミアリアにもその気持ちは分かる。自分も彼女に惚れたひとりなのなのだから。
しかし、どうやら今回は少々趣が違う様子。
スフィアは、スパーンと左の掌に右拳を打ち付けた。
「残念ながら、モテているわけではなく、ちょっと喧嘩を売られまして」
「おっと、貴族の屋敷でそんな野蛮な言葉を聞くとは思いませんでしたよ。詳しく」
ついつい前のめりになる。
貴族の世界とは、皆、扇子を口元に当て、蚊の鳴くような声で楚々として朗らかに会話を楽しむものだと思っていたが、レイランド家に来てからは、それが完全なる幻想だと知った。もしかしたら、この家が特殊なのかもしれないが、少なくとも蚊の鳴くような声はこのあいだの舞踏会でも聞いた試しはなかった。
しかし、これはこれで刺激的で結構楽しい。
マミアリアは、スフィアに学院で起こっていることの一部始終を教えてもらった。
「貴族のお嬢様たちも、娼館の女とそう変わらないもんですね」
「むしろ家というのがあるので、余計に面倒ですよ」
うへぇ、とマミアリアは嫌そうな顔をして舌を出していた。
「どうされるおつもりですか、お嬢様? 必要であれば私も助力させていただきますが」
「では、明日からは、私から色気を引いて愛らしさを足してください!」
「そんな取り外し可みたいに……」
「やはりできませんか」
「できますけど」
できるんだ。
「明日からは、男性よりも女性の好感が上がるような格好にしてほしいんです」
マミアリアは、その一言で何かを悟ったらしく、「ほほぉん」と口元をニヤつかせていた。さすがは女の世界にいただけはあるということか。
「お任せください、お嬢様。しっかりと計画遂行できるように、お手伝いさせていただきますよ」
「任せたわよ。ふふ、持つべきものは人心掌握術に長けた優秀な侍女ね」
二人は顔を寄せ合い、密やかな計画にほの暗い笑みを浮かべていた。
もし、この場に子分二人がいたら、『こここそが魔王城だな』と言っていたことだろう。
「ああ、そういえば。このあいだの舞踏会で、何か収穫はあったんですか?」
このあいだの春の舞踏会で、彼女は確か獲物を狩ると豪語していたはずだ。しっかりと狩れたのだろうか。
マミアリアは「ふふふ」と意味深な笑いを漏らし、ビッと親指を立てた。
「バッチリ! どこかの家の執事っぽい人と、お手紙を交わすことになりました!」
「まあ、文通! 趣深いですね! おめでとうございます!」
スフィアが拍手を送ると、マミアリアは拳を天へと突き出しす。彼女の表情からするに、結構タイプの執事だろうことがうかがえる。
「で、どこの執事さんですか?」
「どこでしたっけ? すみません、貴族家の名前には疎くて……えーっと、エ、エス……エスタブリッシュ? 住所は覚えたんですけど」
「何を創設したんですか」
まあ、レイランド家に仕え始めて半年だし、家紋や、貴族家の名前を覚えてなくても仕方ないだろう。
「まあ、私が言えた義理じゃないですけど、貴族家の名前は覚えていた方が良いですよ。急な来訪とかもありますし」
「そうですね。もっと精進します」
「いや本当、私が言えた義理じゃなさ過ぎるんですけどね」
貴族家など全然知らない。
スフィアが進んで覚えた貴族家など、ウェスターリ家くらいしかない。
「貴族の執事ということは、男爵や子爵家の子息ということもあり得ますね。頑張ってくださいね、マミアリアさん!」
「はい、お嬢様! 目指せ、玉の輿です!」
まったく趣のない目標だが、それが彼女らしかった。
「玉の輿だろうと、ダイヤモンドの輿だろうと、スウィーティが乗るにはまだ早いと思うんだ。お兄ちゃんは」
「ジ、ジークハルト兄様!!」
突然の声に驚いて入り口を見ると、ドアの隙間から彼の顔が半分覗いていた。
怖いからやめてほしい。
「私の話じゃなく、マミアリアさんの話ですよ。私は自分が輿に乗るより、先に乗せたい人がいるのでその後で結構です」
「じゃあ、その乗せたい人が乗らなかったら、いつまでもスウィーティは輿に乗らないんだね!」
嬉々とした声で言っているが、彼の台詞は嬉々として言っていたらまずいものだろう。
「それって、暗に嫁に行かせないと言ってますよね、兄様」
「スウィーティを嫁になんか行かせないよ!」
暗じゃなかった。
「ところで、スウィーティが言う、輿に乗せたい人って誰だい?」
首を傾げ、銀髪を爽やかに揺らしながら聞いてくるが、言うわけがない。
当然、スフィアが先に輿に乗せようと思っている相手とはアルティナのことなのだが、言えば、彼はアルティナの結婚を全力で阻止してくるに違いない。
この兄ならばやる。相手が大公家だろう構わずにやる、という謎の信頼がある。
「黙秘します」と、小首を傾げて愛らしく言ってみた。
鼻血吹いて昏倒してくれたら、マミアリアに廊下に出して貰おうとおもっていたのだが、しかし彼は「そうか、分かったよ」と笑って、あっけなくドアを閉め去って行った。
「え、うそ。こんなにあっさり?」
多少の戸惑いをスフィアが覚えていると、ドアの外から「セバスト~、ちょっと頼まれてくれないか~」という間延びした声が聞こえてきた。
瞬間、マミアリアの顔色が変わった。
メイドとは思えない素早さで、まさしく脱兎の如く部屋を飛び出していく。
「セバストさんは駄目です、ジークハルト様! あの方、本気で見つけ出しますから! 旦那様、奥様! ご子息がお嬢様のバラ色の未来を潰しに――!」
「なんだって!? 僕の天使の未来がだと!? ちょっと来なさい、ジークハルト!」
「まあまあまあ、ジークハルトったらやんちゃなんだからあ。うふふ」
「奥様、うふふとか言ってる場合じゃないですって!?」
ドタバタと一気に屋敷全体が騒がしくなる。
しかし、スフィアは我関せずとベッドへとむかうと、布団の上に身を投げた。
「……寝よ」
階下の騒がしい声を聞きながら、スフィアは瞼を閉じた。
明日からは学院も騒がしくなりそうだ。




